碧巌録 / 第三十一則
若是通方作者。得大解脫底人。必須別有生涯。若是機境不忘底。決定滯在這兩頭。若要明辨古今。坐斷天下人舌頭。須是明取這兩錯始得。及至後頭雪竇頌。也只頌這兩錯。雪竇要提活鱍鱍處。所以如此。若是皮下有血底漢。自然不向言句中作解會。不向繫驢橛上作道理。有者道。雪竇代麻谷下這兩錯。有什麼交涉。殊不知。古人著語。鎖斷要關。這邊也是。那邊也是。畢竟不在這兩頭。慶藏主道。持錫遶禪床是與不是俱錯。其實亦不在此。
新字:若是通方作者。得大解脱底人。必須別有生涯。若是機境不忘底。決定滞在這両頭。若要明弁古今。坐断天下人舌頭。須是明取這両錯始得。及至後頭雪竇頌。也只頌這両錯。雪竇要提活鱍鱍処。所以如此。若是皮下有血底漢。自然不向言句中作解会。不向繋驢橛上作道理。有者道。雪竇代麻谷下這両錯。有什麼交渉。殊不知。古人著語。鎖断要関。這辺也是。那辺也是。畢竟不在這両頭。慶蔵主道。持錫遶禅床是与不是倶錯。其実亦不在此。
書き下し
若し是れ通方の作者、大解脱を得る底の人ならば、必須ず別に生涯有らん。若し是れ機境忘れざる底ならば、決定して這の両頭に滞在せん。若し古今を明辨して、天下人の舌頭を坐断せんと要せば、須らく是れ這の両錯を明取して始めて得べし。後頭の雪竇の頌に至るに及んでも、也た只だ這の両錯を頌す。雪竇は活鱍鱍の処を提げんと要す、所以に此の如し。若し是れ皮下に血有る底の漢ならば、自然に言句の中に向いて解会を作さず、繫驢橛上に向いて道理を作さず。有る者は道ふ、雪竇は麻谷に代はつて這の両錯を下すと。什麼の交渉か有らん。殊に知らず、古人の著語は要関を鎖断することを。這辺も也た是、那辺も也た是、畢竟這の両頭に在らず。慶蔵主道ふ、錫を持して禅床を遶る、是と不是と倶に錯なりと。其の実も亦た此に在らず。
現代語訳
もし四方に通じた練達者で、大いなる解脱を得た人であれば、きっと別の生き方があるはずだ。もし働きと対象への執着を忘れられない者なら、必ずこの両端のどちらかに滞ってしまう。古今を明らかに見分け、天下の人の舌先を封じようとするなら、この二つの錯をはっきりつかんではじめてよいのである。後の雪竇の頌も、ただこの二つの錯を詠んでいるにすぎない。雪竇は生き生きと躍動するところを提示しようとして、こうしたのである。もし皮の下に血の通った男であれば、おのずと言葉の上で理解しようとはせず、驢馬をつなぐ杭のような固定したものの上で理屈をこねたりはしない。ある者は「雪竇は麻谷に代わってこの二つの錯を言ったのだ」と言う。何の関係があろうか。まったくわかっていない、古人の付け言葉は肝心の関所に鍵をかけて閉ざすものなのだ。こちら側もよし、あちら側もよし、結局はこの両端にはない。慶蔵主は「錫杖を持って禅床をめぐるのは、よしでもだめでも、どちらも錯だ」と言ったが、実のところそこにもない。
解説
この章句が説くこと
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