武訓 / 下・第22段
挑戰といふことはいかん。兵を合せ戰はんとするに、まづ、勇士をさきに出して、敵をうたしむるをいふ。本邦にて、近古、豐臣秀吉の、柴田勝家と戰はんとて、先、近江の賤か嶽に陣せられしに、兩陣より、たがひに、兵を出して戰はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを、挑戰といふ。
新字:挑戦といふことはいかん。兵を合せ戦はんとするに、まづ、勇士をさきに出して、敵をうたしむるをいふ。本邦にて、近古、豊臣秀吉の、柴田勝家と戦はんとて、先、近江の賤か嶽に陣せられしに、両陣より、たがひに、兵を出して戦はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを、挑戦といふ。
書き下し
挑戰といふことはいかん。兵を合せ戰はんとするに、まづ、勇士をさきに出して、敵をうたしむるをいふ。本邦にて、近古、豐臣秀吉の、柴田勝家と戰はんとて、先、近江の賤か嶽に陣せられしに、兩陣より、たがひに、兵を出して戰はしむ。秀吉の勇士七人、先がけして敵を退けたり。かくのごとくするを、挑戰といふ。
現代語訳
挑戦とはどういうことか。兵を合わせて戦おうとするとき、まず勇士を先に出して敵を討たせることをいう。わが国で近い昔、豊臣秀吉が柴田勝家と戦おうとして、まず近江の賤が岳に陣を張られたとき、両陣からたがいに兵を出して戦わせた。秀吉の勇士七人が先駆けして敵を退けた。このようにするのを挑戦という。
解説
「挑戦」という語の意味を、戦の作法として説明する段です。益軒の挙げる挑戦は、本格的な戦の前に勇士を先に出して敵と当たらせることで、現代の「新しいことに挑む」という意味とは少し違います。例として、秀吉と柴田勝家が賤が岳で対した際、両陣から兵を出し、秀吉方の勇士七人が先駆けして敵を退けたことが挙げられています。大勢が動く前に、小さな先発隊で相手の出方や自軍の勢いを確かめるという考え方は、新規事業や新商品の試行にも置き換えられます。全面投入の前に、まず小さく当ててみる発想の古い形として読めます。
この章句が説くこと
挑戦勇士先駆け賤が岳試行武訓
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