碧巌録 / 第六則
雪竇頌古。偏能如此。當頭以金剛王寶劍。揮一下了。然後略露些風規。雖然如此。畢竟無有二解。去却一拈得七。人多作算數會道。去却一是十五日已前事。雪竇驀頭下兩句言語印破了。却露出教人見。去却一拈得七。切忌向言句中作活計。何故胡餅有什麼汁。人多落在意識中。須是向語句未生已前。會取始得。大用現前。自然見得也。所以釋迦老子成道後。於摩竭提國。三七日中。思惟如是事。諸法寂滅相。不可以言宣。我寧不說法。疾入於涅槃。到這裏覓箇開口處不得。以方便力故。為五比丘說已。至三百六十會。說一代時教。只是方便。所以脫珍御服。著獘垢衣。不得已。而向第二義門中淺近之處。誘引諸子。若教他向上全提。盡大地無一箇半箇。
新字:雪竇頌古。偏能如此。当頭以金剛王宝剣。揮一下了。然後略露些風規。雖然如此。畢竟無有二解。去却一拈得七。人多作算数会道。去却一是十五日已前事。雪竇驀頭下両句言語印破了。却露出教人見。去却一拈得七。切忌向言句中作活計。何故胡餅有什麼汁。人多落在意識中。須是向語句未生已前。会取始得。大用現前。自然見得也。所以釈迦老子成道後。於摩竭提国。三七日中。思惟如是事。諸法寂滅相。不可以言宣。我寧不説法。疾入於涅槃。到這裏覓箇開口処不得。以方便力故。為五比丘説已。至三百六十会。説一代時教。只是方便。所以脱珍御服。著獘垢衣。不得已。而向第二義門中浅近之処。誘引諸子。若教他向上全提。尽大地無一箇半箇。
書き下し
雪竇の頌古、偏へに能く此の如し。当頭に金剛王宝剣を以て、揮ふこと一下し了つて、然る後に略ぼ些かの風規を露はす。然も此の如くなりと雖も、畢竟二解有ること無し。「一を去却し、七を拈得す」。人多く算数の会を作して道ふ、「一を去却するは是れ十五日已前の事」と。雪竇驀頭に両句の言語を下して印破し了り、却つて露出して人をして見せしむ。「一を去却し、七を拈得す」。切に忌む言句中に向つて活計を作すことを。何が故ぞ。胡餅に什麼の汁か有らん。人多く意識の中に落在す。須らく是れ語句未だ生ぜざる已前に向つて会取して始めて得べし。大用現前して、自然に見得せん。所以に釈迦老子成道の後、摩竭提国に於て、三七日の中、是の如き事を思惟す、「諸法寂滅の相、言を以て宣ぶべからず。我寧ろ法を説かずして、疾く涅槃に入らん」。這裏に到つて箇の口を開く処を覓むるも得ず。方便力を以ての故に、五比丘の為に説き已つて、三百六十会に至るまで、一代時教を説く。只だ是れ方便なり。所以に珍御の服を脱ぎ、弊垢の衣を著け、已むことを得ずして、第二義門中の浅近の処に向つて、諸子を誘引す。若し他をして向上全提せしめば、尽大地に一箇半箇も無からん。
現代語訳
雪竇の頌古は、ひたすらこのようによくできている。真っ向から金剛王の宝剣を一振りしてから、その後でいささか趣を見せる。とはいえ、結局のところ二通りの解釈はない。「一を取り除き、七を拾い上げる」。人の多くは数の計算として理解して「一を取り除くのは十五日以前の事だ」と言う。雪竇は真っ向から二句の言葉を下して封印を打ち破り、かえってそれをさらけ出して人に見せたのである。「一を取り除き、七を拾い上げる」。決して言葉の中で暮らしを立ててはならない。なぜか。胡麻餅に何の汁があろうか。人の多くは意識の中に落ちている。言葉がまだ生じない以前のところで理解してこそよいのである。大いなる働きが目の前に現れて、おのずと見えてくる。それゆえ釈迦老子は成道の後、摩竭陀国で三七日のあいだ、このような事を思惟した。「諸法の寂滅の相は、言葉で述べることはできない。わたしはむしろ法を説かずに、速やかに涅槃に入ろう」。ここに至っては口を開く所を探しても得られない。方便の力によって、五人の比丘のために説いてから、三百六十会に至るまで、一代の教えを説いた。それはただ方便である。それゆえ珍しい王者の衣を脱ぎ、粗末で汚れた衣を着て、やむを得ず第二義の門の浅く近いところで、弟子たちを誘い導いたのである。もし彼らに向上の事をまるごと示したなら、大地じゅうに一人も半人もいなくなるだろう。
解説
この章句が説くこと
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