甲陽軍鑑 / 品第四十
右のごとく三河一國持て遠州まで手をかけたる家康を利根と云ふはおろかなり、利口とほむるもすべをしらぬ仰られ樣にて候、家康の儀是は日本に若手の甚しき弓取と申者にて候ぞ、必らず穴山殿御心得なされよと馬塲美濃守申せば、穴山伊豆守殿あやまりて、そつじに問たるゆるし給へ馬塲美濃殿とて、其後どつとわらふて、たがひに座敷をたち給ふなり一土屋右衞門尉所へ山縣三郞兵衞尉振舞に參らるこは、
新字:右のごとく三河一国持て遠州まで手をかけたる家康を利根と云ふはおろかなり、利口とほむるもすべをしらぬ仰られ様にて候、家康の儀是は日本に若手の甚しき弓取と申者にて候ぞ、必らず穴山殿御心得なされよと馬塲美濃守申せば、穴山伊豆守殿あやまりて、そつじに問たるゆるし給へ馬塲美濃殿とて、其後どつとわらふて、たがひに座敷をたち給ふなり一土屋右衛門尉所へ山県三郎兵衛尉振舞に参らるこは、
書き下し
右のごとく三河一国持て遠州まで手をかけたる家康を利根と云ふはおろかなり、利口とほむるもすべをしらぬ仰られ様にて候、家康の儀是は日本に若手の甚しき弓取と申者にて候ぞ、必らず穴山殿御心得なされよと馬塲美濃守申せば、穴山伊豆守殿あやまりて、そつじに問たるゆるし給へ馬塲美濃殿とて、其後どつとわらふて、たがひに座敷をたち給ふなり一土屋右衛門尉所へ山県三郎兵衛尉振舞に参らるこは、
現代語訳
右のように三河一国を持って遠州まで手をかけた家康を、利根と言うのは愚かである。利口と褒めるのも、すべを知らない仰せられようでございます。家康の儀は、これは日本で若手の甚だしい弓取と申す者でございますぞ。必ず穴山殿はお心得なされよと馬場美濃守が申せば、穴山伊豆守殿は誤って、そそっかしく問うたのを許されよ馬場美濃殿と言って、その後どっと笑って、互いに座敷を立たれるのである。
解説
褒め言葉の使い方から始まった話が、家康の格付けで締められる。利根でも利口でもなく、若手で最も甚だしい弓取だと。そして穴山が素直に非を認め、どっと笑って別れる。目上が誤りを認めて笑って終わるところに、この家中の風通しが出ている。目上が誤りを認めて笑って終わるところに、この家中の風通しが出ている。褒め言葉の使い方から始まった話が、家康の格付けで締められる。
この章句が説くこと
家康評価弓取言葉穴山馬場
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