碧巌録 / 第一則
舉梁武帝問達磨大師如何是聖諦第一義磨云。廓然無聖帝曰。對朕者誰磨云。不識帝不契達磨遂渡江至魏帝後舉問志公志公云。陛下還識此人否帝云。不識志公云。此是觀音大士。傳佛心印帝悔。遂遣使去請志公云。莫道陛下發使去取闔國人去。他亦不回。
新字:舉梁武帝問達磨大師如何是聖諦第一義磨云。廓然無聖帝曰。対朕者誰磨云。不識帝不契達磨遂渡江至魏帝後舉問志公志公云。陛下還識此人否帝云。不識志公云。此是観音大士。伝仏心印帝悔。遂遣使去請志公云。莫道陛下発使去取闔国人去。他亦不回。
書き下し
挙す。梁の武帝、達磨大師に問ふ、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。帝曰く、「朕に対する者は誰そ」。磨云く、「不識」。帝契はず。達磨遂に江を渡りて魏に至る。帝後に挙して志公に問ふ。志公云く、「陛下還た此の人を識るや否や」。帝云く、「不識」。志公云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ」。帝悔いて、遂に使を遣はして去いて請ぜんとす。志公云く、「道ふこと莫れ、陛下使を発して去いて取らしめんと。闔国の人去くも、他亦た回らじ」。
現代語訳
取り上げる。梁の武帝が達磨大師に問うた。「聖なる真理の第一義とは何か」。達磨は言った。「からりとして聖なるものなどない」。帝は言った。「では朕に向き合っているそなたは誰か」。達磨は言った。「知らぬ」。帝は悟るところがなかった。達磨はそこで長江を渡って魏に去った。帝は後にこのことを志公に話して問うた。志公は言った。「陛下はこの人が誰かおわかりですか」。帝は言った。「知らぬ」。志公は言った。「あれは観音大士で、仏の心印を伝える方です」。帝は悔やみ、使者を遣わして呼び戻そうとした。志公は言った。「陛下が使者を出して連れ戻すなどとおっしゃいますな。国じゅうの人が迎えに行っても、あの方は帰りません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第一則梁の武帝後に志公に問ふ。公云く、「陛下還た此の人を識るや否や」。帝曰く、「不識」。且く道へ、達磨の道ふ底と、是れ同か是れ別か。似ることは則ち也た似たり、是なることは則ち是ならず。人多く錯り会して道ふ、「前来の達磨は是れ他の禅に答ふ、後来の武帝は是れ他の志公に対す、乃ち相識の識なり」と。且得没交渉。当時志公恁麼に問ふ、且く道へ、作麼生か祇対せん。何ぞ一棒に打殺して、搽胡せらるることを免れざる。武帝却つて他に款を供して「不識」と道ふ。志公機を見て作し、便ち云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ」。帝悔いて遂に使を遣はして去いて取らしむ。好だ不唧溜。当時他の「此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ」と道ふを等つて、亦た好し他を擯して国を出さんには、猶ほ些子に較れり。
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『碧巌録』第六十七則双林に向かつて此の身を寄せず、却つて梁土に於いて埃塵を惹く。当時誌公老を得ずんば、也た是れ栖栖として国を去る人ならん。「双林に向かつて此の身を寄せず、却つて梁土に於いて埃塵を惹く」。傅大士は没板歯の老漢と一般に相逢ふ。達磨初めて金陵に到りて武帝に見ゆ。帝問ふ、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。帝云く、「朕に対する者は誰ぞ」。磨云く、「識らず」。帝契はず。遂に江を渡りて魏に至る。武帝挙して誌公に問ふ。公云く、「陛下還た此の人を識るや否や」。帝云く、「識らず」。誌公云く、「此れは是れ観音大士、仏心印を伝ふ」と。帝悔いて、遂に使ひを遣はして去きて取らしめんとす。誌公云く、「道ふこと莫かれ陛下使ひを発して去きて取らしむと。合国の人去くとも、他も亦回らじ」と。
