導師導古典を学びたいすべての人に

碧巌録 / 第二則

雪竇知他落處。所以如此頌。至道無難。便隨後道。言端語端。舉一隅不以三隅反。雪竇道。一有多種。二無兩般。似三隅反一。爾且道。什麼處是言端語端處。為什麼一却有多種。二却無兩般。若不具眼。向什麼處摸索。若透得這兩句。所以古人道。打成一片。依舊見。山是山。水是水。長是長。短是短。天是天。地是地。有時喚天作地。有時喚地作天。有時喚山不是山。喚水不是水。畢竟怎生得平穩去。風來樹動。浪起船高。春生夏長。秋收冬藏。一種平懷。泯然自盡。則此四句頌頓絕了也。

新字:雪竇知他落処。所以如此頌。至道無難。便随後道。言端語端。舉一隅不以三隅反。雪竇道。一有多種。二無両般。似三隅反一。爾且道。什麼処是言端語端処。為什麼一却有多種。二却無両般。若不具眼。向什麼処摸索。若透得這両句。所以古人道。打成一片。依旧見。山是山。水是水。長是長。短是短。天是天。地是地。有時喚天作地。有時喚地作天。有時喚山不是山。喚水不是水。畢竟怎生得平穏去。風来樹動。浪起船高。春生夏長。秋収冬蔵。一種平懐。泯然自尽。則此四句頌頓絶了也。

書き下し

雪竇他の落処を知る、所以に此の如く頌す。「至道無難」、便ち後に随つて道ふ、「言端語端」。一隅を挙ぐるに三隅を以て反さず。雪竇道ふ、「一に多種有り、二に両般無し」。三隅にして一を反すに似たり。爾且く道へ、什麼の処か是れ言端語端の処。什麼と為てか一に却つて多種有り、二に却つて両般無き。若し眼を具せずんば、什麼の処に向つてか摸索せん。若し這の両句を透得せば、所以に古人道ふ、「打成一片」と。依旧として見る、山は是れ山、水は是れ水、長は是れ長、短は是れ短、天は是れ天、地は是れ地。有る時は天を喚んで地と作し、有る時は地を喚んで天と作し、有る時は山を喚んで山にあらずとし、水を喚んで水にあらずとす。畢竟怎生か平穏に去ることを得ん。風来れば樹動き、浪起れば船高し。春生じ夏長じ、秋収め冬蔵む。一種平懐なれば、泯然として自ら尽く。則ち此の四句の頌、頓に絶し了れり。

現代語訳

雪竇は趙州の落ち着きどころを知っていたので、このように頌した。「至道無難」と言うと、すぐ後に続けて「言葉もまっすぐ、語もまっすぐ」と言った。一つの隅を示されても三つの隅で返さない者には教えない、というが、雪竇は「一つに多くの種類があり、二つに二様はない」と言った。これは三つの隅から一つを返すようなものだ。お前たちよ、さあ言ってみよ、どこが言葉も語もまっすぐなところか。なぜ一つにかえって多くの種類があり、二つにかえって二様がないのか。もし眼を具えていなければ、どこを手探りするのか。もしこの二句を透過できたなら、それゆえ古人は「打って一つにする」と言うのだ。もとのとおりに見れば、山は山、水は水、長いものは長く、短いものは短く、天は天、地は地である。ある時は天を地と呼び、ある時は地を天と呼び、ある時は山を山でないと呼び、水を水でないと呼ぶ。結局どうすれば穏やかに落ち着けるのか。風が来れば樹が揺れ、波が立てば船が高くなる。春に生じ夏に育ち、秋に収め冬に蔵する。ひとしく平らかな心でいれば、跡形もなくおのずから尽きる。そうであれば、この四句の頌はたちどころに尽き果てている。

解説

圜悟による頌の評唱の冒頭である。雪竇は趙州の落ち着きどころを知っていたからこそ「言端語端」「一に多種有り、二に両般無し」と詠んだと圜悟は言う。この二句を透れば、すべてを打って一つにする境地があり、そこでは山は山、水は水とそのまま見え、時には天を地と呼ぶこともできる。風が来れば樹が揺れ、春に生じ冬に蔵するという自然の運びに、選り好みのない平らかな心が重ねられる。信心銘の「一種平懐、泯然自尽」もここで引かれる。現代の働く者には、物事をあるがままに見ながら、必要とあれば見方を自在に転じられる柔らかさの大切さを教える一段である。

この章句が説くこと

打成一片一種平懐分別自然あるがまま平常

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る