碧巌録 / 第一則
雪竇道。爾天下衲僧。何當辨的。對朕者誰。著箇還云不識。此是雪竇忒殺老婆。重重為人處。且道。廓然與不識。是一般兩般。若是了底人分上。不言而諭。若是未了底人。決定打作兩橛。諸方尋常皆道。雪竇重拈一遍。殊不知。四句頌盡公案了。後為慈悲之故。頌出事跡。因茲暗渡江。豈免生荊棘。達磨本來茲土。與人解粘去縛。抽釘拔楔。剗除荊棘。因何却道生荊棘。非止當時。諸人即今脚跟下。已深數丈。闔國人追不再來。千古萬古空相憶。可殺不丈夫。
新字:雪竇道。爾天下衲僧。何当弁的。対朕者誰。著箇還云不識。此是雪竇忒殺老婆。重重為人処。且道。廓然与不識。是一般両般。若是了底人分上。不言而諭。若是未了底人。決定打作両橛。諸方尋常皆道。雪竇重拈一遍。殊不知。四句頌尽公案了。後為慈悲之故。頌出事跡。因茲暗渡江。豈免生荊棘。達磨本来茲土。与人解粘去縛。抽釘抜楔。剗除荊棘。因何却道生荊棘。非止当時。諸人即今脚跟下。已深数丈。闔国人追不再来。千古万古空相憶。可殺不丈夫。
書き下し
雪竇道ふ、「爾天下の衲僧、何当か的を弁ぜん」。「朕に対する者は誰そ」、箇の「還た云ふ不識」を著く。此れは是れ雪竇忒殺老婆にして、重重に人の為にする処なり。且く道へ、廓然と不識と、是れ一般か両般か。若し是れ了底の人の分上ならば、言はずして諭らん。若し是れ未了底の人ならば、決定して打して両橛と作さん。諸方尋常皆道ふ、「雪竇重ねて拈ずること一遍」と。殊に知らず、四句に公案を頌し尽し了つて、後に慈悲の故に、事跡を頌出することを。「茲に因つて暗に江を渡る、豈に荊棘を生ずることを免れんや」。達磨本と茲の土に来つて、人の与に粘を解き縛を去り、釘を抽き楔を抜き、荊棘を剗除す。因何ぞ却つて荊棘を生ずと道ふ。止だ当時のみに非ず、諸人即今脚跟下、已に深きこと数丈なり。「闔国の人追へども再び来らず、千古万古空しく相憶ふ」。可殺だ丈夫ならず。
現代語訳
雪竇は言う。「お前たち天下の禅僧よ、いつになったら的を見分けられようか」。「朕に向き合う者は誰か」に、「また『知らぬ』と言う」を付けた。これは雪竇がひどく老婆心が強く、重ね重ね人のためにしているところである。さあ言ってみよ、「廓然」と「不識」とは同じか別か。もし悟った人の立場なら、言わずともわかる。もし悟っていない人なら、必ず二つに割ってしまうだろう。諸方ではふだん皆、「雪竇はもう一度取り上げ直しただけだ」と言う。まったく知らないのだ、四句で公案を頌し尽くした後、慈悲のゆえに事跡を頌したことを。「そのためひそかに長江を渡ったが、どうして茨を生じずに済もうか」。達磨はもともとこの国に来て、人のために粘りを解き縛りを外し、釘を抜き楔を抜いて、茨を刈り払ったのである。なぜかえって茨を生じたと言うのか。当時だけのことではない。お前たち一人ひとりの今の足もとにも、もう数丈の深さに茨が茂っている。「国じゅうの人が追っても二度と来ず、千年万年、空しく思い慕うばかり」。なんともふがいないことだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第一則且く道へ、達磨什麼の処にか在る。若し達磨を見ば、便ち雪竇末後人の為にする処を見ん。雪竇人の情見を逐はんことを恐怕るる、所以に関捩子を撥転して、自己の見解を出して云く、「相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん」。既に相憶ふことを休めば、爾が脚跟下の事、又作麼生。雪竇道ふ、即今箇裏匝地の清風、天上天下何の極まる所か有らん。雪竇千古万古の事を拈じて、面前に抛向す。止だ雪竇当時何の極まりか有るのみに非ず、爾諸人の分上も亦た何の極まりか有らん。他又人の這裏に執在せんことを怕れて、再び方便を著けて高声に云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り」。雪竇這裏に到つて、妨げず人の為にすることを、赤心片片たり。又自ら云く、「喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。太殺だ人の威光を減ず。当時也た好し、本分の手脚を与へんには。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。這裏に到つて、喚んで驢と作すも則ち是、喚んで馬と作すも則ち是、喚んで祖師と作すも則ち是。如何が名邈せん。往往に喚んで雪竇祖師を使ひ去ると作す。且喜すらくは没交渉。且く道へ、畢竟作麼生。只だ老胡の知ることを許して、老胡の会することを許さず。
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『碧巌録』第一則聖諦廓然、何当か的を弁ぜん。朕に対する者は誰そ、還た云ふ不識と。茲に因つて暗に江を渡る、豈に荊棘を生ずることを免れんや。闔国の人追へども再び来らず、千古万古空しく相憶ふ。相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん。師、左右を顧視して云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り。喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。
