碧巌録 / 第十九則
對揚深愛老俱胝 宇宙空來更有誰曾向滄溟下浮木夜濤相共接盲龜雪竇會四六文章。七通八達。凡是誵訛奇特公案。偏愛去頌。對揚深愛老俱胝。宇宙空來更有誰。今時學者。抑揚古人。或賓或主。一問一答。當面提持。有如此為人處。所以道。對揚深愛老俱胝。且道雪竇愛他作什麼。自天地開闢以來。更有誰人。只是老俱胝一箇。若是別人須參雜。唯是俱胝老。只用一指頭。直至老死。時人多邪解道。山河大地也空。人也空。法也空。直饒宇宙一時空來。只是俱胝老一箇。且得沒交涉。曾向滄溟下浮木。如今謂之生死海。眾生在業海之中。頭出頭沒。不明自己。無有出期。俱胝老垂慈接物。於生死海中。用一指頭接人。似下浮木接盲龜相似。令諸眾生得到彼岸。夜濤相共接盲龜。法華經云。如一眼之龜。值浮木孔。無沒溺之患。大善知識接得一箇如龍似虎底漢。教他向有佛世界。互為賓主。無佛世界坐斷要津。接得箇盲龜。堪作何用。
新字:対揚深愛老倶胝 宇宙空来更有誰曽向滄溟下浮木夜濤相共接盲亀雪竇会四六文章。七通八達。凡是誵訛奇特公案。偏愛去頌。対揚深愛老倶胝。宇宙空来更有誰。今時学者。抑揚古人。或賓或主。一問一答。当面提持。有如此為人処。所以道。対揚深愛老倶胝。且道雪竇愛他作什麼。自天地開闢以来。更有誰人。只是老倶胝一箇。若是別人須参雑。唯是倶胝老。只用一指頭。直至老死。時人多邪解道。山河大地也空。人也空。法也空。直饒宇宙一時空来。只是倶胝老一箇。且得没交渉。曽向滄溟下浮木。如今謂之生死海。衆生在業海之中。頭出頭没。不明自己。無有出期。倶胝老垂慈接物。於生死海中。用一指頭接人。似下浮木接盲亀相似。令諸衆生得到彼岸。夜濤相共接盲亀。法華経云。如一眼之亀。値浮木孔。無没溺之患。大善知識接得一箇如竜似虎底漢。教他向有仏世界。互為賓主。無仏世界坐断要津。接得箇盲亀。堪作何用。
書き下し
対揚深く愛す老倶胝、宇宙空じ来たつて更に誰か有る。曾て滄溟に向かつて浮木を下し、夜濤相共に盲亀を接す。雪竇四六の文章を会し、七通八達す。凡そ是れ誵訛奇特の公案、偏に愛して去きて頌す。対揚深く愛す老倶胝、宇宙空じ来たつて更に誰か有る。今時の学者、古人を抑揚し、或いは賓或いは主、一問一答、当面に提持す。此の如く人の為にする処有り。所以に道ふ、対揚深く愛す老倶胝と。且く道へ、雪竇他を愛して什麼をか作す。天地開闢より以来、更に誰人か有る。只だ是れ老倶胝一箇のみ。若し是れ別人ならば須らく参雑すべし。唯だ是れ倶胝老のみ、只だ一指頭を用ゐて、直に老死に至る。時人多く邪解して道ふ、山河大地も也た空、人も也た空、法も也た空。直饒ひ宇宙一時に空じ来たるも、只だ是れ倶胝老一箇のみと。且つ没交渉なることを得たり。曾て滄溟に向かつて浮木を下す。如今之を生死の海と謂ふ。衆生業海の中に在りて、頭出頭没し、自己を明らめず、出づる期有ること無し。倶胝老慈を垂れて物に接し、生死の海中に於て一指頭を用ゐて人を接す。浮木を下して盲亀を接するに似て相似たり。諸の衆生をして彼岸に到ることを得しむ。夜濤相共に盲亀を接す。法華経に云く、一眼の亀の浮木の孔に値ふが如く、没溺の患無し。大善知識は箇の龍の如く虎に似たる底の漢を接得して、他をして有仏の世界に向かつて互ひに賓主と為り、無仏の世界に要津を坐断せしむ。箇の盲亀を接得して、何の用にか作すに堪へん。
現代語訳
向き合って応じるところで、わたしは老倶胝を深く愛する。宇宙が空になってしまえば、ほかに誰がいようか。かつて大海に浮き木を下ろし、夜の波の中でともに盲いた亀を迎え取った。雪竇は四六の文章に通じ、縦横に自在である。およそ厄介で奇抜な公案をこそ、好んで頌に詠む。「向き合って応じるところで、わたしは老倶胝を深く愛する。宇宙が空になってしまえば、ほかに誰がいようか」。今の学ぶ者たちは古人を上げたり下げたりし、客になったり主になったり、一問一答して面と向かって取り上げる。このように人のために尽くすところがある。だから「向き合って応じるところで、老倶胝を深く愛する」と言う。さあ言ってみよ、雪竇は彼を愛してどうするのか。天地が開けてこのかた、ほかに誰がいようか。ただ老倶胝一人だけである。ほかの人ならあれこれ混ざってしまう。ただ倶胝老人だけが、一本の指だけを用いて老いて死ぬまで通した。当時の人の多くは誤って解釈して、「山河大地も空、人も空、法も空。たとえ宇宙が一度に空になっても、ただ倶胝老人一人だけがいる」と言う。