碧巌録 / 第八則
雪竇若不恁麼慈悲頌出令人見。爭得名善知識。古人如此。一一皆是事不獲已。蓋為後學著他言句。轉生情解。所以不見古人意旨。如今忽有箇出來。掀倒禪床。喝散大眾。怪他不得。雖然如此。也須實到這田地始得。雪竇道。千古無對。他只道。看翠嵒眉毛在麼。有什麼奇特處。便乃千古無對。須知古人吐一言半句出來。不是造次。須是有定乾坤底眼始得。雪竇著一言半句。如金剛王寶劍。如踞地獅子。如擊石火。似閃電光。若不是頂門具眼。爭能見他古人落處。這箇示眾。直得千古無對。過於德山棒臨濟喝。
新字:雪竇若不恁麼慈悲頌出令人見。争得名善知識。古人如此。一一皆是事不獲已。蓋為後学著他言句。転生情解。所以不見古人意旨。如今忽有箇出来。掀倒禅床。喝散大衆。怪他不得。雖然如此。也須実到這田地始得。雪竇道。千古無対。他只道。看翠嵒眉毛在麼。有什麼奇特処。便乃千古無対。須知古人吐一言半句出来。不是造次。須是有定乾坤底眼始得。雪竇著一言半句。如金剛王宝剣。如踞地獅子。如撃石火。似閃電光。若不是頂門具眼。争能見他古人落処。這箇示衆。直得千古無対。過於徳山棒臨済喝。
書き下し
雪竇若し恁麼に慈悲もて頌出して人をして見せしめずんば、争でか善知識と名づくることを得ん。古人此の如くなる、一一皆是れ事已むことを獲ず。蓋し後学の他の言句に著いて、転た情解を生ずるが為に、所以に古人の意旨を見ず。如今忽ち箇の出で来つて、禅床を掀倒し、大衆を喝散する有るも、他を怪しむことを得ず。然も此の如くなりと雖も、也た須らく実に這の田地に到つて始めて得べし。雪竇道ふ、「千古対無し」。他只だ道ふ、「看よ翠巌が眉毛在りや」。什麼の奇特の処か有つて、便乃ち千古対無き。須らく知るべし、古人一言半句を吐き出す、是れ造次にあらざることを。須らく是れ乾坤を定むる底の眼有つて始めて得べし。雪竇一言半句を著くるも、金剛王宝剣の如く、踞地の獅子の如く、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。若し是れ頂門に眼を具せずんば、争でか能く他の古人の落処を見ん。這箇の示衆、直に千古対無きことを得て、徳山の棒、臨済の喝に過ぎたり。
現代語訳
雪竇がもしこのように慈悲をもって頌に詠み出して人に見せなかったなら、どうして善知識と呼ばれることができようか。古人がこのようにするのは、一つ一つみなやむを得ないことなのである。思うに後から学ぶ者が古人の言葉に執着して、ますます情による理解を生じるので、古人の意旨が見えないのだ。今もし誰かが出て来て、禅床をひっくり返し、大衆を喝して散らしたとしても、その者を怪しむことはできない。とはいえ、本当にその境地に至ってこそよいのである。雪竇は言う。「千古にわたって答えられる者がいない」。翠巌はただ「見よ、翠巌の眉毛はまだあるか」と言っただけだ。どんな見事なところがあって、千古に答えられる者がいないというのか。知るべきである、古人が一言半句を吐き出すのは、軽はずみではないことを。天地を定める眼があってこそよいのである。雪竇が一言半句を付けるのも、金剛王の宝剣のようであり、地にうずくまる獅子のようであり、火打ち石の火花のようであり、稲妻の光のようである。もし頭頂に眼を具えていなければ、どうして古人の落ち着きどころが見えようか。この示衆は、まさに千古に答えられる者がいないほどであり、徳山の棒や臨済の喝にもまさっている。
解説
この章句が説くこと
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