碧巌録 / 第二十則
不見五洩參石頭。先自約曰。若一言相契。即住。不然即去。石頭據座。洩拂袖而出。石頭知是法器。即垂開示。洩不領其旨。告辭而出至門。石頭呼之云。闍黎。洩回顧。石頭云。從生至死。只是這箇。回頭轉腦。更莫別求。洩於言下大悟。又麻谷持錫到章敬。遶禪床三匝。振錫一下。卓然而立。敬云。是是。又到南泉。依前遶床振錫而立。南泉云。不是不是。此是風力所轉。終成敗壞。谷云。章敬道是。和尚為什麼道不是。南泉云。章敬即是。是汝不是。古人也不妨要提持透脫此一件事。如今人纔問著。全無些子用工夫處。今日也只是恁麼。明日也只是恁麼。爾若只恁麼盡未來際。也未有了日。須是抖擻精神。始得有少分相應。
新字:不見五洩参石頭。先自約曰。若一言相契。即住。不然即去。石頭拠座。洩払袖而出。石頭知是法器。即垂開示。洩不領其旨。告辞而出至門。石頭呼之云。闍黎。洩回顧。石頭云。従生至死。只是這箇。回頭転脳。更莫別求。洩於言下大悟。又麻谷持錫到章敬。遶禅床三匝。振錫一下。卓然而立。敬云。是是。又到南泉。依前遶床振錫而立。南泉云。不是不是。此是風力所転。終成敗壊。谷云。章敬道是。和尚為什麼道不是。南泉云。章敬即是。是汝不是。古人也不妨要提持透脱此一件事。如今人纔問著。全無些子用工夫処。今日也只是恁麼。明日也只是恁麼。爾若只恁麼尽未来際。也未有了日。須是抖擻精神。始得有少分相応。
書き下し
見ずや、五洩石頭に参ずるに、先づ自ら約して曰く、若し一言相契はば即ち住せん、然らずんば即ち去らんと。石頭座に據る。洩払袖して出づ。石頭是れ法器なることを知りて、即ち開示を垂る。洩其の旨を領せず、辞を告げて出でて門に至る。石頭之を呼んで云く、闍黎。洩回顧す。石頭云く、生より死に至るまで、只だ是れ這箇。頭を回らし脳を転じて、更に別に求むること莫かれ。洩言下に於て大悟す。又麻谷錫を持して章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振るふこと一下して、卓然として立つ。敬云く、是是。又南泉に到りて、前に依りて床を遶り錫を振るうて立つ。南泉云く、不是不是。此れは是れ風力の所転、終に敗壊を成す。谷云く、章敬は是と道ふ、和尚什麼としてか不是と道ふ。南泉云く、章敬は即ち是、是れ汝は不是。古人も也た妨げず此の一件の事を提持透脱せんことを要す。如今の人纔かに問著すれば、全く些子の工夫を用ゐる処無し。今日も也た只だ是れ恁麼、明日も也た只だ是れ恁麼。爾若し只だ恁麼ならば、未来際を尽くすも也た未だ了る日有らず。須らく是れ精神を抖擻して、始めて少分の相応有ることを得べし。
現代語訳
知らないのか。五洩が石頭に参じたとき、まず自分で「もし一言で通じ合えばとどまろう。そうでなければ去ろう」と決めていた。石頭は座に就いたままでいた。五洩は袖を払って出て行った。石頭は彼が法の器であることを知って、すぐに教えを垂れた。五洩はその旨がわからず、暇を告げて出て門まで来た。石頭は彼を呼んで「御坊」と言った。五洩が振り返ると、石頭は言った。「生まれてから死ぬまで、ただこれだけだ。頭を回し頭脳をめぐらして、さらに別に求めてはならない」。五洩はその言葉のもとで大悟した。また、麻谷が錫杖を持って章敬のもとに来て、禅床のまわりを三度めぐり、錫杖を一度振って、すっくと立った。章敬は「よし、よし」と言った。また南泉のもとに来て、前と同じように禅床をめぐり、錫杖を振って立った。南泉は「だめだ、だめだ。これは風の力で動いているだけで、ついには壊れてしまう」と言った。麻谷は「章敬はよしと言ったのに、和尚はなぜだめと言うのですか」と言った。南泉は「章敬はよいのだ。だめなのはお前だ」と言った。古人もまた、この一件の事を取り上げて透り抜けようとしたのである。今の人は問われるとすぐ、少しも工夫を用いるところがない。今日もただこのようであり、明日もただこのようである。お前たちがもしただこのようであるなら、未来の果てまで尽くしても終わる日はない。