文武訓 / 武訓下
一神功皇后の新羅を攻めに行き給ひし時の軍令。日本紀に出でたり。もろこしの良將の軍令にもまさりて、貴ぶべし。一挑戰といふことはいかん。兵を合せ戰はんとするに、まづ勇士をさきに出して、敵を討たしむるをいふ。本邦にて、近古豐臣秀吉の、柴田勝家と戰はんとて、先近江の賤が嶽に陣せられしに、兩陣よりたがひに兵を出して戰はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを挑戰といふ。
新字:一神功皇后の新羅を攻めに行き給ひし時の軍令。日本紀に出でたり。もろこしの良将の軍令にもまさりて、貴ぶべし。一挑戦といふことはいかん。兵を合せ戦はんとするに、まづ勇士をさきに出して、敵を討たしむるをいふ。本邦にて、近古豊臣秀吉の、柴田勝家と戦はんとて、先近江の賤が嶽に陣せられしに、両陣よりたがひに兵を出して戦はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを挑戦といふ。
書き下し
一神功皇后の新羅を攻めに行き給ひし時の軍令。日本紀に出でたり。もろこしの良将の軍令にもまさりて、貴ぶべし。一挑戦といふことはいかん。兵を合せ戦はんとするに、まづ勇士をさきに出して、敵を討たしむるをいふ。本邦にて、近古豊臣秀吉の、柴田勝家と戦はんとて、先近江の賤が嶽に陣せられしに、両陣よりたがひに兵を出して戦はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを挑戦といふ。
現代語訳
神功皇后が新羅を攻めに行かれたときの軍令は、『日本書紀』に出ています。中国の良将の軍令にもまさって、貴ぶべきものです。「挑戦」とはどういうことでしょうか。兵を合わせて戦おうとするときに、まず勇士を先に出して敵を討たせることをいいます。わが国では、近い昔に豊臣秀吉が柴田勝家と戦おうとして、まず近江の賤ヶ岳に陣を敷かれたとき、両陣からたがいに兵を出して戦わせました。秀吉の勇士七人が先駆けして敵を退けました。このようにするのを挑戦というのです。
解説
この章句が説くこと
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