兵術要訓抄録 / 肉心と本心
兵術者に肉心本心あり、肉心とは、勝の理を知り術を知りて其術出來ざるを云也、本心とは、勝の術理を通達して其術心の如く出來るを云なり、肉心のしる術ならざるは心動くがゆへなり、本心のしる術なるは心動かざるゆへなり、又心動くを肉心と云は、心底に落しつけるときは動くヿなし、心浮んで治らざるが故に動安し、心皮と肉との間に有りと云ヿにて肉心と云なり、又心不動を本心と云は、心皮肉よと內腹中の臍の下へ落しつけて不動、是を則本心といふなり、譬ば本心は美食を喰ひ其味を噛わけて腹中へ入たるが如し、肉心も喰ふと云とも、未口中に有りて腹中へ入らざるが如し、心皮肉の間に留りて治るヿならざるゆへ、變にあふて散亂するなり、本心は、理も術も我ものとなし、一心決定して至臍の眼をひらくゆへ、變にあふても亂るゝ事なし、
新字:兵術者に肉心本心あり、肉心とは、勝の理を知り術を知りて其術出来ざるを云也、本心とは、勝の術理を通達して其術心の如く出来るを云なり、肉心のしる術ならざるは心動くがゆへなり、本心のしる術なるは心動かざるゆへなり、又心動くを肉心と云は、心底に落しつけるときは動くヿなし、心浮んで治らざるが故に動安し、心皮と肉との間に有りと云ヿにて肉心と云なり、又心不動を本心と云は、心皮肉よと内腹中の臍の下へ落しつけて不動、是を則本心といふなり、譬ば本心は美食を喰ひ其味を噛わけて腹中へ入たるが如し、肉心も喰ふと云とも、未口中に有りて腹中へ入らざるが如し、心皮肉の間に留りて治るヿならざるゆへ、変にあふて散乱するなり、本心は、理も術も我ものとなし、一心決定して至臍の眼をひらくゆへ、変にあふても乱るゝ事なし、
書き下し
兵術者に肉心本心あり、肉心とは、勝の理を知り術を知りて其術出來ざるを云也、本心とは、勝の術理を通達して其術心の如く出來るを云なり、肉心のしる術ならざるは心動くがゆへなり、本心のしる術なるは心動かざるゆへなり、又心動くを肉心と云は、心底に落しつけるときは動くヿなし、心浮んで治らざるが故に動安し、心皮と肉との間に有りと云ヿにて肉心と云なり、又心不動を本心と云は、心皮肉よと內腹中の臍の下へ落しつけて不動、是を則本心といふなり、譬ば本心は美食を喰ひ其味を噛わけて腹中へ入たるが如し、肉心も喰ふと云とも、未口中に有りて腹中へ入らざるが如し、心皮肉の間に留りて治るヿならざるゆへ、變にあふて散亂するなり、本心は、理も術も我ものとなし、一心決定して至臍の眼をひらくゆへ、變にあふても亂るゝ事なし、
現代語訳
兵術者には肉心と本心があります。肉心とは、勝つ道理を知り術も知っているのに、その術が出せないことをいいます。本心とは、勝つ術と道理を通じて理解し、その術が心のとおりに出せることをいいます。肉心の者が知っている術を使えないのは、心が動くからです。本心の者が術を使えるのは、心が動かないからです。また、心が動くものを肉心というのは、心を底に落ち着けるときは動くことがなく、心が浮いて治まらないために動きやすいからです。心が皮と肉の間にあるということで、肉心というのです。心が動かないものを本心というのは、心が皮肉を離れて、腹の中の臍の下に落ち着いて動かないからで、これを本心といいます。たとえれば、本心は美食を食べ、その味をよくかみ分けて腹に収めたようなものです。肉心も食べるとはいえ、まだ口の中にあって腹に入っていないようなものです。心が皮と肉の間にとどまって治まらないため、異変に出会うと散り乱れます。本心は、道理も術も自分のものとし、一心が定まって臍の下に眼を開いているため、異変に出会っても乱れることがありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『兵法家伝書』活人劔「本心と妄心」すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