精神を奮い立たせて、はじめてわずかに相応するところが得られるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第三十一則古人の行脚は、遍く叢林を歴て、直に此の事を以て念と為し、他の曲彔木床上の老和尚の、具眼か具眼ならざるかを辨ぜんことを要す。古人は一言相契へば即ち住し、一言契はざれば即ち去る。看よ他の麻谷、章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振ること一下して、卓然として立つ。章敬云く、是、是と。殺人刀活人剣、須らく是れ本分の作家なるべし。雪竇云く、錯と。両辺に落在す。爾若し両辺に去いて会せば、雪竇の意を見ず。他卓然として立つ、且く道へ、什麼事の為ぞ。雪竇什麼としてか却つて錯と道ふ。什麼の処か是れ他の錯れる処。章敬是と道ふ、什麼の処か是れ是なる処。雪竇は坐して判語を読むが如し。麻谷箇の是の字を担ひて、便ち去いて南泉に見ゆ。依然として禅床を遶ること三匝、錫を振ること一下して、卓然として立つ。泉云く、不是、不是と。殺人刀活人剣、須らく是れ本分の宗師なるべし。雪竇云く、錯と。章敬は是是と道ひ、南泉は不是不是と道ふ。為復是れ同か是れ別か。前頭に是と道ふ、什麼としてか也た錯なる。後頭に不是と道ふ、什麼としてか也た錯なる。若し章敬の句下に向いて薦得せば、自救も也た了ぜず。若し南泉の句下に向いて薦得せば、祖仏の与に師と為るべし。然も恁麼なりと雖も、衲僧家は須らく是れ自ら肯ひて始めて得べし。一向に人の口辯を取ること莫れ。他の問ひ既に一般なるに、什麼としてか一箇は是と道ひ、一箇は不是と道ふ。
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『碧巌録』第三十一則挙す。麻谷、錫を持して章敬に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振ること一下して、卓然として立つ。敬云く、是、是。雪竇著語して云く、錯。麻谷又南泉に到り、禅床を遶ること三匝、錫を振ること一下して、卓然として立つ。泉云く、不是、不是。雪竇著語して云く、錯。麻谷当時云く、章敬は是と道ふ、和尚什麼としてか不是と道ふ。泉云く、章敬は即ち是、汝は不是。此れは是れ風力の転ずる所、終に敗壊を成す。
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『碧巌録』第三十一則爾見ずや、永嘉曹渓に到りて六祖に見え、禅床を遶ること三匝、錫を振ること一下して、卓然として立つ。祖云く、夫れ沙門は、三千の威儀、八万の細行を具す。大徳何れの方よりして来り、大我慢を生ずる。什麼としてか六祖却つて他が大我慢を生ずと道ふ。此箇も也た是とも説かず、也た不是とも説かず。是と不是と都て是れ繫驢橛なり。唯だ雪竇の両錯を下す有りて、猶ほ些子に較れり。麻谷云く、章敬は是と道ふ、和尚什麼としてか不是と道ふと。這の老漢眉毛を惜しまず、漏逗すること少なからず。南泉道ふ、章敬は則ち是、汝は不是と。南泉は兎を見て鷹を放つと謂ひつべし。慶蔵主云く、南泉忒殺郎当なり、不是ならば便ち休せよ、更に他の与に過を出すと。此れは是れ風力の転ずる所、終に敗壊を成す。円覚経に云く、我が今の此の身は、四大和合す。所謂髪毛爪歯、皮肉筋骨、髄脳垢色は、皆地に帰す。唾涕膿血は皆水に帰す。暖気は火に帰し、動転は風に帰す。四大各離れなば、今者の妄身、当に何処にか在るべき。他の麻谷錫を持して禅床を遶る、既に是れ風力の転ずる所、終に敗壊を成す。且く道へ、畢竟心宗を発明する底の事、什麼の処にか在る。這裏に到りては、也た須らく是れ生鉄もて鋳就せる底の箇の漢にして始めて得べし。
