碧巌録 / 第六則
去却一 拈得七 上下四維無等匹徐行踏斷流水聲縱觀寫出飛禽跡 草茸茸煙羃羃 空生巖畔花狼籍彈指堪悲舜若多莫動著動著三十棒
新字:去却一 拈得七 上下四維無等匹徐行踏断流水声縦観写出飛禽跡 草茸茸煙羃羃 空生巖畔花狼籍弾指堪悲舜若多莫動著動著三十棒
書き下し
一を去却し、七を拈得す。上下四維等匹無し。徐ろに行いて踏断す流水の声、縦に観て写出す飛禽の跡。草茸茸、煙羃羃。空生巌畔花狼籍。弾指して悲しむに堪へたり舜若多。動著すること莫れ。動著せば三十棒。
現代語訳
一を取り除き、七を拾い上げる。上下四方に並ぶものはない。ゆっくり歩いて流れる水の音を踏み断ち、自在に眺めて飛ぶ鳥の跡を描き出す。草はぼうぼうと茂り、靄は深く垂れこめる。須菩提の岩のほとりには花が散り乱れる。指を弾いて悲しむべし、虚空の神舜若多を。動いてはならない。動けば三十棒だ。
解説
雪竇重顕が第六則に付けた頌である。「一を去却し、七を拈得す」は十五日の前後を数で割り切る解釈を断つ句であり、そこから上下四方に並ぶもののない独尊の境地が開ける。流水の声を踏み断ち、飛ぶ鳥の跡を描き出すという句は、自在な働きを示す。続いて草や靄の風景、須菩提の岩のほとりに天が花を降らせた故事、虚空の神舜若多が詠まれ、無事の境地にも安住するなと戒める。最後は「動著すること莫れ、動著せば三十棒」と結ばれる。現代の働く者には、日々を好日とするには、達成にも空虚にも腰を据えず、一歩ごとに新たに歩む構えが要ることを思わせる。
この章句が説くこと
雪竇頌自在無事独尊安住
関連する章句
-
『碧巌録』第六則「徐ろに行いて踏断す流水の声」。徐徐に行動する時、浩浩たる流水の声も、也た応に踏断すべし。「縦に観て写出す飛禽の跡」。目を縦にして一観すれば、直饒ひ是れ飛禽の跡も亦た写出するが如くに相似たり。這裏に到つては、鑊湯炉炭も吹いて滅せしめ、剣樹刀山も喝して便ち摧く、難事と為さず。雪竇此に到つて、慈悲の故に、人の無事界中に坐在せんことを恐れて、復た道ふ、「草茸茸、煙羃羃」。所以に蓋覆却して、直に草茸茸、煙羃羃たることを得たり。且く道へ、是れ什麼人の境界ぞ。喚んで日日是れ好日と作して得んや。且喜すらくは没交渉。直に徐ろに行いて流水の声を踏断するも也た是ならず、縦に観て飛禽の跡を写出するも也た是ならず、草茸茸も也た是ならず、煙羃羃も也た是ならざることを得たり。直饒ひ総て恁麼ならざるも、正に是れ空生巌畔花狼籍なり。也た須らく是れ那辺に転過して始めて得べし。
-
『碧巌録』第六則雪竇の頌古、偏へに能く此の如し。当頭に金剛王宝剣を以て、揮ふこと一下し了つて、然る後に略ぼ些かの風規を露はす。然も此の如くなりと雖も、畢竟二解有ること無し。「一を去却し、七を拈得す」。人多く算数の会を作して道ふ、「一を去却するは是れ十五日已前の事」と。雪竇驀頭に両句の言語を下して印破し了り、却つて露出して人をして見せしむ。「一を去却し、七を拈得す」。切に忌む言句中に向つて活計を作すことを。何が故ぞ。胡餅に什麼の汁か有らん。人多く意識の中に落在す。須らく是れ語句未だ生ぜざる已前に向つて会取して始めて得べし。大用現前して、自然に見得せん。所以に釈迦老子成道の後、摩竭提国に於て、三七日の中、是の如き事を思惟す、「諸法寂滅の相、言を以て宣ぶべからず。我寧ろ法を説かずして、疾く涅槃に入らん」。這裏に到つて箇の口を開く処を覓むるも得ず。方便力を以ての故に、五比丘の為に説き已つて、三百六十会に至るまで、一代時教を説く。只だ是れ方便なり。所以に珍御の服を脱ぎ、弊垢の衣を著け、已むことを得ずして、第二義門中の浅近の処に向つて、諸子を誘引す。若し他をして向上全提せしめば、尽大地に一箇半箇も無からん。