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『碧巌録』第一則且く雪竇の此の公案を頌するに拠らば、一に善く太阿の剣を舞はすに似て相似たり、虚空中に向つて盤礴して、自然に鋒鋩を犯さず。若し是れ這般の手段無くんば、纔かに拈著すれば便ち鋒を傷り手を犯すを見ん。若し是れ具眼の者ならば、他の一拈一掇、一褒一貶を看よ、只だ四句を用ひて、一則の公案を揩定す。大凡そ頌古は只だ是れ繞路に禅を説き、拈古は大綱款に拠つて案を結するのみ。雪竇他に一拶を与へ、劈頭に便ち道ふ、「聖諦廓然、何当か的を弁ぜん」。雪竇他の初句の下に於て、這の一句を著く、妨げず奇特なることを。且く道へ、畢竟作麼生か的を弁ぜん。直饒ひ鉄眼銅睛なるも、也た摸索不著。這裏に到つて、情識を以て卜度し得んや。所以に雲門道ふ、「石火を撃つが如く、閃電光に似たり」。這箇の些子、心機意識情想に落ちず。爾が口を開くを等てば、什麼をか作すに堪へん。計較生ずる時、鷂子新羅を過ぐ。
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『碧巌録』第八則雪竇若し恁麼に慈悲もて頌出して人をして見せしめずんば、争でか善知識と名づくることを得ん。古人此の如くなる、一一皆是れ事已むことを獲ず。蓋し後学の他の言句に著いて、転た情解を生ずるが為に、所以に古人の意旨を見ず。如今忽ち箇の出で来つて、禅床を掀倒し、大衆を喝散する有るも、他を怪しむことを得ず。然も此の如くなりと雖も、也た須らく実に這の田地に到つて始めて得べし。雪竇道ふ、「千古対無し」。他只だ道ふ、「看よ翠巌が眉毛在りや」。什麼の奇特の処か有つて、便乃ち千古対無き。須らく知るべし、古人一言半句を吐き出す、是れ造次にあらざることを。須らく是れ乾坤を定むる底の眼有つて始めて得べし。雪竇一言半句を著くるも、金剛王宝剣の如く、踞地の獅子の如く、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。若し是れ頂門に眼を具せずんば、争でか能く他の古人の落処を見ん。這箇の示衆、直に千古対無きことを得て、徳山の棒、臨済の喝に過ぎたり。
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『碧巌録』第一則達磨他に一刀に截断を与ふ。如今の人多少か錯り会して、却つて去いて精魂を弄し、眼睛を瞠つて云く、「廓然無聖」と。且喜すらくは没交渉。五祖先師嘗て説く、「只だ這の廓然無聖、若し人透得せば、家に帰つて穏坐せん」と。一等に是れ葛藤を打す、妨げず他の与に漆桶を打破することを。達磨就中奇特なり。所以に道ふ、「一句を参得して透れば、千句万句一時に透る」と。自然に坐得断し把得定す。古人道ふ、「粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ」と。達磨劈頭に他に一拶を与ふ、多少か漏逗し了れり。帝省せず、却つて人我の見を以ての故に、再び問ふ、「朕に対する者は誰そ」。達磨慈悲忒殺して、又向つて道ふ、「不識」。直に武帝をして眼目定動し、落処を知らざらしむ。是れ何の言説ぞ。這裏に到つては、有事無事、拈じ来れば即ち堪へず。端和尚頌有りて云く、「一箭尋常一鵰を落す、更に一箭を加ふ已に相饒す。直に少室峰前に帰つて坐す、梁主言ふことを休めよ更に去いて招かんと」。復た云く、「誰か招かんと欲す」。帝契はず、遂に潜かに国を出づ。這の老漢只だ懡㦬することを得たり。江を渡りて魏に至る。時に魏の孝明帝位に当る。乃ち此れ北人の種族、姓は拓跋氏、後来方に中国と名づく。達磨彼に至つて、亦た出でて見えず、直に少林に過ぎて、面壁九年、二祖を接得す。彼の方号して壁観婆羅門と為す。
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『碧巌録』第一則挙す。梁の武帝、達磨大師に問ふ、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。帝曰く、「朕に対する者は誰そ」。磨云く、「不識」。帝契はず。達磨遂に江を渡りて魏に至る。帝後に挙して志公に問ふ。志公云く、「陛下還た此の人を識るや否や」。帝云く、「不識」。志公云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ」。帝悔いて、遂に使を遣はして去いて請ぜんとす。志公云く、「道ふこと莫れ、陛下使を発して去いて取らしめんと。闔国の人去くも、他亦た回らじ」。
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