碧巌録 / 第六則
且道。作麼生是第一句。到這裏。雪竇露些意教人見。爾但上不見有諸佛。下不見有眾生。外不見有山河大地。內不見有見聞覺知。如大死底人却活相似。長短好惡。打成一片。一一拈來更無異見。然後應用不失其宜。方見他道去却一拈得七。上下四維無等匹。若於此句透得。直得上下四維無有等匹。森羅萬象。草芥人畜。著著全彰自己家風。所以道。萬象之中獨露身。惟人自肯乃方親。昔年謬向途中覓。今日看來火裏氷。天上天下惟我獨尊。人多逐末不求其本。先得本正。自然風行草偃。水到渠成。
新字:且道。作麼生是第一句。到這裏。雪竇露些意教人見。爾但上不見有諸仏。下不見有衆生。外不見有山河大地。内不見有見聞覚知。如大死底人却活相似。長短好悪。打成一片。一一拈来更無異見。然後応用不失其宜。方見他道去却一拈得七。上下四維無等匹。若於此句透得。直得上下四維無有等匹。森羅万象。草芥人畜。著著全彰自己家風。所以道。万象之中独露身。惟人自肯乃方親。昔年謬向途中覓。今日看来火裏氷。天上天下惟我独尊。人多逐末不求其本。先得本正。自然風行草偃。水到渠成。
書き下し
且く道へ、作麼生か是れ第一句。這裏に到つて、雪竇些かの意を露はして人をして見せしむ。爾但だ上に諸仏有ることを見ず、下に衆生有ることを見ず、外に山河大地有ることを見ず、内に見聞覚知有ることを見ず、大死底の人の却つて活するが如くに相似たらば、長短好悪、打成一片して、一一拈じ来るに更に異見無し。然る後に応用其の宜しきを失はず、方に他の「一を去却し、七を拈得す、上下四維等匹無し」と道ふを見ん。若し此の句に於て透得せば、直に上下四維に等匹有ること無きことを得ん。森羅万象、草芥人畜、著著全く自己の家風を彰す。所以に道ふ、「万象の中独り露はるる身、惟だ人自ら肯ひて乃ち方に親し。昔年謬つて途中に向つて覓む、今日看来れば火裏の氷」。天上天下唯我独尊。人多く末を逐うて其の本を求めず。先づ本正しきことを得ば、自然に風行き草偃し、水到り渠成る。
現代語訳
さあ言ってみよ、第一句とは何か。ここに至って、雪竇はいささか意を見せて人に示した。お前がただ、上には諸仏があるのを見ず、下には衆生があるのを見ず、外には山河大地があるのを見ず、内には見聞覚知があるのを見ず、大いに死に切った人がかえって生き返ったようであれば、長い短い、好い悪いが打って一つになり、一つ一つ取り上げても、もはや異なる見方はない。その後で用いるに当たって適切さを失わず、はじめて彼が「一を取り除き、七を拾い上げる。上下四方に並ぶものはない」と言ったのが見えるだろう。もしこの句を透過できたなら、まさしく上下四方に並ぶものがない境地を得る。森羅万象、草も人も畜生も、一つ一つが自己の家風をまるごと現している。だから「万象の中にただ一つ露わな身、ただ人が自ら肯ってはじめて親しくなる。昔は誤って道の途中に探し求めたが、今日見れば火の中の氷のようだ」と言うのである。天上天下唯我独尊。人の多くは末を追って本を求めない。まず本が正しくなれば、おのずと風が吹けば草がなびき、水が来れば溝ができるのである。
解説
この章句が説くこと
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