兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋座敷の直り所
座敷直り所之事 一 座敷直り所戶障子屛風などにても萬有之物に心を付べし。何程用心の座敷にても目に立チ法に逃候所には不被居儀勿論に候。然時は直り所惡敷候とても、後に戶障子有之は、不好事なれども、心を付、不圖人可出と其覺悟を致候得ば、後壁などにて心遣なき所に居り、致油斷候よりはたくらべかたく增にて候。或は屛風何にても座敷に有之物鑓長刀太刀の義は不及申少々は飛道具にても是にて請留一働は可致と覺悟致候義肝要に候。曾て是にて私を得べきとの儀にては無之候。何のさわりもなく、むさ〱と取れ候か打果され候得ば無是非候故、武士の道を立て無油斷候上、敵の爲に擒に成候は悔少き故是以覺悟の儀也。
新字:座敷直り所之事 一 座敷直り所戸障子屛風などにても万有之物に心を付べし。何程用心の座敷にても目に立チ法に逃候所には不被居儀勿論に候。然時は直り所悪敷候とても、後に戸障子有之は、不好事なれども、心を付、不図人可出と其覚悟を致候得ば、後壁などにて心遣なき所に居り、致油断候よりはたくらべかたく增にて候。或は屛風何にても座敷に有之物鑓長刀太刀の義は不及申少々は飛道具にても是にて請留一働は可致と覚悟致候義肝要に候。曽て是にて私を得べきとの儀にては無之候。何のさわりもなく、むさ〱と取れ候か打果され候得ば無是非候故、武士の道を立て無油断候上、敵の為に擒に成候は悔少き故是以覚悟の儀也。
書き下し
座敷直り所之事 一 座敷直り所戶障子屛風などにても萬有之物に心を付べし。何程用心の座敷にても目に立チ法に逃候所には不被居儀勿論に候。然時は直り所惡敷候とても、後に戶障子有之は、不好事なれども、心を付、不圖人可出と其覺悟を致候得ば、後壁などにて心遣なき所に居り、致油斷候よりはたくらべかたく增にて候。或は屛風何にても座敷に有之物鑓長刀太刀の義は不及申少々は飛道具にても是にて請留一働は可致と覺悟致候義肝要に候。曾て是にて私を得べきとの儀にては無之候。何のさわりもなく、むさ〱と取れ候か打果され候得ば無是非候故、武士の道を立て無油斷候上、敵の爲に擒に成候は悔少き故是以覺悟の儀也。
現代語訳
座敷の直り所のこと。一、座敷の直り所は、戸・障子・屏風などにても、万事にわたって有るものに心を付けるべきである。どれほど用心した座敷でも、目に立ち、法に逃げる所には居られないことはもちろんである。そうであれば、直り所が悪くとも、後ろに戸・障子があるのは好ましくないことだが、心を付け、不意に人が出るかもしれないと覚悟していれば、後ろの壁などで気遣いのない所に居て油断するよりは、比べがたくまさっている。あるいは屏風、何にしても座敷にあるもの、鑓・長刀・太刀の義は言うに及ばず、少しは飛び道具でも、これで受け止めて一働きしようと覚悟することが肝要である。決してこれで私を得ようということではない。何の障りもなく、むざむざと取られるか打ち果たされるのであれば致し方ないので、武士の道を立て、油断なくしたうえで、敵のために捕らわれるのは悔いが少ないから、これも覚悟のことである。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
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