碧巌録 / 第五則
一日示眾云。南山有一條鱉鼻蛇。汝等諸人切須好看取。時稜道者出眾云。恁麼則今日堂中大有人喪身失命去在。又云。盡大地是沙門一隻眼。汝等諸人。向什麼處屙。又云。望州亭與汝相見了也。烏石嶺與汝相見了也。僧堂前與汝相見了也。時保福問鵝湖。僧堂前即且置。如何是望州亭。烏石嶺相見處。鵝湖驟步歸方丈。他常舉這般語。示眾。只如道盡大地撮來如粟米粒大。這箇時節。且道以情識卜度得麼。須是打破羅籠。得失是非一時放下。洒洒落落。自然透得他圈繢。方見他用處。且道。雪峯意在什麼處。人多作情解道。心是萬法之主。盡大地一時在我手裏。且喜沒交涉。到這裏。須是箇真實漢。聊聞舉著。徹骨徹髓見得透。且不落情思意想。若是箇本色行脚衲子。見他恁麼。已是郎當為人了也。看他雪竇頌云。
新字:一日示衆云。南山有一条鱉鼻蛇。汝等諸人切須好看取。時稜道者出衆云。恁麼則今日堂中大有人喪身失命去在。又云。尽大地是沙門一隻眼。汝等諸人。向什麼処屙。又云。望州亭与汝相見了也。烏石嶺与汝相見了也。僧堂前与汝相見了也。時保福問鵝湖。僧堂前即且置。如何是望州亭。烏石嶺相見処。鵝湖驟歩帰方丈。他常舉這般語。示衆。只如道尽大地撮来如粟米粒大。這箇時節。且道以情識卜度得麼。須是打破羅籠。得失是非一時放下。洒洒落落。自然透得他圏繢。方見他用処。且道。雪峯意在什麼処。人多作情解道。心是万法之主。尽大地一時在我手裏。且喜没交渉。到這裏。須是箇真実漢。聊聞舉著。徹骨徹髄見得透。且不落情思意想。若是箇本色行脚衲子。見他恁麼。已是郎当為人了也。看他雪竇頌云。
書き下し
一日衆に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇有り、汝等諸人切に須らく好く看取すべし」。時に稜道者衆を出でて云く、「恁麼ならば則ち今日堂中大いに人の喪身失命し去る有らん」。又云く、「尽大地是れ沙門の一隻眼、汝等諸人、什麼の処に向つてか屙せん」。又云く、「望州亭汝と相見し了れり、烏石嶺汝と相見し了れり、僧堂前汝と相見し了れり」。時に保福鵝湖に問ふ、「僧堂前は即ち且く置く、如何なるか是れ望州亭烏石嶺の相見の処」。鵝湖驟歩して方丈に帰る。他常に這般の語を挙して衆に示す。只如へば尽大地撮み来れば粟米粒の大いさの如しと道ふ、這箇の時節、且く道へ、情識を以て卜度し得んや。須らく是れ羅籠を打破し、得失是非一時に放下して、洒洒落落として、自然に他の圏繢を透得して、方に他の用処を見るべし。且く道へ、雪峰の意什麼の処にか在る。人多く情解を作して道ふ、「心は是れ万法の主、尽大地一時に我が手裏に在り」と。且喜すらくは没交渉。這裏に到つては、須らく是れ箇の真実の漢にして、聊か挙著するを聞いて、徹骨徹髄に見得透し、且つ情思意想に落ちざるべし。若し是れ箇の本色行脚の衲子ならば、他の恁麼なるを見て、已に是れ郎当として人の為にし了れり。看よ他の雪竇頌して云く。
現代語訳
ある日、雪峰は大衆に示して言った。「南山に一匹の鼈鼻蛇(すっぽん鼻の毒蛇)がいる。お前たちはよくよく気をつけて見よ」。そのとき稜道者(長慶慧稜)が大衆の中から出て言った。「それでは今日、この堂の中で大勢が身を失い命を落とすでしょう」。また言った。「大地じゅうが沙門の一つの眼だ。お前たちはどこで糞をするのか」。また言った。「望州亭でお前たちと会った。烏石嶺でお前たちと会った。僧堂の前でお前たちと会った」。そのとき保福が鵝湖に問うた。「僧堂の前はひとまず置こう。望州亭や烏石嶺で会ったところとは何か」。鵝湖は足早に方丈へ帰った。雪峰はいつもこのような言葉を取り上げて大衆に示した。