まったく見当違いである。「かつて大海に浮き木を下ろした」。今これを生死の海という。衆生は業の海の中で浮いたり沈んだりして、自分自身を明らかにせず、抜け出る時がない。倶胝老人は慈悲を垂れて人々を迎え、生死の海の中で一本の指を用いて人を導いた。浮き木を下ろして盲いた亀を迎え取るようなものである。多くの衆生を向こう岸へ渡らせたのである。「夜の波の中でともに盲いた亀を迎え取った」。『法華経』に「片目の亀が浮き木の穴に出会うようなもので、溺れる心配がない」とある。大善知識は、龍のような虎のような男を迎え取って、仏のいる世界ではたがいに客となり主となり、仏のいない世界では要の渡し場を押さえさせる。盲いた亀などを迎え取って、何の役に立とうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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『碧巌録』第二十五則這般の事、若し是れ通方の作者ならば、古人の実処に到って、自然に力を費やさず。他人の他底を搆へ得る無きを見て、復た自ら徴して云く、「畢竟如何」。又奈何ともし得ず。自ら云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。這箇の意又作麼生。且く道へ、什麼の処を指して地頭と為す。妨げず句中に眼有り、言外に意有ることを。自ら起き自ら倒れ、自ら放ち自ら収む。豈に見ずや、厳陽尊者、路に一僧に逢ひ、拄杖を拈起して云く、「是れ什麼ぞ」。僧云く、「識らず」。厳云く、「一条の拄杖も也た識らず」。厳復た拄杖を以て地上に劄すること一下して云く、「還た識るや」。僧云く、「識らず」。厳云く、「土窟子も也た識らず」。厳復た拄杖を以て担って云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。厳云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる。雪竇頌有り、云く、「誰か機に当たって挙して賺かざる、亦還た希なり。峭峻を摧残し、玄微を銷鑠す。重関曾て巨いに闢く、作者未だ同じく帰せず。玉兎乍ち円かに乍ち欠け、金烏飛ぶに似て飛ばず。盧老知らず何れの処にか去る、白雲流水共に依依たり」。什麼に因ってか山僧道ふ、「脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ」と。纔かに計較を作さば、便ち是れ黒山鬼窟裏に活計を作す。若し見得して徹し、信得して及ばば、千人万人も自然に羅籠すれども住まらず、奈何ともし得ず。動著し拶著すれば、自然に殺有り活有り。雪竇他の意を会して「直に千峰万峰に入り去る」と道ふ、方に始めて頌を成す。落処を知らんと要せば、看取せよ雪竇の頌に云く。
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『碧巌録』第八則雪竇若し恁麼に慈悲もて頌出して人をして見せしめずんば、争でか善知識と名づくることを得ん。古人此の如くなる、一一皆是れ事已むことを獲ず。蓋し後学の他の言句に著いて、転た情解を生ずるが為に、所以に古人の意旨を見ず。如今忽ち箇の出で来つて、禅床を掀倒し、大衆を喝散する有るも、他を怪しむことを得ず。然も此の如くなりと雖も、也た須らく実に這の田地に到つて始めて得べし。雪竇道ふ、「千古対無し」。他只だ道ふ、「看よ翠巌が眉毛在りや」。什麼の奇特の処か有つて、便乃ち千古対無き。須らく知るべし、古人一言半句を吐き出す、是れ造次にあらざることを。須らく是れ乾坤を定むる底の眼有つて始めて得べし。雪竇一言半句を著くるも、金剛王宝剣の如く、踞地の獅子の如く、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。若し是れ頂門に眼を具せずんば、争でか能く他の古人の落処を見ん。這箇の示衆、直に千古対無きことを得て、徳山の棒、臨済の喝に過ぎたり。