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『碧巌録』第二十八則丈云く、「説き了れり」。惜しむべし、他の与に注破す。当時但だ脊を劈いて便ち棒し、他をして痛痒を知らしめん。是の如くなりと雖然も、爾且く道へ、什麼の処か是れ説く処。南泉の見処に拠らば、不是心・不是仏・不是物、曾て説著せず。且く爾諸人に問ふ、什麼に因ってか却って「説き了れり」と道ふ。他の語下に又蹤迹無し。若し他説かずと道はば、百丈什麼と為てか却って恁麼に道ふ。南泉は是れ変通底の人なり。便ち随後に一拶して云く、「某甲は只だ恁麼。和尚又作麼生」。若し是れ別人ならば、未だ分疎不下を免れず。争奈せん百丈は是れ作家にして、答処妨げず奇特なることを。便ち道ふ、「我は又是れ大善知識にあらず、争でか説と不説と有ることを知らん」。南泉便ち箇の「会せず」と道ふ。是れ渠果たして会し来たって「会せず」と道ふか、是れ真箇に会せざるにあらざるや。百丈云く、「我太殺だ爾が為に説き了れり」。且く道へ、什麼の処か是れ説く処。若し是れ泥団を弄する漢の時ならば、両箇淈淈渹渹たらん。若し是れ二り倶に作家の時ならば、明鏡の台に当たるが如し。其の実、前頭は二り倶に作家、後頭は二り倶に放過す。
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『碧巌録』第六十九則当時馬祖は化を江西に盛んにし、石頭は道を湖湘に行ひ、忠国師は道化を長安に行ふ。他は親しく六祖に見え来たる。是の時南方の頭を擎げ角を帯ぶる者、其の堂に升り其の室に入らんと欲せざる無し。若し爾らずんば人に恥ぢらる。這の老漢三箇、去きて忠国師を礼拝せんと欲し、中路に至りて這の一場の敗缺を做す。南泉云く、「恁麼ならば則ち去かじ」と。既に是れ一一道ひ得たり、什麼としてか却つて去かじと道ふ。且く道へ古人の意作麼生。当時他の「恁麼ならば則ち去かじ」と道ふを待ちて、耳を劈いて便ち掌せば、他の什麼の伎倆をか作すを看ん。万古綱宗を振るふも、只だ是れ這些子の機要なり。所以に慈明道ふ、「牽かんと要せば只だ索頭の辺に在り」と。撥著点著すれば便ち転じ、水上に葫蘆子を捺すが如く相似たり。人多く喚んで不相肯の語と作す。殊に知らず、此の事極則の処に到りては、須らく泥を離れ水を離れ、楔を抜き釘を抽くべきことを。爾若し心行の会を作さば則ち没交渉なり。古人の転変得て好し。這裏に到りては、恁麼ならざるを得ず。須らく是れ殺有り活有るべし。看よ他の一人は円相の中に去いて坐し、一人は女人拝を作す、也た甚だ好し。南泉云く、「恁麼ならば則ち去かじ」と。帰宗云く、「是れ什麼の心行ぞ」と。孟八郎の漢、又恁麼にし去るなり。他の恁麼に道ふは、大意は南泉を験せんと要す。南泉尋常道ふ、「喚んで如如と作すも、早く是れ変じ了れり」と。南泉・帰宗・麻谷は却つて是れ一家裏の人なり。一擒一縦、一殺一活、妨げず奇特なることを。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第五十一則大凡そ宗教を扶竪せんには、須らく是れ箇の当機を弁じ、進退是非を知り、殺活擒縦を明らむべし。若し忽ち眼目迷黎麻羅ならば、到る処問に逢うては便ち問ひ、答に逢うては便ち答へ、殊に知らず、鼻孔の別人の手裏に在ることを。只だ雪峰・巌頭の如きは、同じく徳山に参ず。此の僧、雪峰に参じて、見解只だ恁麼の処に到る。巌頭に見ゆるに及んでも、亦た曽て一事を成し得ず。虚しく他の二老宿を煩はして、一問一答、一擒一縦せしむ。直に如今に至るまで、天下の人、節角誵訛を成して、分疎し下らず。且く道へ、節角誵訛、什麼の処にか在る。雪峰は諸方を遍歴すと雖も、末後、鰲山店に於て、巌頭因つて之を激し、方に勦絶大徹することを得たり。巌頭、後に沙汰に値ひ、湖辺に於て渡子と作る。両岸に各おの一板を懸く。人有り過ぎて板を敲くこと一下すれば、頭云く、「爾、那辺に過ぐるか」と。遂に蘆葦の間より棹を舞はして出づ。
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