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碧巌録 / 第四則

山遂取疏鈔。於法堂前。將火炬舉起云。窮諸玄辯。若一毫置於太虛。竭世樞機。似一滴投於巨壑。遂燒之。後聞溈山盛化。直造溈山。便作家相見。包亦不解。直上法堂。從東過西。從西過東。顧視云無無。便出。且道。意作麼生。莫是顛麼。人多錯會。用作建立。直是無交涉。看他恁麼。不妨奇特。所以道。出群須是英靈漢。敵勝還他師子兒。選佛若無如是眼。假饒千載又奚為。到這裏須是通方作者。方始見得。

新字:山遂取疏鈔。於法堂前。将火炬舉起云。窮諸玄弁。若一毫置於太虚。竭世枢機。似一滴投於巨壑。遂焼之。後聞溈山盛化。直造溈山。便作家相見。包亦不解。直上法堂。従東過西。従西過東。顧視云無無。便出。且道。意作麼生。莫是顛麼。人多錯会。用作建立。直是無交渉。看他恁麼。不妨奇特。所以道。出群須是英霊漢。敵勝還他師子児。選仏若無如是眼。仮饒千載又奚為。到這裏須是通方作者。方始見得。

書き下し

山遂に疏鈔を取つて、法堂の前に於て、火炬を将つて挙起して云く、「諸の玄弁を窮むるも、一毫を太虚に置くが若く、世の枢機を竭すも、一滴を巨壑に投ずるに似たり」。遂に之を焼く。後に溈山の盛化を聞いて、直に溈山に造り、便ち作家として相見す。包も亦た解かず、直に法堂に上り、東より西に過ぎ、西より東に過ぎ、顧視して云く、「無、無」。便ち出づ。且く道へ、意作麼生。是れ顛なること莫しや。人多く錯り会して、用て建立と作す。直に是れ交渉無し。看よ他の恁麼なる、妨げず奇特なることを。所以に道ふ、「群を出づるは須らく是れ英霊の漢なるべし、勝に敵するは還た他の師子児なり。選仏に若し是の如きの眼無くんば、仮饒ひ千載なるも又奚をか為さん」。這裏に到つては須らく是れ通方の作者にして、方に始めて見得すべし。

現代語訳

徳山はそこで注釈書を取り、法堂の前で松明を掲げて言った。「あらゆる玄妙な弁論を窮めても、一本の毛を大空に置くようなものであり、世の要となる働きを尽くしても、一滴の水を大きな谷に投げ込むようなものだ」。そしてそれを焼き捨てた。後に溈山の教化が盛んだと聞いて、まっすぐ溈山に行き、練達の者として相見した。包みも解かず、まっすぐ法堂に上がり、東から西へ、西から東へと歩き、見回して「無い、無い」と言って、すぐに出て行った。さあ言ってみよ、その意はどうなのか。気が狂ったのではないか。人の多くは誤解して、これを何かを打ち立てる働きだとする。まったく見当違いである。彼のこのありさまを見よ、実に見事である。だから「群を抜くのは英霊の男でなければならず、強敵に勝つのはやはり獅子の子である。仏を選ぶ場にこのような眼がなければ、たとえ千年かけても何になろうか」と言うのだ。ここに至っては四方に通じた練達の者であってこそ、ようやく見えるのである。

解説

圜悟は、悟った徳山が注釈書を法堂の前で焼き捨てた場面を語る。「玄弁を窮めても一毫を太虚に置くが若し、世の枢機を竭すも一滴を巨壑に投ずるに似たり」という言葉は、積み上げた学識が真実の前ではいかに小さいかを示す。その徳山が溈山の法堂で荷物も解かずに往き来し「無、無」と言ったのを、狂気と見るのも、何かを打ち立てる働きと見るのも、ともに見当違いだと圜悟は退ける。群を抜く英霊の男、獅子の子の振る舞いであり、四方に通じた者にしか見えないという。現代の働く者には、積み上げた知識を手放してはじめて身軽に動けるという、学び直しの覚悟として読める。

この章句が説くこと

疏鈔徳山知識手放す悟り英霊

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