碧巌録 / 第八則
翠巖示徒 千古無對關字相酬 失錢遭罪潦倒保福抑揚難得 嘮嘮翠巖分明是賊白圭無玷誰辨真假 長慶相諳眉毛生也
新字:翠巖示徒 千古無対関字相酬 失銭遭罪潦倒保福抑揚難得 嘮嘮翠巖分明是賊白圭無玷誰弁真仮 長慶相諳眉毛生也
書き下し
翠巌徒に示す、千古対無し。関字相酬ゆ、銭を失して罪に遭ふ。潦倒たる保福、抑揚得難し。嘮嘮たる翠巌、分明に是れ賊。白圭玷無し、誰か真仮を弁ぜん。長慶相諳んず、眉毛生ぜり。
現代語訳
翠巌が弟子たちに示した言葉は、千古にわたって答えられる者がいない。「関」の一字で応酬したが、銭を失った上に罪に問われた。老いぼれた保福は、抑えるも揚げるも難しい。よくしゃべる翠巌は、明らかに盗人だ。白い玉には傷ひとつない、誰が真偽を見分けられようか。長慶はよく心得ていて、「眉毛は生えている」と言った。
解説
雪竇重顕が第八則に付けた頌である。冒頭で翠巌の示衆を千古に対する者なしと称え、続いて雲門の「関」、保福の「作賊人心虚」、長慶の「生也」を一句ずつ詠み込む。雲門の関の字には銭を失って罪に遭うと言い、保福には抑揚が難しいと言い、翠巌を明らかに盗人だと言う。だがその翠巌を白い玉に傷がないとたたえ、誰が真偽を見分けられるかと問う。最後は長慶がよく心得ていて眉毛は生えていると言ったと結ぶ。褒めるようで貶し、貶すようで褒める雪竇の筆法が見どころである。現代の働く者には、一つの言葉への応答の多様さと、評価の表裏を読み解く眼を養う題材となる。
この章句が説くこと
千古無対雪竇頌評価言葉翠巌
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