碧巌録 / 第二十七則
凡出言吐氣。須是如鉗如鋏。有鉤有鎖。須是相續不斷始得。這僧問處有宗旨。雲門答處亦然。雲門尋常以三句接人。此是極則也。雪竇頌這公案。與頌大龍公案相類。三句可辨。一句中具三句。若辨得則透出三句外。一鏃遼空。鏃乃箭鏃也。射得太遠。須是急著眼看始得。若也見得分明。可以一句之下。開展大千沙界。到此頌了雪竇有餘才。所以展開頌出道。大野兮涼飈颯颯。長天兮疎雨濛濛。且道是心是境。是玄是妙。古人道。法法不隱藏。古今常顯露。他問樹凋葉落時如何。雲門道體露金風。雪竇意只作一境。如今眼前。風拂拂地。不是東南風。便是西北風。直須便恁麼會始得。爾若更作禪道會。便沒交涉。君不見。少林久坐未歸客。達磨未歸西天時。九年面壁。靜悄悄地。且道是樹凋葉落。且道是體露金風。若向這裏。盡古今凡聖。乾坤大地。打成一片。方見雲門雪竇的的為人處。靜依熊耳一叢叢。熊耳即西京嵩山少林也。前山也千叢萬叢。後山也千叢萬叢。諸人向什麼處見。還見雪竇為人處麼。也是靈龜曳尾。
新字:凡出言吐気。須是如鉗如鋏。有鉤有鎖。須是相続不断始得。這僧問処有宗旨。雲門答処亦然。雲門尋常以三句接人。此是極則也。雪竇頌這公案。与頌大竜公案相類。三句可弁。一句中具三句。若弁得則透出三句外。一鏃遼空。鏃乃箭鏃也。射得太遠。須是急著眼看始得。若也見得分明。可以一句之下。開展大千沙界。到此頌了雪竇有余才。所以展開頌出道。大野兮涼飈颯颯。長天兮疎雨濛濛。且道是心是境。是玄是妙。古人道。法法不隠蔵。古今常顕露。他問樹凋葉落時如何。雲門道体露金風。雪竇意只作一境。如今眼前。風払払地。不是東南風。便是西北風。直須便恁麼会始得。爾若更作禅道会。便没交渉。君不見。少林久坐未帰客。達磨未帰西天時。九年面壁。静悄悄地。且道是樹凋葉落。且道是体露金風。若向這裏。尽古今凡聖。乾坤大地。打成一片。方見雲門雪竇的的為人処。静依熊耳一叢叢。熊耳即西京嵩山少林也。前山也千叢万叢。後山也千叢万叢。諸人向什麼処見。還見雪竇為人処麼。也是霊亀曳尾。
書き下し
凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
現代語訳
およそ言葉を出し息を吐くには、ペンチやはさみのように、鉤や鎖のように、しっかりと相手をとらえるものでなければならない。そして途切れずに続いていてこそよい。この僧の問うところには宗旨があり、雲門の答えるところもまた同じである。雲門はふだん三句で人を導いた。これは究極のものである。雪竇がこの公案を頌したのは、大龍の公案を頌したのと似ている。「三句は見分けることができる」とは、一句の中に三句がそなわっているということだ。見分けられれば、三句の外へ突き抜ける。「一本の矢じりははるか空の彼方へ」の鏃とは矢じりのことである。射たものがはるか遠くへ飛ぶので、すばやく眼をつけて見なければならない。もしはっきりと見て取れれば、一句のもとに三千大千世界を広げることができる。ここで頌を言い終えたが、雪竇には才が余っていたので、さらに広げて「広い野には涼しい風がさわさわと吹き、果てしない空にはまばらな雨がしとしとと降る」と詠んだ。さあ言え、これは心か境か、玄か妙か。古人は言った。「一つ一つの法は隠れてはおらず、古今を通じて常に露わである」と。彼は「樹が枯れしぼみ葉が落ちるときはどうですか」と問い、雲門は「体があらわになり、秋の風が吹きわたる」と言った。雪竇の意は、それをただ一つの境として示したのである。いま眼の前に風がそよそよと吹いている。東南の風でなければ西北の風だ。ただちにそのように会得してこそよい。もしさらに禅や道として理解しようとすれば、まったく関わりがない。「君は見ないか、少林寺に久しく坐って、まだ西へ帰らない客を」。達磨がまだインドに帰らないとき、九年間壁に向かって、ひっそりと静かに坐っていた。さあ言え、それは樹が枯れしぼみ葉が落ちることか、それとも体があらわになり秋の風が吹きわたることか。もしここで、古今の凡夫と聖者、天地大地をことごとく打って一つにできるなら、はじめて雲門と雪竇の確かな人の導き方が見えるだろう。「静かに熊耳山の茂みに身を寄せている」。熊耳山とは西京の嵩山少林寺のことである。前の山にも千の茂み万の茂み、後ろの山にも千の茂み万の茂み。皆はどこに見るのか。雪竇の人を導くところが見えるか。これもまた霊妙な亀が尾を引きずって跡を残しているのである。
解説
この章句が説くこと
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