碧巌録 / 第十三則
老新開 端的別解道銀椀裏盛雪 九十六箇應自知不知却問天邊月提婆宗。提婆宗赤旛之下起清風老新開。新開乃院名也。端的別。雪竇讚歎有分。且道什麼處是別處。一切語言。皆是佛法。山僧如此說話。成什麼道理去。雪竇微露些子意道。只是端的別。後面打開云。解道銀椀裏盛雪。更與爾下箇注脚。九十六箇應自知。負墮始得。爾若不知。問取天邊月。古人曾答此話云。問取天邊月雪竇頌了。末後須有活路。有獅子返擲之句。更提起與爾道。提婆宗提婆宗。赤旛之下起清風。巴陵道。銀椀裏盛雪。為什麼雪竇却道赤旛之下起清風。還知雪竇殺人不用刀麼。
新字:老新開 端的別解道銀椀裏盛雪 九十六箇応自知不知却問天辺月提婆宗。提婆宗赤旛之下起清風老新開。新開乃院名也。端的別。雪竇讃嘆有分。且道什麼処是別処。一切語言。皆是仏法。山僧如此説話。成什麼道理去。雪竇微露些子意道。只是端的別。後面打開云。解道銀椀裏盛雪。更与爾下箇注脚。九十六箇応自知。負堕始得。爾若不知。問取天辺月。古人曽答此話云。問取天辺月雪竇頌了。末後須有活路。有獅子返擲之句。更提起与爾道。提婆宗提婆宗。赤旛之下起清風。巴陵道。銀椀裏盛雪。為什麼雪竇却道赤旛之下起清風。還知雪竇殺人不用刀麼。
書き下し
老新開、端的別なり。解く道ふ、銀椀裏に雪を盛ると。九十六箇応に自ら知るべし。知らずんば却つて天辺の月に問へ。提婆宗、提婆宗、赤旛の下に清風を起こす。老新開。新開は乃ち院の名なり。端的別なり。雪竇讃歎すること分有り。且く道へ、什麼の処か是れ別なる処。一切の語言は皆是れ仏法。山僧此の如く説話す、什麼の道理をか成し去らん。雪竇微かに些子の意を露はして道ふ、只だ是れ端的別なりと。後面に打開して云く、解く道ふ、銀椀裏に雪を盛ると。更に爾が与に箇の注脚を下す、九十六箇応に自ら知るべし、負墮して始めて得んと。爾若し知らずんば、天辺の月に問取せよ。古人曾て此の話に答へて云く、天辺の月に問取せよと。雪竇頌し了りて、末後須らく活路有るべし。獅子返擲の句有りて、更に提起して爾が与に道ふ、提婆宗、提婆宗、赤旛の下に清風を起こすと。巴陵は銀椀裏に雪を盛ると道ふ。什麼としてか雪竇却つて赤旛の下に清風を起こすと道ふ。還た雪竇の人を殺すに刀を用ゐざることを知るや。
現代語訳
新開院の老僧は、まさしく別格である。よくぞ「銀の椀に雪を盛る」と言ったものだ。九十六種の外道は自ら思い知るがよい。わからなければ、かえって空の月に尋ねよ。提婆宗よ、提婆宗よ、赤い旗の下に清らかな風が起こる。「老新開」。新開とは寺院の名である。「まさしく別格である」。雪竇が讃えるのにはわけがある。さあ言ってみよ、どこが別格なのか。あらゆる言葉はみな仏法である。わたしがこのように話していることは、どんな道理になるのか。雪竇はほんの少し意図を見せて「ただまさしく別格だ」と言い、そのあと開いて「よくぞ銀の椀に雪を盛ると言ったものだ」と言う。さらにお前たちのために注を付けて「九十六種の外道は自ら思い知るがよい」と言う。負けてはじめてわかるのだ。お前たちがもしわからなければ、空の月に尋ねよ。古人はかつてこの問いに「空の月に尋ねよ」と答えたことがある。雪竇は頌し終えても、最後には活路がなければならない。獅子が身を翻して跳びかかるような句があり、さらに取り上げてお前たちのために「提婆宗よ、提婆宗よ、赤い旗の下に清らかな風が起こる」と言う。巴陵は「銀の椀に雪を盛る」と言ったのに、なぜ雪竇はかえって「赤い旗の下に清らかな風が起こる」と言うのか。雪竇が刀を用いずに人を殺すことがわかるか。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は信玄公わかうまします時より、諸侍のことばをよくきゝ、分別あるも、なきも、つよからんも、よはからんも其人の物いふ儀にてつもり被成たるが、今日にいたるまでも、それがしむけんならくへ堕罪仕らん、少もあひちがはず候、さるほどに、よき事をもほめ所を見いだし、聞付穿鑿の取さたをもつて善をば善と定め、悪をば悪とさだめ、道理をつめてほめそしる武士の作法なり、さなくして、かたはし聞て我贔負の者を虚空によきとばかり批判する事女にあひにたる侍、と信玄公の常々御諚これなり、如此有様にせんさくあそばす故、若手に能武士出くるなりと阿部加賀守申て、金丸助六郎·同惣蔵にをしゆる也、
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『正法眼蔵随聞記』巻一宋土の寺院なんどには都て雑談をせざれば、其やうなること、をも云はざるなり、吾が国も近ごろ建仁寺の僧正存生の時は、一向あからさまにも此の如きの言語出来らず、滅後にも存世の時の弟子等、少々残りとヾまりたりし時は一切に云はざりき、近ごろ此の七八年より以来、今ま出の若き人たち時々談ずるなり、存外の次第なり、聖教の中にも麁强悪業令人覚悟無利言説能障正道とありて、只うち出して云処の言ばすら、無利の言説は障道の因縁なり況やかくの如きの言語は、ことばに引れて即ち心も起りつべし、最も用心すべきなり、故さらにかくなん云はじとせずとも、悪きことゝ知りなば漸々に退治すべきなり、
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『甲陽軍鑑』品第六如此の三楽も無果報〓にや終に一国とはたもたず、彼の三楽信玄公の背語申つることを聞て弥三楽を高上に存する也、古語に曰く、金以火ヲ試ミ人ハ以言ヲ試ム云々、人の善悪を云にて、其の者の行何計の者也としる可、人は人をほむるもそしるも大切ならん、九思一言ことはにけがのなきが実の武士ならん、
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