たとえば「大地をまるごとつまみ取ってみれば粟粒ほどの大きさだ」と言うが、このようなとき、さあ言ってみよ、情や分別で推し量れようか。網や籠を打ち破り、得失も是非も一度に放り出して、さっぱりとして、おのずと彼の仕掛けを透過してこそ、彼の働きが見えるのである。さあ言ってみよ、雪峰の意はどこにあるのか。人の多くは情による理解をして「心は万法の主であり、大地全体が一時にわが手の中にある」と言う。まったく見当違いである。ここに至っては、まことの男であって、少し取り上げられるのを聞いただけで、骨の髄まで見透し、しかも情や思いに落ちないのでなければならない。もし本物の行脚の禅僧なら、彼のこのありさまを見て、もうだらしないほど人のためにしてやったと知るだろう。雪竇が頌して言うのを見よ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第五則長慶雲門に問ふ、「雪峰与麼に道ふ、還た出頭不得の処有りや」。門云く、「有り」。慶云く、「作麼生」。門云く、「総て野狐精の見解を作すべからず」。雪峰云く、「匹上には足らず、匹下には余り有り。我更に爾が与に葛藤を打せん」。拄杖を拈じて云く、「還た雪峰を見るや。咄。王令稍厳にして、行市を攙奪することを許さず」。大溈喆云く、「我更に諸人の為に土上に泥を加へん」。拄杖を拈じて云く、「看よ看よ。雪峰諸人の面前に向つて屙を放つ。咄。什麼と為てか屎の臭きことも也た知らざる」。
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『碧巌録』第二十二則雪竇頌して這裏に到って、更に妙処有り、云く、「南北東西討ぬるに処無し」。爾道へ、什麼の処にか在る。「忽然として拄杖頭を突出す」、元来只だ這裏に在り。爾便ち拄杖頭上に向かって活計を作し去るべからず。雲門拄杖を以て雪峰の面前に攛向して怕るる勢を作す。雲門便ち拄杖を以て鼈鼻蛇と作して用ふ。有る時は却って云く、「拄杖子化して龍と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」と。只だ是れ一条の拄杖子、有る時は龍と作し、有る時は蛇と作す。什麼と為てか此の如くなる。這裏に到って方に知る、古人の「心は万境に随って転ず、転ずる処実に能く幽なり」と道ふことを。頌に道ふ、「雪峰に抛対して大いに口を張る。大いに口を張ること閃電に同じ」。雪竇余才有って、雲門の毒蛇を拈出して云く、只だ這の大いに口を張ること閃電に同じきに相似たり、爾若し擬議せば、則ち喪身失命せんと。「眉毛を剔起するも還た見えず」、什麼の処に向かってか去る。雪竇頌し了って、須らく活処に去って人の為にすべし。雪峰の蛇を将って自ら拈じ自ら弄す、妨げず殺活時に臨むことを。見んと要すや。云く、「如今乳峰の前に蔵在す」。乳峰は乃ち雪竇の山の名なり。雪竇頌有り、云く、「石総四顧すれば滄溟窄し、寥寥として白雲の白きを許さず」。長慶・玄沙・雲門、弄し得了ると雖も見えず。却って云く、「如今乳峰の前に蔵在す、来る者は一一方便を看よ」。雪竇猶ほ廉繊に渉る在り。言はずして便ち用ひ、却って高声に喝して云く、「脚下を看よ」。従上来多少の人か拈弄する。且く道へ、還た曾て人を傷著するや、曾て人を傷著せざるや。師便ち打つ。