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『碧巌録』第一則武帝嘗て袈裟を披て、自ら放光般若経を講ず。天花乱墜し、地黄金に変ずることを感得す。道を弁じ仏を奉じ、天下に誥詔して、寺を起て僧を度し、教に依つて修行す。人之を仏心天子と謂ふ。達磨初めて武帝に見ゆ。帝問ふ、「朕寺を起て僧を度す、何の功徳か有る」。磨云く、「無功徳」。早く是れ悪水驀頭に澆ぐ。若し這箇の無功徳の話を透得せば、爾に親しく達磨を見ることを許さん。且く道へ、寺を起て僧を度す、什麼と為てか都て功徳無き。此の意什麼の処にか在る。帝、婁約法師・傅大士・昭明太子と真俗二諦を持論す。教中の説に拠るに、真諦は以て非有を明らめ、俗諦は以て非無を明らむ。真俗不二、即ち是れ聖諦第一義なり。此れは是れ教家の極妙窮玄の処なり。帝便ち此の極則の処を拈じて、達磨に問ふ、「如何なるか是れ聖諦第一義」。磨云く、「廓然無聖」。天下の衲僧跳び出でず。
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『碧巌録』第一則達磨他に一刀に截断を与ふ。如今の人多少か錯り会して、却つて去いて精魂を弄し、眼睛を瞠つて云く、「廓然無聖」と。且喜すらくは没交渉。五祖先師嘗て説く、「只だ這の廓然無聖、若し人透得せば、家に帰つて穏坐せん」と。一等に是れ葛藤を打す、妨げず他の与に漆桶を打破することを。達磨就中奇特なり。所以に道ふ、「一句を参得して透れば、千句万句一時に透る」と。自然に坐得断し把得定す。古人道ふ、「粉骨砕身も未だ酬ゆるに足らず、一句了然として百億を超ゆ」と。達磨劈頭に他に一拶を与ふ、多少か漏逗し了れり。帝省せず、却つて人我の見を以ての故に、再び問ふ、「朕に対する者は誰そ」。達磨慈悲忒殺して、又向つて道ふ、「不識」。直に武帝をして眼目定動し、落処を知らざらしむ。是れ何の言説ぞ。這裏に到つては、有事無事、拈じ来れば即ち堪へず。端和尚頌有りて云く、「一箭尋常一鵰を落す、更に一箭を加ふ已に相饒す。直に少室峰前に帰つて坐す、梁主言ふことを休めよ更に去いて招かんと」。復た云く、「誰か招かんと欲す」。帝契はず、遂に潜かに国を出づ。這の老漢只だ懡㦬することを得たり。江を渡りて魏に至る。時に魏の孝明帝位に当る。乃ち此れ北人の種族、姓は拓跋氏、後来方に中国と名づく。達磨彼に至つて、亦た出でて見えず、直に少林に過ぎて、面壁九年、二祖を接得す。彼の方号して壁観婆羅門と為す。
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『碧巌録』第一則人伝ふ、志公は天監十三年に化し去り、達磨は普通元年に方に来る。自ら七年を隔つ、何が故にか却つて同時に相見ゆと道ふ。此れ必ず是れ謬伝ならん。伝中の載する所に拠る。如今は這の事を論ぜず、只だ他の大綱を知らんことを要す。且く道へ、達磨は是れ観音、志公も是れ観音、阿那箇か是れ端的底の観音。既に是れ観音ならば、什麼と為てか却つて両箇有る。何ぞ止だ両箇のみならん、群を成し隊を作す。時に後魏の光統律師・菩提流支三蔵、師と論議す。師相を斥け心を指す。而るに褊局の量、自ら任ふるに堪へず、競ひて害心を起し、数ば毒薬を加ふ。第六度に至つて、化縁已に畢り、法を伝へて人を得たれば、遂に復た救はず、端居して逝く。熊耳山の定林寺に葬る。後魏の宋雲、使を奉じて、葱嶺に於て師の手に隻履を携へて往くに遇ふ。武帝追憶して、自ら碑文を撰して云く、「嗟夫、之を見て見ず、之に逢うて逢はず、之に遇うて遇はず、今も古も、之を怨み之を恨む」。復た讃して云く、「心有れば、曠劫にして凡夫に滞り、心無ければ、刹那にして妙覚に登る」。且く道へ、達磨即今什麼の処にか在る。蹉過するも也た知らず。
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『碧巌録』第一則達磨遥かに此の土に大乗の根器有ることを観て、遂に海に泛んで得得として来り、単に心印を伝へ、迷塗を開示す。文字を立てず、直に人心を指し、見性成仏せしむ。若し恁麼に見得せば、便ち自由の分有り、一切の語言に随つて転ぜられず、脱体現成す。便ち能く後頭に於て武帝と対譚し、并びに二祖安心の処も、自然に見得せん。計較の情塵無く、一刀に截断して洒洒落落たり。何ぞ必ずしも更に是を分ち非を分ち、得を弁じ失を弁ぜん。然も恁麼なりと雖も、能く幾人か有る。
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