兵術要訓抄録 / 決心の極意
此時常の人はなきさけんで度を失ひ、心散亂するゆへ、猛火我が身に至らざる前に息絶るなり、未熟の兵術者の勝負に臨とき悉皆如此、故に勝ヿあたはざるなり、又誠の決心と云は、四方猛火の內に居て迯も遁れざるヿを得心して、死期の思ひ出とをもひ安座して烟草を吸が如く、己を捨て心を安んじ、敵に向ふて先敵をわすれ我をわすれてたゞ妙にまかすべし、是則決心の極意なり、越國謙信公曰、運は天にあり、鎧は胄にあり、手柄は足にあり、何時も敵を掌に入て合戰すべし、疵つく事なし、死なんと戰ば生、いきんと戰ば必ず死するものなり、家を出るよりかへらじと思へば又歸る、かへるべしと思へば是又かへらぬ者なり、世の中不定とのみ思ふ、たがはずと云ども、武士たる身は不定とをもふべからず、必ず一定と思ふべしヿなり、是にて決心を考ふべし、又猛火の內にて烟草を吸と云は捨身と云もの也、此捨身とゝのふて不動心となるなり、不動心は兵の奧義なり、
新字:此時常の人はなきさけんで度を失ひ、心散乱するゆへ、猛火我が身に至らざる前に息絶るなり、未熟の兵術者の勝負に臨とき悉皆如此、故に勝ヿあたはざるなり、又誠の決心と云は、四方猛火の内に居て迯も遁れざるヿを得心して、死期の思ひ出とをもひ安座して烟草を吸が如く、己を捨て心を安んじ、敵に向ふて先敵をわすれ我をわすれてたゞ妙にまかすべし、是則決心の極意なり、越国謙信公曰、運は天にあり、鎧は胄にあり、手柄は足にあり、何時も敵を掌に入て合戦すべし、疵つく事なし、死なんと戦ば生、いきんと戦ば必ず死するものなり、家を出るよりかへらじと思へば又帰る、かへるべしと思へば是又かへらぬ者なり、世の中不定とのみ思ふ、たがはずと云ども、武士たる身は不定とをもふべからず、必ず一定と思ふべしヿなり、是にて決心を考ふべし、又猛火の内にて烟草を吸と云は捨身と云もの也、此捨身とゝのふて不動心となるなり、不動心は兵の奥義なり、
書き下し
此時常の人はなきさけんで度を失ひ、心散亂するゆへ、猛火我が身に至らざる前に息絶るなり、未熟の兵術者の勝負に臨とき悉皆如此、故に勝ヿあたはざるなり、又誠の決心と云は、四方猛火の內に居て迯も遁れざるヿを得心して、死期の思ひ出とをもひ安座して烟草を吸が如く、己を捨て心を安んじ、敵に向ふて先敵をわすれ我をわすれてたゞ妙にまかすべし、是則決心の極意なり、越國謙信公曰、運は天にあり、鎧は胄にあり、手柄は足にあり、何時も敵を掌に入て合戰すべし、疵つく事なし、死なんと戰ば生、いきんと戰ば必ず死するものなり、家を出るよりかへらじと思へば又歸る、かへるべしと思へば是又かへらぬ者なり、世の中不定とのみ思ふ、たがはずと云ども、武士たる身は不定とをもふべからず、必ず一定と思ふべしヿなり、是にて決心を考ふべし、又猛火の內にて烟草を吸と云は捨身と云もの也、此捨身とゝのふて不動心となるなり、不動心は兵の奧義なり、
現代語訳
このとき普通の人は泣き叫んで度を失い、心が散乱するため、猛火が我が身に至る前に息絶えます。未熟な兵術者が勝負に臨むときは、すべてこのとおりです。だから勝つことができないのです。また、まことの決心というのは、四方が猛火の中にいて逃れられないことを得心し、死ぬときの思い出と思って安座して煙草を吸うように、己を捨てて心を安んじ、敵に向かって、まず敵を忘れ、我を忘れて、ただ妙にまかせることです。これが決心の極意です。越後の謙信公は、運は天にあり、鎧は兜にあり、手柄は足にあり、いつも敵を掌に入れて合戦せよ、傷つくことはない。死のうと戦えば生き、生きようと戦えば必ず死ぬものだ。家を出るときから帰るまいと思えばまた帰り、帰ろうと思えばまた帰らぬものだ。世の中は不定とばかり思う、違わないといっても、武士たる身は不定と思ってはならない。必ず一定と思うべきだ、と言われました。これで決心を考えなさい。また、猛火の内で煙草を吸うというのは、捨身というものです。この捨身が整って不動心となります。不動心は兵の奥義です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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