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碧巌録 / 第十二則

所以道。垂鉤四海只釣獰龍。格外玄機。為尋知已。雪竇是出陰界底人。豈作這般見解。雪竇輕輕去敲關擊節處。略露些子教爾見。便下箇注脚道。善應何曾有輕觸。洞山不輕酬這僧。如鐘在扣。如谷受響。大小隨應。不敢輕觸。雪竇一時。突出心肝五臟。呈似爾諸人了也。雪竇有靜而善應頌云。覿面相呈。不在多端。龍蛇易辨。衲子難瞞。金鎚影動。寶劍光寒。直下來也。急著眼看。

新字:所以道。垂鉤四海只釣獰竜。格外玄機。為尋知已。雪竇是出陰界底人。豈作這般見解。雪竇軽軽去敲関撃節処。略露些子教爾見。便下箇注脚道。善応何曽有軽触。洞山不軽酬這僧。如鐘在扣。如谷受響。大小随応。不敢軽触。雪竇一時。突出心肝五臓。呈似爾諸人了也。雪竇有静而善応頌云。覿面相呈。不在多端。竜蛇易弁。衲子難瞞。金鎚影動。宝剣光寒。直下来也。急著眼看。

書き下し

所以に道ふ、鉤を四海に垂るるは只だ獰龍を釣る、格外の玄機は知己を尋ねんが為なり。雪竇は是れ陰界を出づる底の人、豈に這般の見解を作さんや。雪竇軽軽に去きて関を敲き節を撃つ処、略ぼ些子を露はして爾をして見せしむ。便ち箇の注脚を下して道ふ、善く応じて何ぞ曾て軽触有らんと。洞山軽しく這の僧に酬いず。鐘の扣くに在るが如く、谷の響きを受くるが如く、大小随つて応じ、敢へて軽しく触れず。雪竇一時に心肝五臓を突出して、爾諸人に呈似し了れり。雪竇に静にして善く応ずるの頌有りて云く、覿面に相呈す、多端に在らず。龍蛇は弁じ易く、衲子は瞞じ難し。金鎚影動き、宝剣光寒し。直下に来たる、急ぎ眼を著けて看よ。

現代語訳

だから「釣り針を四方の海に垂れるのは、ただ猛々しい龍を釣るためであり、型を超えた玄妙な働きは、知己を探すためである」と言う。雪竇は五蘊の迷いの世界を抜け出た人であるから、どうしてそのような見解をとろうか。雪竇は軽やかに関所を叩き、拍子を打つところで、ほんの少しだけ露わにして、お前たちに見せている。そこで注を付けて「よく応じて、どうして軽々しく触れることがあろうか」と言った。洞山は軽々しくこの僧に応じたのではない。鐘が叩かれるのを待つように、谷がこだまを受けるように、大きく叩けば大きく、小さく叩けば小さく応じて、決して軽々しく触れはしない。雪竇は一度に心臓も肝も五臓もさらけ出して、お前たちに差し出してしまったのだ。雪竇には「静かにしてよく応ずる」という頌があり、こう言う。「顔を突き合わせて示す、手数は要らない。龍と蛇は見分けやすく、禅僧はだましにくい。金の槌の影が動き、宝剣の光は冷ややか。まっすぐやって来た、急いで眼をつけて見よ」。

解説

圜悟の頌評唱の続きで、雪竇の第二句、善応何曾有軽触を解く。洞山は僧に軽々しく応じたのではなく、鐘が打たれるのを待ち、谷がこだまを返すように、問いの大小に応じて答えたのだと圜悟は言う。四海に釣り針を垂れるのは猛々しい龍、すなわち真に問う者を釣るためであり、型を超えた働きは知己を探すためである。引かれた雪竇の別の頌も、顔を突き合わせればそれで足り、手数は要らないと説く。相手の問いの重さに応じて答え、余計な説明を足さないことは、良い応対の基本でもある。打たれれば鳴る鐘のような応じ方ができているかを問う。

この章句が説くこと

洞山応機知己雪竇言葉無心

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