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『兵術要訓抄録』・車軸としての不動心理を離れて勝を極るヿならざるものなり、又理を知るとも業を練磨せざれば進退動靜自由ならず、たとへば膝行の喧嘩をするが如く、口をきけども敵するヿあたはず、故に業理は兩輪兩翼の如く、車兩輪備て全行事叶ふ、鳥兩翼揃て翔るヿなる、然るに心は又車軸鳥躰にて、車軸なきときは行事叶はず、鳥躰無きときは飛翔る事叶はず、軸有て兩輪全し、體有て兩翼全し、故に不動心は本なり、心亂るゝときは業も理も轉動してなす事あたはず、業をなし理を明にして勝を得るは、たゞ心の不動にあるなり、凡兵術を學ぶ人、業理心の三を修して、武の奧義を極むべし、
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『兵術要訓抄録』・業理心の三要凡兵術に其要三有り、業理心是也、業とは師授の形術を學びて躰を固め進退動靜を自由にして、討はうち、突はつき、受るはうけ、進は進の業に達するを云なり、理とは勝敗の理なり、凡此要訓は皆理を以主靜ならしむる書也、其外師授の形術各理あり、是を通達するヿを理と云なり、心とは主靜なり、主靜とは不動心なり、是をたとえるに車の如く、又飛鳥の如く、業と理は兩輪兩翼の如く、心は車軸の如く、鳥躰の如く、業に達して理を知らざるは、車片輪なきが如く鳥片翼なきが如く、片輪なくんば行事叶はず、片翼なきときは鳥翔るヿ叶はず、業に達すとも勝負の理を不知しては勝とも眞の勝にはあらず相手弱也、
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『兵法家伝書』活人劔「妄心は邪、本心に叶えば名人」妄心は何事をなせども邪也、此邪の心が出たらば、兵法も負べし、弓もあたるべからず、鐵炮もはづるべし、馬ものらるまじ、能も見ぐるしかるべし、舞もきゝぐるしかるべし、云事もあやまりあらはるべし、一切皆たがふべし、本心に叶ば、何事も皆よろしかるべし、僞をかまへて、僞りなきと云、其言葉妄心なる故に、早く其僞りあらはるゝ也、心まことなれば、ことわりに不及して聞く人やがて知る、本心にことわり不入物也、妄心は心の病なり、此妄をさるを、病氣を去ルと云也、此病氣をされば、無病の心也、卽此無病の心を、本心と云、本心にかなはゞ、兵法は名人なるべし、ありとあらゆる程の事一も此道理にはづるべからず
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『兵術要訓抄録』・心の修行と勇平常心の修行をする時は眞劔といへども恐るゝヿなく心靜る也、又心の修行とは、第一勇を固めて臆を去る、第二捨身其外傳あり、不動心の術者の敵を受ずんば知れがたし、勇を固るとは、山林墓所森川妖怪出る處などへ往き終夜こもるヿなり、是に傳ありといへども、傳を不知とも修すれば德あり、君子は危きに近よらずと云事あれば、道に逆ふやう思ふ人も有べし、然れども危きを遁んためと、敵に勝て大功を立、忠を立ん爲の事にして、君子の道に違ふヿなし、扨又心の行は師傳なくてはならざれども、此書心の道理を說し書なれば、此書の理をよく合點し、我心を此書の通りになるやうに常々修する時は、是則心の修行にて、終に不動心の塲に至るべし、
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『兵術要訓抄録』・兵術の二つの要と主静凡そ兵術とは、其の要に二つ有り。蓋し能く師授の形術を執りて以て其の支体を練熟するが一なり。又能く彼此の妙理を察して以て其の動静を神化するが二なり。此の二者は猶ほ車の両輪を備へ、鳥の両翼を共にするがごとし。必ず偏廃すべからず。而して所謂主静なる者は、又其の機軸なり。蓋し言ふ、車は両輪を全くすと雖も、然れども軸無ければ則ち其れ何を以て之を行らんや。鳥は両翼を列ぬと雖も、然れども体無ければ則ち亦之を尸る者無し。故に主静とは此れ其の本なり。如し能く之を知らば、則ち其の心身の作止勝敗の秘密を燭らすこと、亦猶ほ掌を指すがごとし。因りて兵術要訓一巻を撰し、以て其の義を明らかにす。未だ備はらざる者有るが若しと雖も、亦将に以て後学の一助と為さんと云爾。

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