-
『碧巌録』第六十則拄杖子乾坤を呑む、徒らに説く桃花浪奔ると。尾を焼く者は雲を拏み霧を攫むに在らず、腮を曝す者は何ぞ必ずしも胆を喪ひ魂を亡はん。拈じ了れり、聞くや聞かずや。直に須らく灑灑落落たるべし、休めよ更に紛紛紜紜たることを。七十二棒且く軽恕す、一百五十君を放ち難し。師驀に拄杖を拈じて下座す。大衆一時に走散す。
-
『碧巌録』第六則且く道へ、作麼生か是れ第一句。這裏に到つて、雪竇些かの意を露はして人をして見せしむ。爾但だ上に諸仏有ることを見ず、下に衆生有ることを見ず、外に山河大地有ることを見ず、内に見聞覚知有ることを見ず、大死底の人の却つて活するが如くに相似たらば、長短好悪、打成一片して、一一拈じ来るに更に異見無し。然る後に応用其の宜しきを失はず、方に他の「一を去却し、七を拈得す、上下四維等匹無し」と道ふを見ん。若し此の句に於て透得せば、直に上下四維に等匹有ること無きことを得ん。森羅万象、草芥人畜、著著全く自己の家風を彰す。所以に道ふ、「万象の中独り露はるる身、惟だ人自ら肯ひて乃ち方に親し。昔年謬つて途中に向つて覓む、今日看来れば火裏の氷」。天上天下唯我独尊。人多く末を逐うて其の本を求めず。先づ本正しきことを得ば、自然に風行き草偃し、水到り渠成る。
-
『碧巌録』第一則聖諦廓然、何当か的を弁ぜん。朕に対する者は誰そ、還た云ふ不識と。茲に因つて暗に江を渡る、豈に荊棘を生ずることを免れんや。闔国の人追へども再び来らず、千古万古空しく相憶ふ。相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん。師、左右を顧視して云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り。喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。
-
『碧巌録』第六十則雪竇の意に道ふ、既に額に点して回る、必ず胆を喪ひ魂を亡ふと。「拈じ了れり、聞くや聞かずや」。重ねて注脚を下し、一時に爾が与に掃蕩し了れり。諸人直に須らく灑灑落落として去るべし、休めよ更に紛紛紜紜たることを。爾若し更に紛紛紜紜たらば、拄杖子を失却し了らん。「七十二棒且く軽恕す」。雪竇爾が為に重きを捨てて軽きに従ふ。古人道ふ、「七十二棒、翻つて一百五十と成る」と。如今の人錯会して、却つて只だ数目を算じて、「合に是れ七十五棒なるべし、什麼としてか却つて只だ七十二棒なる」と。殊に知らず、古人の意は言外に在ることを。所以に道ふ、此の事は言句の中に在らずと。後人の去いて穿鑿することを免れしめんとして、雪竇所以に引用す。直饒ひ真箇に灑灑落落たるも、正に好し爾に七十二棒を与ふるに、猶ほ是れ軽恕なり。直饒ひ総て此の如くならずんば、「一百五十君を放ち難し」。一時に頌し了り、却つて更に拄杖を拈じて、重重に相為す。恁麼なりと雖も、也た一箇の皮下に血有るもの無し。嵎中の書隠、鼎めて圜悟の碧巌録を刊し、幸ひに已に事を訖ふ。四方の禅友、或いは祖庭事苑・万善同帰録及び禅宗の文字の、世に刊本罕なる者を収め得ば、幸ひに乞ふ示されよ、当に為に梓に繍し、以て禅学を広むべし。此れも亦た方便接引の一端なり。告ぐ、玉を舎つること毋くんば幸甚なり。稟白す。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る