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碧巌録 / 第三十一則

豈不見張拙秀才。參西堂藏禪師。問云。山河大地。是有是無。三世諸佛。是有是無藏云。有張拙秀才云。錯。藏云。先輩曾參見什麼人來。拙云。參見徑山和尚來。某甲凡有所問話。徑山皆言無。藏云。先輩有什麼眷屬。拙云。有一山妻兩箇癡頑。又却問。徑山有甚眷屬。拙云。徑山古佛。和尚莫謗渠好。藏云。待先輩得似徑山時。一切言無。張拙俛首而已。

新字:豈不見張拙秀才。参西堂蔵禅師。問云。山河大地。是有是無。三世諸仏。是有是無蔵云。有張拙秀才云。錯。蔵云。先輩曽参見什麼人来。拙云。参見径山和尚来。某甲凡有所問話。径山皆言無。蔵云。先輩有什麼眷属。拙云。有一山妻両箇痴頑。又却問。径山有甚眷属。拙云。径山古仏。和尚莫謗渠好。蔵云。待先輩得似径山時。一切言無。張拙俛首而已。

書き下し

豈に見ずや、張拙秀才、西堂の蔵禅師に参じて、問うて云く、山河大地は是れ有か是れ無か、三世の諸仏は是れ有か是れ無かと。蔵云く、有と。張拙秀才云く、錯と。蔵云く、先輩曾て什麼人にか参見し来る。拙云く、径山和尚に参見し来る。某甲凡そ問話する所有れば、径山皆無と言ふ。蔵云く、先輩什麼の眷属か有る。拙云く、一山妻、両箇の癡頑有り。又却つて問ふ、径山甚の眷属か有る。拙云く、径山は古仏なり、和尚渠を謗ること莫くんば好し。蔵云く、先輩の径山に似ることを得る時を待ちて、一切無と言へ。張拙首を俛れて已む。

現代語訳

知らないか。張拙秀才が西堂智蔵禅師に参じて問うた、「山河大地は有るのでしょうか無いのでしょうか。三世の諸仏は有るのでしょうか無いのでしょうか」。智蔵は言った、「有る」。張拙秀才は言った、「まちがいです」。智蔵は言った、「あなたはかつて誰に参じたのか」。張拙は言った、「径山和尚に参じました。わたしが何を問うても、径山はみな無いとお答えになりました」。智蔵は言った、「あなたにはどんな家族がいるか」。張拙は言った、「山妻が一人と、愚かな子が二人おります」。智蔵はさらに問うた、「径山にはどんな家族がいるか」。張拙は言った、「径山は古仏です。和尚、あの方をそしらないでいただきたい」。智蔵は言った、「あなたが径山のようになれたときに、一切は無いと言いなさい」。張拙はうなだれて引き下がった。

解説

第三十一則の本則評唱で、圜悟が有と無の両端に滞る例として引く張拙秀才の話である。張拙は径山から一切は無と聞き、それを答えとして持ち歩いていた。西堂智蔵は有と答えて張拙に錯と言わせ、妻子のいる張拙と出家の径山の違いを突く。径山のようになったときに無と言えという一言で、借り物の言葉を見抜いたのである。是と不是、有と無、どちらの言葉も自分の境涯から出ていなければ意味がない。人から聞いた正解をそのまま口にしていないか、自分の立場で言える言葉かを問い直させる話である。

この章句が説くこと

有無言葉自得分別張拙西堂

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