碧巌録 / 第七則
雪竇第三第四句。忒殺傷慈。為人一時說破。超禪師當下大悟處。如三級浪高魚化龍。癡人猶戽夜塘水。禹門三級浪。孟津即是龍門。禹帝鑿為三級。今三月三。桃花開時。天地所感。有魚透得龍門。頭上生角昂鬃鬣尾。拏雲而去。跳不得者點額而回。癡人向言下咬嚼。似戽夜塘之水求魚相似。殊不知。魚已化為龍也。端師翁有頌云。一文大光錢。買得箇油糍。喫向肚裏了。當下不聞飢。此頌極好。只是太拙。雪竇頌得極巧。不傷鋒犯手。舊時慶藏主愛問人。如何是三級浪高魚化龍。我也不必在。我且問爾。化作龍去。即今在什麼處。
新字:雪竇第三第四句。忒殺傷慈。為人一時説破。超禅師当下大悟処。如三級浪高魚化竜。痴人猶戽夜塘水。禹門三級浪。孟津即是竜門。禹帝鑿為三級。今三月三。桃花開時。天地所感。有魚透得竜門。頭上生角昂鬃鬣尾。拏雲而去。跳不得者点額而回。痴人向言下咬嚼。似戽夜塘之水求魚相似。殊不知。魚已化為竜也。端師翁有頌云。一文大光銭。買得箇油糍。喫向肚裏了。当下不聞飢。此頌極好。只是太拙。雪竇頌得極巧。不傷鋒犯手。旧時慶蔵主愛問人。如何是三級浪高魚化竜。我也不必在。我且問爾。化作竜去。即今在什麼処。
書き下し
雪竇第三第四句、忒殺だ慈を傷つけて、人の為に一時に説破す。超禅師当下に大悟する処、三級浪高うして魚龍と化し、癡人猶ほ夜塘の水を戽むが如し。禹門の三級浪、孟津即ち是れ龍門。禹帝鑿つて三級と為す。今三月三、桃花開く時、天地の感ずる所、魚有りて龍門を透得すれば、頭上に角を生じ、鬃鬣尾を昂げ、雲を拏んで去る。跳び得ざる者は額に点じて回る。癡人言下に向つて咬嚼す、夜塘の水を戽んで魚を求むるに似て相似たり。殊に知らず、魚已に化して龍と為ることを。端師翁頌有りて云く、「一文の大光銭、箇の油糍を買ひ得たり。肚裏に喫し向け了れば、当下に飢を聞かず」。此の頌極めて好し。只だ是れ太だ拙なり。雪竇の頌得極めて巧みにして、鋒を傷り手を犯さず。旧時慶蔵主愛して人に問ふ、「如何なるか是れ三級浪高うして魚龍と化す」。我も也た在ることを必せず。我且く爾に問ふ、化して龍と作り去る、即今什麼の処にか在る。
現代語訳
雪竇の第三句・第四句は、ひどく慈悲が過ぎて、人のために一度に説き破ってしまっている。慧超禅師がその場で大悟したところは、「三段の滝の波が高くそびえて魚は龍と化したのに、愚か者はなお夜の池の水を汲み干している」ようなものである。禹門の三段の波、孟津とはつまり龍門のことである。禹帝が切り開いて三段の滝とした。今、三月三日の桃の花が咲く頃、天地の感応によって、魚が龍門を登り切ると、頭に角が生え、たてがみと尾を立てて、雲をつかんで去っていく。跳び越えられなかった者は額に傷をつけて戻る。愚か者は言葉の下で噛み続けているが、夜の池の水を汲み干して魚を求めるようなものだ。まったく知らないのだ、魚がもう龍になってしまったことを。端師翁(白雲守端)の頌に言う。「一文の大光銭で、油餅を一つ買った。腹の中に食べてしまえば、すぐに飢えを覚えない」。この頌は極めて良い。ただひどく拙い。雪竇の頌は極めて巧みで、刃を傷めず手も切らない。昔、慶蔵主は好んで人に「三段の滝の波が高くそびえて魚は龍と化す、とは何か」と問うた。わたしはそんなことは問わなくてよい。わたしはひとまずお前に問う。化して龍となって去ったものは、今どこにいるのか。
解説
この章句が説くこと
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