碧巌録 / 第一則
達磨與他一刀截斷。如今人多少錯會。却去弄精魂。瞠眼睛云。廓然無聖。且喜沒交涉。五祖先師甞說。只這廓然無聖。若人透得。歸家穩坐。一等是打葛藤。不妨與他打破漆桶。達磨就中奇特。所以道。參得一句透。千句萬句一時透。自然坐得斷把得定。古人道。粉骨碎身未足酬。一句了然超百億。達磨劈頭與他一拶。多少漏逗了也。帝不省。却以人我見故。再問對朕者誰。達磨慈悲忒殺。又向道不識。直得武帝眼目定動不知落處。是何言說。到這裏有事無事。拈來即不堪。端和尚有頌云。一箭尋常落一鵰。更加一箭已相饒。直歸少室峯前坐。梁主休言更去招。復云。誰欲招。帝不契。遂潛出國。這老漢只得懡[怡-台+羅]。渡江至魏。時魏孝明帝當位。乃此北人種族姓拓跋氏。後來方名中國。達磨至彼。亦不出見。直過少林。面壁九年。接得二祖。彼方號為壁觀婆羅門。
新字:達磨与他一刀截断。如今人多少錯会。却去弄精魂。瞠眼睛云。廓然無聖。且喜没交渉。五祖先師甞説。只這廓然無聖。若人透得。帰家穏坐。一等是打葛藤。不妨与他打破漆桶。達磨就中奇特。所以道。参得一句透。千句万句一時透。自然坐得断把得定。古人道。粉骨砕身未足酬。一句了然超百億。達磨劈頭与他一拶。多少漏逗了也。帝不省。却以人我見故。再問対朕者誰。達磨慈悲忒殺。又向道不識。直得武帝眼目定動不知落処。是何言説。到這裏有事無事。拈来即不堪。端和尚有頌云。一箭尋常落一鵰。更加一箭已相饒。直帰少室峯前坐。梁主休言更去招。復云。誰欲招。帝不契。遂潜出国。這老漢只得懡[怡-台+羅]。渡江至魏。時魏孝明帝当位。乃此北人種族姓拓跋氏。後来方名中国。達磨至彼。亦不出見。直過少林。面壁九年。接得二祖。彼方号為壁観婆羅門。
書き下し
達磨他に一刀に截断を与ふ。如今の人多少か錯り会して、却つて去いて精魂を弄し、眼睛を瞠つて云く、「廓然無聖」と。且喜すらくは没交渉。五祖先師嘗て説く、「只だ這の廓然無聖、若し人透得せば、家に帰つて穏坐せん」と。一等に是れ葛藤を打す、妨げず他の与に漆桶を打破することを。達磨就中奇特なり。所以に道ふ、「一句を参得して透れば、千句万句一時に透る」と。自然に坐得断し把得定す。古人道ふ、「粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ」と。達磨劈頭に他に一拶を与ふ、多少か漏逗し了れり。帝省せず、却つて人我の見を以ての故に、再び問ふ、「朕に対する者は誰そ」。達磨慈悲忒殺して、又向つて道ふ、「不識」。直に武帝をして眼目定動し、落処を知らざらしむ。是れ何の言説ぞ。這裏に到つては、有事無事、拈じ来れば即ち堪へず。端和尚頌有りて云く、「一箭尋常一鵰を落す、更に一箭を加ふ已に相饒す。直に少室峰前に帰つて坐す、梁主言ふことを休めよ更に去いて招かんと」。復た云く、「誰か招かんと欲す」。帝契はず、遂に潜かに国を出づ。這の老漢只だ懡㦬することを得たり。江を渡りて魏に至る。時に魏の孝明帝位に当る。乃ち此れ北人の種族、姓は拓跋氏、後来方に中国と名づく。達磨彼に至つて、亦た出でて見えず、直に少林に過ぎて、面壁九年、二祖を接得す。彼の方号して壁観婆羅門と為す。
現代語訳
達磨は帝に一刀のもとに断ち切ってみせた。今の人は多くがこれを誤解し、かえって魂をもてあそび、目をむいて「廓然無聖」と言う。まったく見当違いである。五祖法演先師はかつて説いた。「ただこの廓然無聖を、もし透過できたなら、家に帰って安らかに坐れる」と。同じく言葉のからみ合いではあるが、帝のために漆桶(無明)を打ち破ってやったのである。達磨はとりわけ見事である。だから「一句を参じて透れば、千句万句が一時に透る」と言うのだ。おのずとしっかり坐り切り、握り定めることができる。古人は「骨を粉にし身を砕いても報いるに足りない。一句がはっきりすれば百億を超える」と言った。達磨は真っ向から帝に一押ししたが、すでにずいぶん手の内を漏らしてしまった。帝は悟らず、かえって自他を分ける見方のために、再び「朕に向き合っているのは誰か」と問うた。達磨はあまりに慈悲深く、また「知らぬ」と言った。武帝はただ目をきょろきょろさせ、どこに落ち着けばよいかわからなかった。これはどういう言葉なのか。ここに至っては、事があるにせよ無いにせよ、持ち出せばもう台無しである。端和尚に頌がある。「一本の矢でふだん一羽の鷲を落とす。さらに一本加えたのはもう大目に見たのだ。まっすぐ少室山の峰の前に帰って坐る。梁の主よ、もう一度招こうなどと言うな」。さらに言う。「誰が招こうというのか」。帝は悟らず、達磨はひそかに国を出た。この老漢はただ面目を失うしかなかった。長江を渡って魏に至った。時に魏では孝明帝が位にあった。これは北方の種族で姓を拓跋氏といい、後になってようやく中国と名乗った。達磨はそこに至っても出て会おうとせず、まっすぐ少林寺に行き、九年間壁に向かって坐り、二祖慧可を導いた。かの地では彼を壁観婆羅門と呼んだ。
解説
この章句が説くこと
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