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碧巌録 / 第一則

聖諦廓然何當辨的對朕者誰還云不識因茲暗渡江豈免生荊棘闔國人追不再來千古萬古空相憶休相憶清風匝地有何極師顧視左右云。這裏還有祖師麼。自云有喚來與老僧洗脚。

新字:聖諦廓然何当弁的対朕者誰還云不識因茲暗渡江豈免生荊棘闔国人追不再来千古万古空相憶休相憶清風匝地有何極師顧視左右云。這裏還有祖師麼。自云有喚来与老僧洗脚。

書き下し

聖諦廓然、何当か的を弁ぜん。朕に対する者は誰そ、還た云ふ不識と。茲に因つて暗に江を渡る、豈に荊棘を生ずることを免れんや。闔国の人追へども再び来らず、千古万古空しく相憶ふ。相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん。師、左右を顧視して云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り。喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。

現代語訳

聖諦は廓然、いつになったらその的を見分けられようか。朕に向き合う者は誰かと問われ、またしても「知らぬ」と言う。そのためひそかに長江を渡ったが、どうして茨を生じずに済もうか。国じゅうの人が追っても二度と来ず、千年万年、空しく思い慕うばかり。思い慕うのはやめよ。清らかな風が大地をめぐって、どこに果てがあろうか。雪竇は左右を見回して言った。「ここにまだ祖師はいるか」。自ら答えて言った。「いる。呼んで来て、わしの足を洗わせよう」。

解説

雪竇重顕が第一則に付けた頌である。前半は本則の問答と達磨の渡江、武帝の追慕をたどり、「千古万古空しく相憶ふ」と、失ったものを慕い続ける心を描く。そこで一転、「相憶ふことを休めよ」と断ち切り、清風が大地をめぐって果てがないと詠む。達磨は遠くへ去ったのではなく、今ここの風の中に満ちているというのである。さらに雪竇は、ここに祖師はいるかと自問し、呼んで来て足を洗わせようと言い放つ。祖師を崇めて遠くに置く態度をひっくり返す痛快な結びである。現代の働く者には、過去の偉人や失った機会を嘆くより、今ここの場に満ちているものに目を向けよという励ましになる。

この章句が説くこと

清風匝地雪竇頌執着今ここ自由

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