兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋脇指にて突く樣
脇指にて突樣突所之事 小脇指にては勿論突事を專にし、切事は一圓なき者なり。中脇指長脇指にても近き者は切ル心得は惡也。切ル時は取らるゝ事も又切レざる事も有。しつ(失)多き物也。近き者は何レ突候て、互に指違候には無迯、此覺悟に候得ば心に勇も出來、所作もけなげに有之もの也。又近ク候とても、中脇指などにては切る時も有べし。突く所は願くは腹の內可然也。是は不定行掛次第兩のかいな股には突かぬもの也。亦相手も此心得にて近く候得ば突事を好候間、夫を心にかけ相手の太刀さきを逃し長短の一味の心持にて無刀に取候義心に縣べき也。手前より突時も相手よりとられざる心持肝要也。何紙面には顯がたし一人に脇指にて掛り取所を逃樣色々有之。前のヶ條に同じ。口傳にあらざれば書載には難成。
新字:脇指にて突様突所之事 小脇指にては勿論突事を専にし、切事は一円なき者なり。中脇指長脇指にても近き者は切ル心得は悪也。切ル時は取らるゝ事も又切レざる事も有。しつ(失)多き物也。近き者は何レ突候て、互に指違候には無迯、此覚悟に候得ば心に勇も出来、所作もけなげに有之もの也。又近ク候とても、中脇指などにては切る時も有べし。突く所は願くは腹の内可然也。是は不定行掛次第両のかいな股には突かぬもの也。亦相手も此心得にて近く候得ば突事を好候間、夫を心にかけ相手の太刀さきを逃し長短の一味の心持にて無刀に取候義心に県べき也。手前より突時も相手よりとられざる心持肝要也。何紙面には顕がたし一人に脇指にて掛り取所を逃様色々有之。前のヶ条に同じ。口伝にあらざれば書載には難成。
書き下し
脇指にて突樣突所之事 小脇指にては勿論突事を專にし、切事は一圓なき者なり。中脇指長脇指にても近き者は切ル心得は惡也。切ル時は取らるゝ事も又切レざる事も有。しつ(失)多き物也。近き者は何レ突候て、互に指違候には無迯、此覺悟に候得ば心に勇も出來、所作もけなげに有之もの也。又近ク候とても、中脇指などにては切る時も有べし。突く所は願くは腹の內可然也。是は不定行掛次第兩のかいな股には突かぬもの也。亦相手も此心得にて近く候得ば突事を好候間、夫を心にかけ相手の太刀さきを逃し長短の一味の心持にて無刀に取候義心に縣べき也。手前より突時も相手よりとられざる心持肝要也。何紙面には顯がたし一人に脇指にて掛り取所を逃樣色々有之。前のヶ條に同じ。口傳にあらざれば書載には難成。
現代語訳
脇指で突く様、突く所のこと。小脇指では、もちろん突くことを専らとし、切ることはまったくないものである。中脇指・長脇指でも、近い相手に切る心得は悪い。切るときは取られることも、また切れないこともある。失敗の多いものである。近い相手には、いずれも突いて、互いに差し違えるなら逃げようもない、この覚悟でいれば心に勇も出てき、所作も健気になるものである。また近くても、中脇指などでは切る時もあるだろう。突く所は、願わくは腹の内がよい。これは不定で、行きがかりしだいで、両の腕や股には突かないものである。また相手もこの心得で近くにいれば突くことを好むから、それを心にかけ、相手の太刀先を逃がし、長短一味の心持ちで無刀に取ることを心にかけるべきである。手前から突くときも、相手に取られない心持ちが肝要である。何分、紙面には現しがたい。一人に脇指で掛かられたときの取り所、逃れ方はいろいろあって、前の箇条に同じ。口伝でなければ書き載せることは難しい。
解説
この章句が説くこと
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