兵術要訓抄録 / 畠水練の兵術者
當時試會刀勝負にて、我才覺を以て勝利を得るといへども、畠水練の兵術者多き也、其譯は、試會刀は竹に皮をきせたるものにて、討れても突れても深疵を受る程の事はなし、故に肉心の兵術者たりとも、才覺を以て勝事も有るべし、眞劔の障ても、命に抱る勝負には、肉心の才覺にては、其塲を經がたし、當時臆病なる肉心の兵術者抔、いさゝかの理を以て試會刀勝負に勝てば我は達人と思ふ、大なる誤也、中々試會刀勝負の小刀細工にて心を安んぜば大なる過あらん、兎角眞劔勝負の理を考へ、剛敵にあふとも一心不動の修行すべし、又當時戰塲の働なきゆへ、眞劔勝負を試る事はならざる故、眞劔の塲にての心の强弱動靜を知る事ならずと云へども、
新字:当時試会刀勝負にて、我才覚を以て勝利を得るといへども、畠水練の兵術者多き也、其訳は、試会刀は竹に皮をきせたるものにて、討れても突れても深疵を受る程の事はなし、故に肉心の兵術者たりとも、才覚を以て勝事も有るべし、真剣の障ても、命に抱る勝負には、肉心の才覚にては、其塲を経がたし、当時臆病なる肉心の兵術者抔、いさゝかの理を以て試会刀勝負に勝てば我は達人と思ふ、大なる誤也、中々試会刀勝負の小刀細工にて心を安んぜば大なる過あらん、兎角真剣勝負の理を考へ、剛敵にあふとも一心不動の修行すべし、又当時戦塲の働なきゆへ、真剣勝負を試る事はならざる故、真剣の塲にての心の強弱動静を知る事ならずと云へども、
書き下し
當時試會刀勝負にて、我才覺を以て勝利を得るといへども、畠水練の兵術者多き也、其譯は、試會刀は竹に皮をきせたるものにて、討れても突れても深疵を受る程の事はなし、故に肉心の兵術者たりとも、才覺を以て勝事も有るべし、眞劔の障ても、命に抱る勝負には、肉心の才覺にては、其塲を經がたし、當時臆病なる肉心の兵術者抔、いさゝかの理を以て試會刀勝負に勝てば我は達人と思ふ、大なる誤也、中々試會刀勝負の小刀細工にて心を安んぜば大なる過あらん、兎角眞劔勝負の理を考へ、剛敵にあふとも一心不動の修行すべし、又當時戰塲の働なきゆへ、眞劔勝負を試る事はならざる故、眞劔の塲にての心の强弱動靜を知る事ならずと云へども、
現代語訳
近ごろは試合の刀での勝負で、自分の才覚によって勝利を得る者がいますが、畠の上の水練にすぎない兵術者が多いのです。その理由は、試合の刀は竹に皮を着せたもので、打たれても突かれても深い傷を受けるほどのことはないからです。そのため、肉心の兵術者であっても、才覚で勝つことはあるでしょう。しかし真剣に触れて命のかかる勝負では、肉心の才覚ではその場を切り抜けにくいものです。近ごろ、臆病な肉心の兵術者などが、わずかな理屈で試合の刀の勝負に勝てば、自分は達人だと思います。これは大きな誤りです。試合の刀の小細工で心を安んじるならば、大きな過ちがあるでしょう。ともかく真剣勝負の道理を考えて、手強い敵に会っても一心が動かない修行をすべきです。また、近ごろは戦場の働きがないため、真剣勝負を試すことはできず、真剣の場での心の強弱や動静を知ることができないとはいえ、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
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『法句経』第十九 住法の部 二七一・二七二 意を安んずる勿れ二七一 我は唯禁戒を持ち、或は復多く学び、又は心の安定を得、或は閑静処に住みて、 二七二 (此に由つて)凡夫の習はざる出離楽を証せず、比丘よ、未だ心中の穢を尽さずんば意を安んずる勿れ。
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『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
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『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
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『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
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史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。

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