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碧巌録 / 第一則

且據雪竇頌此公案。一似善舞太阿劍相似。向虛空中盤礴。自然不犯鋒鋩。若是無這般手段。纔拈著便見傷鋒犯手。若是具眼者。看他一拈一掇。一褒一貶。只用四句。揩定一則公案。大凡頌古只是繞路說禪。拈古大綱據欵結案而已。雪竇與他一拶。劈頭便道。聖諦廓然。何當辨的。雪竇於他初句下。著這一句。不妨奇特。且道。畢竟作麼生辨的。直饒鐵眼銅睛。也摸索不著。到這裏。以情識卜度得麼。所以雲門道。如擊石火。似閃電光。這箇些子。不落心機意識情想。等爾開口。堪作什麼。計較生時。鷂子過新羅。

新字:且拠雪竇頌此公案。一似善舞太阿剣相似。向虚空中盤礴。自然不犯鋒鋩。若是無這般手段。纔拈著便見傷鋒犯手。若是具眼者。看他一拈一掇。一褒一貶。只用四句。揩定一則公案。大凡頌古只是繞路説禅。拈古大綱拠欵結案而已。雪竇与他一拶。劈頭便道。聖諦廓然。何当弁的。雪竇於他初句下。著這一句。不妨奇特。且道。畢竟作麼生弁的。直饒鉄眼銅睛。也摸索不著。到這裏。以情識卜度得麼。所以雲門道。如撃石火。似閃電光。這箇些子。不落心機意識情想。等爾開口。堪作什麼。計較生時。鷂子過新羅。

書き下し

且く雪竇の此の公案を頌するに拠らば、一に善く太阿の剣を舞はすに似て相似たり、虚空中に向つて盤礴して、自然に鋒鋩を犯さず。若し是れ這般の手段無くんば、纔かに拈著すれば便ち鋒を傷り手を犯すを見ん。若し是れ具眼の者ならば、他の一拈一掇、一褒一貶を看よ、只だ四句を用ひて、一則の公案を揩定す。大凡そ頌古は只だ是れ繞路に禅を説き、拈古は大綱款に拠つて案を結するのみ。雪竇他に一拶を与へ、劈頭に便ち道ふ、「聖諦廓然、何当か的を弁ぜん」。雪竇他の初句の下に於て、這の一句を著く、妨げず奇特なることを。且く道へ、畢竟作麼生か的を弁ぜん。直饒ひ鉄眼銅睛なるも、也た摸索不著。這裏に到つて、情識を以て卜度し得んや。所以に雲門道ふ、「石火を撃つが如く、閃電光に似たり」。這箇の些子、心機意識情想に落ちず。爾が口を開くを等てば、什麼をか作すに堪へん。計較生ずる時、鷂子新羅を過ぐ。

現代語訳

さて雪竇がこの公案を頌したところに拠れば、ちょうど名剣太阿をみごとに舞わすようなもので、虚空の中を縦横に振るいながら、おのずと刃先に触れることがない。もしこれほどの腕前がなければ、手に取ったとたんに刃を傷め手を切るのが見えるだろう。もし眼のある者なら、彼が一つ取り上げ一つ置き、一つ褒め一つ貶すところを見よ。ただ四句だけで一則の公案をきっちり定めている。おおよそ頌古とは回り道をして禅を説くものであり、拈古とは大筋において供述によって判決を下すものにすぎない。雪竇は一押しして、真っ向から「聖諦廓然、何当か的を弁ぜん」と言った。雪竇が本則の初句の下にこの一句を付けたのは、実に見事である。さあ言ってみよ、結局どうやって的を見分けるのか。たとえ鉄の眼、銅の瞳をもっていても手探りでつかめない。ここに至って、情や分別で推し量れようか。だから雲門は「火打ち石の火花のようであり、稲妻の光のようだ」と言った。このわずかなところは、心のはからいや意識や情念に落ちない。お前が口を開くのを待っていては、何の役に立とうか。はからいが生じたときには、鷂はもう新羅を飛び過ぎている。

解説

圜悟による頌の評唱の前半である。圜悟は雪竇の頌を、名剣を虚空で舞わしながら刃に触れない見事な技にたとえ、わずか四句で公案全体を定めていると称える。頌古は回り道をして禅を説くもの、拈古は判決を下すものという定義もここで示される。冒頭の「聖諦廓然、何当か的を弁ぜん」について、どれほど鋭い眼でも推し量りでは届かず、雲門の言う石火や電光のように、口を開く前にもう過ぎ去っていると言う。現代の働く者には、会議で考え込むうちに機会が去るように、核心は分析が始まる前の一瞬にあることへの注意として読める。

この章句が説くこと

頌古繞路説禅分別石火電光言葉雪竇

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