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『碧巌録』第五十則雪竇、前面に雲門の対一説の話を頌して道ふ、「対一説、太だ孤絶。無孔の鉄鎚重ねて楔を下す」。後面に又馬祖の離四句絶百非の話を頌して道ふ、「蔵頭白く海頭黒し、明眼の衲僧も会し得ず」。若し此の公案に於いて透得せば、便ち這箇の頌を見ん。雪竇当頭に便ち道ふ、「鉢裏の飯、桶裏の水」。言中に響き有り、句裏に機を呈す。「多口の阿師も嘴を下し難し」。随後に便ち汝が与に注脚を下すなり。汝若し這裏に向かつて玄妙の道理を要求せば、計較転た嘴を下し難し。雪竇只だ這裏に到つて也た得し。他は恁麼に頭上に先づ把定することを愛す、恐らくは衆中に具眼の者有つて覷破せんことを。後面に到つて須らく一著を放過し、俯して初機の為に、打開して頌出し、人をして見せしむ。北斗は依旧として北に在り、南星は依旧として只だ南に在り。所以に道ふ、「北斗南星位殊ならず」。「白浪滔天平地に起こる」。忽然として平地上に波瀾を起こす、又作麼生。若し事上に向かつて覷れば則ち易く、若し意根下に向かつて尋ぬれば、卒に摸索不著。這箇は鉄橛子の如くに相似て、擺撥し得ず、嘴を挿し得ず。汝若し擬議して会せんと欲して会せず、止めて止まらずんば、乱りに懞袋を呈す。正に是れ箇箇無裩の長者子なり。寒山の詩に道ふ、「六極常に苦に嬰り、九維徒らに自ら論ず。才有るも草沢に遺れ、勢無くして蓬門を閉づ。日上れども巌猶ほ暗く、煙消えて谷尚ほ昏し。其の中の長者子、箇箇総て裩無し」。
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『碧巌録』第十八則無縫塔、見ること還た難し。澄潭蒼龍の蟠ることを許さず。層落落、影団団。千古万古人に与へて看せしむ。雪竇当頭に道ふ、無縫塔、見ること還た難しと。独露して私無しと雖然も、則ち是れ見んと要する時還た難し。雪竇忒殺だ慈悲にして、更に爾に向かつて道ふ、澄潭蒼龍の蟠ることを許さずと。五祖先師道ふ、雪竇の頌古一冊、我只だ他の澄潭蒼龍の蟠ることを許さずの一句を愛す。猶ほ些子に較れり。多少の人か他の国師の良久の処に去きて活計を作す。若し恁麼に会せば、一時に錯り了れり。道ふことを見ずや、臥龍は止水に鑑みず。無き処に月有りて波澄み、有る処に風無くして浪起こると。又道ふ、臥龍長く碧潭の清きを怖ると。若し是れ這箇の漢ならば、直饒ひ洪波浩渺として白浪天に滔るも、亦た裏許に在りて蟠らず。雪竇此に到りて頌し了りて、後頭に些子の眼目を著けて、一箇の無縫塔を琢出し、随後に説いて道ふ、層落落、影団団、千古万古人に与へて看せしむと。爾作麼生か看る。即今什麼の処にか在る。直饒ひ爾見得て分明なるも、也た定盤星を錯認すること莫かれ。
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『碧巌録』第五則雪竇自然に他の古人を見る、只だ他の命脈上に去いて一劄を消して、他の与に頌出す。「牛頭没し馬頭回る」。且く道へ、箇の什麼をか説く。見得透する底は、早朝に粥を喫し、斎時に飯を喫するが如くに相似たり、只だ是れ尋常なり。雪竇慈悲、当頭に一鎚に撃砕し、一句に截断す。只だ是れ妨げず孤峻なることを。石火を撃つが如く閃電光に似たり。鋒鋩を露はさず、爾が湊泊の処無し。且く道へ、意根下に向つて摸索し得んや。此の両句一時に道ひ尽し了れり。雪竇第三句、却つて一線道を通じて、略ぼ些かの風規を露はす。早く是れ落草なり。第四句、直下に更に是れ落草なり。若し言上に言を生じ、句上に句を生じ、意上に意を生じて、解を作し会を作さば、唯だ老僧を帯累するのみにあらず、亦乃ち雪竇に辜負せん。古人の句は此の如くなりと雖も、意は此の如くならず。終に道理を作して人を繋縛せず。「曹渓鏡裏塵埃を絶す」。多少の人か道ふ、「静心便ち是れ鏡」と。且喜すらくは没交渉。只管に計較道理を作す、什麼の了期か有らん。這箇は是れ本分の説話、山僧敢へて本分に依らずんばあらず。「牛頭没し馬頭回る」、雪竇分明に説き了れり。自ら是れ人見ず。所以に雪竇此の如く郎当として頌して道ふ、「鼓を打つて看来れども君見ず」。癡人還た見るや。更に爾に向つて道ふ、「百花春至つて誰が為にか開く」。謂つべし戸牖を豁開して、爾が与に一時に八字に打開し了れりと。春来るに及んで、幽谷野澗、乃至人無き処にも、百花競ひ発く。爾且く道へ、更に誰が為にか開く。
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