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『碧巌録』第二十二則五祖先師道ふ、「此の鼈鼻蛇、須らく是れ傷犯せざる手脚の機有って、他の七寸上に於て、一捏に捏住して、便ち老僧と手を把って共に行くべし」と。長慶・玄沙は這般の手脚有り。雪竇道ふ、「稜師・備師も奈何ともせず」と。人多く道ふ、長慶・玄沙は奈何ともせず、所以に雪竇独り雲門を美むと。且く交渉没きことを得たり。殊に知らず、三人の中、機に得失無く、只だ是れ親疎有ることを。且く諸人に問ふ、什麼の処か是れ稜師・備師の奈何ともせざる処。「喪身失命多少か有る」、此れ長慶の「今日堂中大いに人の喪身失命する有り」と道ふを頌す。這裏に到って須らく是れ弄蛇の手有って、子細にして始めて得べし。雪竇他の雲門を出だす、所以に一時に撥却して、独り雲門一箇を存して、「韶陽知って、重ねて草を撥ふ」と道ふ。蓋し雲門の他の雪峰の南山に一条の鼈鼻蛇有りと道ふ落処を知るが為に、所以に重ねて草を撥ふ。
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『碧巌録』第二十二則象骨巌高うして人到らず、到る者は須らく是れ弄蛇の手なるべし。稜師・備師も奈何ともせず、喪身失命多少か有る。韶陽知って、重ねて草を撥ふ、南北東西討ぬるに処無し。忽然として拄杖頭を突出し、雪峰に抛対して大いに口を張る。大いに口を張ること閃電に同じ、眉毛を剔起するも還た見えず。如今乳峰の前に蔵在す、来る者は一一方便を看よ。師高声に喝して云く、「脚下を看よ」。象骨巌高うして人到らず、到る者は須らく是れ弄蛇の手なるべし。雪峰山下に象骨巌有り。雪峰は機鋒高峻にして、罕に人の他の処に到る有り。雪竇は是れ他屋裏の人なり。毛羽相似て、同声相応じ、同気相求む。也た須らく是れ通方の作者にして共に相証明すべし。只だ這の鼈鼻蛇、也た妨げず弄し難きことを。須らく是れ解く弄して始めて得べし。若し弄することを解せずんば、反って蛇に傷つけらる。
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『碧巌録』第二十二則這裏に到って也た須らく是れ格外の句を会して始めて得べし。一切の公案語言、挙し得将ち来たらば、便ち落処を知る。看よ他の恁麼に衆に示すを。且く爾が与に行を説き解を説かず、還た情識を将って測度し得んや。是れ他家の児孫ならば、自然に道ひ得て恰好なり。所以に古人道ふ、「言を承けては須らく宗を会すべし、自ら規矩を立つること勿れ。言は須らく格外有るべく、句は須らく透関を要すべし」と。若し是れ語窠窟を離れずんば、毒海の中に堕在せん。雪峰恁麼に衆に示す、無味の談と謂ひつべし、人の口を塞断す。長慶・玄沙は皆是れ他家屋裏の人にして、方に他の恁麼の説話を会す。只だ雪峰の「南山に一条の鼈鼻蛇有り」と道ふが如き、諸人還た落処を知るや。這裏に到って須らく是れ通方の眼を具して始めて得べし。見ずや、真浄頌有り、云く、「鼓を打ち琵琶を弄す、相逢ふ両会家。雲門は能く唱和し、長慶は解く随邪す。古曲は音韻無し、南山の鼈鼻蛇。何人か此の意を知る、端的是れ玄沙」。
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『碧巌録』第二十二則挙す。雪峰衆に示して云く、「南山に一条の鼈鼻蛇有り。汝等諸人、切に須らく好く看るべし」。長慶云く、「今日堂中、大いに人の喪身失命する有り」。僧、玄沙に挙似す。玄沙云く、「須らく是れ稜兄にして始めて得べし。是の如くなりと雖然も、我は即ち恁麼ならず」。僧云く、「和尚作麼生」。玄沙云く、「南山を用ひて什麼か作さん」。雲門、拄杖を以て雪峰の面前に攛向して、怕るる勢を作す。
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