碧巌録 / 第八則
舉翠嵒夏末示眾云。一夏以來。為兄弟說話看翠嵒眉毛在麼保福云。作賊人心虛長慶云。生也雲門云。關。
新字:舉翠嵒夏末示衆云。一夏以来。為兄弟説話看翠嵒眉毛在麼保福云。作賊人心虚長慶云。生也雲門云。関。
書き下し
挙す。翠巌夏末に衆に示して云く、「一夏以来、兄弟の為に説話す。看よ翠巌が眉毛在りや」。保福云く、「賊と作る人心虚なり」。長慶云く、「生ぜり」。雲門云く、「関」。
現代語訳
取り上げる。翠巌が夏安居の終わりに大衆に示して言った。「この夏のあいだ、兄弟たちのために法を説いてきた。見よ、翠巌の眉毛はまだあるか」。保福は言った。「盗みを働く者は心がびくびくするものだ」。長慶は言った。「生えている」。雲門は言った。「関」。
解説
第八則の本則で、主人公は雪峰門下の翠巌令参である。夏安居の終わりに翠巌は、この夏ずっと皆のために法を説いてきたが、わたしの眉毛はまだあるかと問う。法を説きすぎると眉毛が抜け落ちるという俗信を踏まえた問いである。これに同門の保福・長慶・雲門がそれぞれ一言で応じた。保福は泥棒は心がびくびくすると言い、長慶は生えていると言い、雲門はただ「関」と言った。三人の答えはそれぞれ別の角度から翠巌に応じており、どれが正しいかを比べるより、一人ひとりの出口を見ることが求められる。現代の働く者には、人に教えた後に、自分は語りすぎていないかと振り返る誠実さとして読める。
この章句が説くこと
翠巌眉毛雲門関公案言葉
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