兵要録抄録 / 文武の六徳と信
夫兵士之爲職也。在崇文德。養武義。致身竭忠。爲國之干城矣。蓋文武猶表裏。偏廢則不足以盡士道矣。鳥翔。有兩翼之擊也。車行。有兩輪之轉也。士德。有文武之成也。故曰。兵者以武爲植。以文爲種。如不獲其穀種。何以栽植焉。仁與禮者文德也。義與勇者武德也。知德之所以行者智也。誠之於行者信也。這箇六德。非自外將來做去焉。性之所固有。而具於心。這心也。操則存。舍則亡。士若於武有所舍。則不足以議焉。於文或舍而不脩。則亦不足以爲士矣。信者。文武之樞紐也。若無信。則仁者止乎姑息。禮者流乎諂諛。智者文乎譎詐。義者事乎任俠。勇者陷乎暴賊。共非德也。夫士有信。而後治則可佐敎化。亂則可除民害。乃足以爲國之衞也。凡士。守節致死。其志爲義者上也。爲名者次也。本朝之士風。甚貪乎名。故或有誤認要名。以爲義者。蓋行義而成名者善也。要名而成功者卑也。況其志專於利祿者乎。雖有戰功。亦不足以爲士矣。羞名近于義。羞者責於己也。求名遠于義。求者心在外也。故管多方。倣虛套。專事粉飾。實事日偸矣。安待而所求者至乎。所謂有求全之毀是也。
新字:夫兵士之為職也。在崇文徳。養武義。致身竭忠。為国之干城矣。蓋文武猶表裏。偏廃則不足以尽士道矣。鳥翔。有両翼之撃也。車行。有両輪之転也。士徳。有文武之成也。故曰。兵者以武為植。以文為種。如不獲其穀種。何以栽植焉。仁与礼者文徳也。義与勇者武徳也。知徳之所以行者智也。誠之於行者信也。這箇六徳。非自外将来做去焉。性之所固有。而具於心。這心也。操則存。舎則亡。士若於武有所舎。則不足以議焉。於文或舎而不脩。則亦不足以為士矣。信者。文武之枢紐也。若無信。則仁者止乎姑息。礼者流乎諂諛。智者文乎譎詐。義者事乎任侠。勇者陥乎暴賊。共非徳也。夫士有信。而後治則可佐教化。乱則可除民害。乃足以為国之衛也。凡士。守節致死。其志為義者上也。為名者次也。本朝之士風。甚貪乎名。故或有誤認要名。以為義者。蓋行義而成名者善也。要名而成功者卑也。況其志専於利禄者乎。雖有戦功。亦不足以為士矣。羞名近于義。羞者責於己也。求名遠于義。求者心在外也。故管多方。倣虚套。専事粉飾。実事日偸矣。安待而所求者至乎。所謂有求全之毀是也。
書き下し
夫れ兵士の職爲る、文德を崇び、武義を養ひ、身を致し忠を竭くし、國の干城と爲るに在り。蓋し文武は猶ほ表裏のごとし。偏廢すれば則ち以て士道を盡くすに足らず。鳥の翔るに兩翼の擊ち有り、車の行くに兩輪の轉ずる有り、士德に文武の成る有るがごとし。故に曰く、兵は武を以て植と爲し、文を以て種と爲す。如し其の穀種を獲ざれば、何を以て栽植せんと。仁と禮とは文德なり。義と勇とは武德なり。德の行はるる所以を知るは智なり。之を行ひに誠にするは信なり。這箇の六德は、外より將ち來たり做し去くに非ず。性の固有する所にして心に具はる。這の心や、操れば則ち存し、舍てば則ち亡ぶ。士若し武に於いて舍つる所あらば、則ち議するに足らず。文に於いて或いは舍てて脩めざれば、則ち亦た以て士と爲すに足らず。信は文武の樞紐なり。若し信無ければ、則ち仁者は姑息に止まり、禮者は諂諛に流れ、智者は譎詐を文り、義者は任俠を事とし、勇者は暴賊に陷る。共に德に非ざるなり。夫れ士信有りて後、治まれば則ち敎化を佐くべく、亂るれば則ち民害を除くべし。乃ち以て國の衞と爲るに足る。凡そ士、節を守り死を致し、其の志義爲る者は上なり、名爲る者は次なり。本朝の士風は甚だ名を貪る。故に或いは誤認して名を要むるを以て義と爲す者あり。蓋し義を行ひて名を成す者は善なり。名を要めて功を成す者は卑し。況んや其の志專ら利祿に在る者をや。戰功有りと雖も、亦た以て士と爲すに足らず。名を羞づるは義に近し、羞づとは己を責むるなり。名を求むるは義に遠し、求むとは心外に在るなり。故に多方に管して、虛套に倣ひ、專ら粉飾を事とし、實事日に偸まる。安んぞ待たんや而の求むる所の者の至るを。所謂、全きを求むるの毀り有りとは是れなり。
現代語訳
兵士の職分は、文の徳を尊び、武の義を養い、身を捧げて忠を尽くし、国の守りとなることにあります。文と武は表と裏のようなもので、片方を捨てれば士の道を尽くせません。鳥が飛ぶには両翼の羽ばたきが、車が走るには両輪の回転が要るように、士の徳も文と武がそろって成ります。だから、兵は武を植え付けとし、文を種とする、といいます。穀物の種がなければ、何を植えるのでしょうか。仁と礼は文の徳、義と勇は武の徳です。徳が行われるわけを知るのが智、それを行いに誠実に表すのが信です。この六つの徳は外から持ってきて身につけるものではなく、生まれつき性に備わって心にあるものです。この心は、握っていれば存在し、手放せば失われます。