兵法家伝書 / 活人劔本心と妄心
すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
書き下し
すぐなる心をば本心と申也、又は道心とも云也、曲汚たる心は妄心と云、人心とも申也、我が本心をさとり得て、其本心に我がなすわざのかなふ人は床しき事なり、此言葉我よく心を得て如此いふにあらず、如斯いふといへども、われも心のすぐにして、すぐなる心にかなふごとくに、身の進退動静する事は難成事なれども、道なればしるす者也、
現代語訳
素直な心を本心と申す。また道心とも言う。曲がり汚れた心は妄心といい、人心とも申す。自分の本心を悟り得て、その本心に自分のなす仕事がかなう人は、慕わしいことである。この言葉は、自分がよく心を得てこのように言うのではない。このように言うけれども、自分も心が素直で、素直な心にかなうように身の進退動静をすることは成しがたいけれども、道であるから記すのである。
解説
素直な心を本心あるいは道心、曲がり汚れた心を妄心あるいは人心と呼び分ける段です。本心を悟り、そのわざが本心にかなう人は慕わしいと言います。ただし宗矩は、自分がそのようにできていて語るのではないと断り、それでも道であるから記すと述べます。進退動静を素直な心にかなうようにすることの難しさを、書き手自身も認めているのです。この謙虚な断り書きは、教えを説く者の態度として示唆的です。現代の管理職や指導者も、自分ができていないことを教える場面があります。そのとき、できていないと自覚しながらなお基準を示すという姿勢は、説得力を損なうよりも、むしろ誠実さとして受け止められることがあります。
この章句が説くこと
本心道心妄心人心素直兵法家伝書
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