碧巌録 / 第一則
達磨遙觀此土有大乘根器。遂泛海得得而來。單傳心印。開示迷塗。不立文字。直指人心。見性成佛。若恁麼見得。便有自由分。不隨一切語言轉。脫體現成。便能於後頭。與武帝對譚。并二祖安心處。自然見得。無計較情塵。一刀截斷。洒洒落落。何必更分是分非。辨得辨失。雖然恁麼。能有幾人。
新字:達磨遥観此土有大乗根器。遂泛海得得而来。単伝心印。開示迷塗。不立文字。直指人心。見性成仏。若恁麼見得。便有自由分。不随一切語言転。脱体現成。便能於後頭。与武帝対譚。并二祖安心処。自然見得。無計較情塵。一刀截断。洒洒落落。何必更分是分非。弁得弁失。雖然恁麼。能有幾人。
書き下し
達磨遥かに此の土に大乗の根器有ることを観て、遂に海に泛んで得得として来り、単に心印を伝へ、迷塗を開示す。文字を立てず、直に人心を指し、見性成仏せしむ。若し恁麼に見得せば、便ち自由の分有り、一切の語言に随つて転ぜられず、脱体現成す。便ち能く後頭に於て武帝と対譚し、并びに二祖安心の処も、自然に見得せん。計較の情塵無く、一刀に截断して洒洒落落たり。何ぞ必ずしも更に是を分ち非を分ち、得を弁じ失を弁ぜん。然も恁麼なりと雖も、能く幾人か有る。
現代語訳
達磨は遠くからこの国に大乗の器量をもつ者がいるのを見て取り、海を渡ってわざわざやって来た。ただ心の印だけを伝えて、迷いの道を開いて示した。文字を立てず、ただちに人の心を指し示し、本性を見て仏とならせたのである。もしこのように見て取れるなら、自由の境地があり、どんな言葉にも振り回されず、身まるごとがそのまま現れる。そうすれば、後の武帝との問答も、二祖慧可が心を安んじた所も、おのずと見えてくるだろう。はからいの塵はなく、一刀のもとに断ち切ってさっぱりとしている。どうしてさらに是非を分け、得失を論じる必要があろうか。とはいえ、そうできる者が何人いるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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