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碧巌録 / 第十一則

凜凜孤風不自誇 端居寰海定龍蛇大中天子曾輕觸三度親遭弄爪牙雪竇此一頌。一似黃檗真贊相似。人却不得作真贊會。他底句下。便有出身處。分明道。凜凜孤風不自誇。黃檗恁麼示眾。且不是爭人負我。自逞自誇。若會這箇消息。一任七縱八橫。有時孤峯頂獨立。有時鬧市裏橫身。豈可僻守一隅。愈捨愈不歇。愈尋愈不見。愈擔荷愈沒溺。古人道。無翼飛天下。有名傳世間。盡情捨却佛法道理。玄妙奇特。一時放下。却較些子。自然觸處現成。

新字:凜凜孤風不自誇 端居寰海定竜蛇大中天子曽軽触三度親遭弄爪牙雪竇此一頌。一似黄檗真賛相似。人却不得作真賛会。他底句下。便有出身処。分明道。凜凜孤風不自誇。黄檗恁麼示衆。且不是争人負我。自逞自誇。若会這箇消息。一任七縦八横。有時孤峯頂独立。有時鬧市裏横身。豈可僻守一隅。愈捨愈不歇。愈尋愈不見。愈担荷愈没溺。古人道。無翼飛天下。有名伝世間。尽情捨却仏法道理。玄妙奇特。一時放下。却較些子。自然触処現成。

書き下し

凜凜たる孤風、自ら誇らず、端居して寰海に龍蛇を定む。大中天子曾て軽く触れ、三度親しく爪牙を弄するに遭ふ。雪竇の此の一頌、一に黄檗の真賛に似て相似たり。人却つて真賛の会を作すことを得ざれ。他の句下に、便ち出身の処有り。分明に道ふ、凜凜たる孤風、自ら誇らずと。黄檗恁麼に衆に示す、且つ是れ人と争ひ我に負き、自ら逞しくし自ら誇るにあらず。若し這箇の消息を会せば、一任七縦八横。有る時は孤峰頂上に独立し、有る時は鬧市裏に身を横たふ。豈に僻んで一隅を守るべけんや。愈々捨つれば愈々歇まず、愈々尋ぬれば愈々見えず、愈々担荷すれば愈々没溺す。古人道ふ、翼無くして天下に飛び、名有りて世間に伝ふ。尽情に仏法道理、玄妙奇特を捨却し、一時に放下せば、却つて些子に較れり。自然に触処現成す。

現代語訳

凛として孤高の風格があるが、自ら誇ることはない。どっしりと座ったまま、天下に龍と蛇とを見定める。大中天子はかつて軽はずみに触れて、三度、身をもってその爪と牙の餌食となった。雪竇のこの頌は、まるで黄檗の肖像に添える讃のようである。だが人はこれを肖像の讃と受け取ってはならない。その句の下にこそ、抜け出る道がある。はっきりと「凛として孤高の風格があるが、自ら誇ることはない」と言っている。黄檗がこのように示衆したのは、人と争って自分を押し通し、自分をひけらかし誇ろうとしたのではない。もしこの消息がわかれば、縦横自在にふるまってかまわない。あるときは孤峰の頂に独り立ち、あるときはにぎやかな街中に身を横たえる。どうして片隅にかたよって閉じこもっていられようか。捨てようとすればするほど止まず、探せば探すほど見えず、背負えば背負うほど沈んでいく。古人は言った、「翼がなくても天下を飛び、名があって世間に伝わる」と。仏法の道理や、玄妙で奇特なものをすっかり捨て去り、一度に手放してしまえば、かえって少しはましになる。おのずから、触れるところすべてにそのまま現れている。

解説

雪竇の頌と、それに対する圜悟の評唱の冒頭である。雪竇は黄檗を、凛とした孤高の風を持ちながら誇らず、座ったまま龍と蛇とを見分ける人として詠み、さらに後の宣宗である大中天子が黄檗に三度打たれた話を添える。底本では頌の後半二句が評唱の頭に入っているため、ここでは頌と評唱の冒頭を一つにした。圜悟は、これを単なる肖像の讃と読むなと言い、捨てよう探そう背負おうとするほど沈むと説く。力んで頑張るほど見えなくなるものがある。手放したときに、その場その場でおのずと答えが現れるという指摘は、行き詰まった仕事にも通じる。

この章句が説くこと

雪竇黄檗孤風放下無心自由

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