士が武を捨てるなら論じるに足らず、文を捨てて修めないなら、これも士とするに足りません。信は文武の要です。信がなければ、仁者は一時しのぎの甘さにとどまり、礼の者はへつらいに流れ、智者は偽りを飾り、義の者は侠客まがいの振る舞いをし、勇者は乱暴な賊に陥ります。どれも徳とは言えません。士に信があってこそ、世が治まっていれば教化を助け、乱れれば民の害を除けて、国の守りとして十分です。およそ士が節を守り死を致すとき、その志が義にあるのが最上、名にあるのはその次です。わが国の士風は名をむさぼることが甚だしく、名を求めることを義と取り違える者がいます。義を行って名が成るのは善いが、名を求めて功を成すのは卑しい。まして志がもっぱら禄や利にある者は、戦功があっても士とするに足りません。名を恥じるのは義に近く、恥じるとは自分を責めることです。名を求めるのは義から遠く、求めるとは心が外に向いていることです。だから様々に取り繕い、形だけの型をまね、飾りばかりに励んで、実質は日々損なわれていきます。求めるものが来るのを待てるでしょうか。完全を求めるあまり受ける非難がある、というのはこのことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之五・信一子曰く、人にして信無くんば其の可なるを知らざるなり。人の心信実なるは、万事の基にして、人にまじはるの道なり。若信なければ、万事すべて、偽なれば、人にまじはりて、如何ぞ善なるべき。たとへば大車の荷車に輗なければ、牛の首に車をかくる事ならず。小車の乗車に軏なければ、車を馬にかくる事ならず。車と牛馬とは別の物なれど、輗と軏とあれば、是を以て牛馬に車をかけて引かしむべし。若此ものなくんば、何を以てか車をやるべきや。人にまじはるに信ならざるも、亦かくの如し。人と我とは、二物なり。信実を以て交はれば、互に感通して、道行はる。若信なくして人と交はらば、我人にまことなく、人我を信ぜず。彼と我と感通せず。何を以てか道行はれんや。
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『五常訓』巻之五・信一朱子曰、人の誠ならざる所、多くは言の上にありと。信をまもるに、言語の上に心を用ひて、実を以てすべし。一朋友に交るには、もとより愛敬を用ふべし。然れども、信なければ、愛敬も偽より出て、誠の愛敬にあらず。顔色をやはらげ、容貌をうやうやしくするも、偽りかざれるは、愛敬とすべからず。
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『十善法語』巻第十一・不邪見戒之中総シテ心ノアル処ハ形ノアル処。形ノ生スル処ニ其心生スルシヤ。此女人自ノ眉目鼻口ノソナヘニ自執着セシ故。一息截断ノ時。其着セル心還テ己カ面上ニ生シ。虫ト為テ暫モ離レ得ヌシヤ。摩訶羅ト云ハ梵語デ。此ニハ老ナリ愚ナリト翻スル。愚人ノ年ヲ重ネタル者ノ名シヤ。看ヨ。正法ハ智愚ヲ択ハヌ。唯信アル処ニ此縁起実相ハ顕ルルシヤ。今日ノ者モ純一ニ心ヲ寄セハ。仮令摩訶羅ナリトモ。甚深ノ法ニ通達スヘキシヤ。
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『五常訓』巻之一・総論又孟子はじめて仁義礼智の四徳をつらねて説き給へり。是又仁義の外、礼智あるにあらず。礼は仁よりいで、智は義の内にあり。朱子の、礼は仁の著るるなり。智は義の蔵るるなりといへるが如し。仁義をわかちて四徳を説くは、陰陽をわかてば、春夏秋冬の四時となるに本づけり。前漢の董仲舒曰く。仁義礼智信五常の道は、王者の当に修飾すべき所なりといへり。是四徳に信を加へて、五常と説ける始なり。四徳の外、別に信あるにあらず。四徳のまことありて偽無きは、即信なり。信なければ仁義礼智にあらず。たとへば四時の内に土用ありて、木火金水の気行はるるが如し。木火金水も、土なければ生ぜず。是董仲舒のはじめて説き出せるにもあらず。上代よりすでに此説あればなり。
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『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
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人生を、一行の式にしてみた。
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