兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋川渡・四寸淵
川渡に四寸淵の事 一 河渡樣品々有之。第一には馬の足不立程の深キ所にては馬の鞍つぼを離れ、脇におよぎ、右にても左にても手きゝの方にて水をかき、片手にては鞍の前輪の邊りのふさをとらへ候て渡す物にて候。馬をおよがせ候儀は一圓になき事にて候。如何樣に逸物の馬にても、足たゝぬ所にては、馬頭を上げ眞直に立、人の力にておよぎ候儀よの常の事にて候。馬にて川を渡候と聞傳、馬を一圓に乗込候得ば馬人共に沈物にて候。能々其心得可有事也。馬いかだの組樣有之候得共、是は惡敷候故不及書載、四寸淵の事と御座候は失念申候。
新字:川渡に四寸淵の事 一 河渡様品々有之。第一には馬の足不立程の深キ所にては馬の鞍つぼを離れ、脇におよぎ、右にても左にても手きゝの方にて水をかき、片手にては鞍の前輪の辺りのふさをとらへ候て渡す物にて候。馬をおよがせ候儀は一円になき事にて候。如何様に逸物の馬にても、足たゝぬ所にては、馬頭を上げ真直に立、人の力にておよぎ候儀よの常の事にて候。馬にて川を渡候と聞伝、馬を一円に乗込候得ば馬人共に沈物にて候。能々其心得可有事也。馬いかだの組様有之候得共、是は悪敷候故不及書載、四寸淵の事と御座候は失念申候。
書き下し
川渡に四寸淵の事 一 河渡樣品々有之。第一には馬の足不立程の深キ所にては馬の鞍つぼを離れ、脇におよぎ、右にても左にても手きゝの方にて水をかき、片手にては鞍の前輪の邊りのふさをとらへ候て渡す物にて候。馬をおよがせ候儀は一圓になき事にて候。如何樣に逸物の馬にても、足たゝぬ所にては、馬頭を上げ眞直に立、人の力にておよぎ候儀よの常の事にて候。馬にて川を渡候と聞傳、馬を一圓に乗込候得ば馬人共に沈物にて候。能々其心得可有事也。馬いかだの組樣有之候得共、是は惡敷候故不及書載、四寸淵の事と御座候は失念申候。
現代語訳
川渡り、四寸淵のことです。一、川の渡りようは品々あります。第一には、馬の足が立たないほど深い所では、人は馬の鞍坪を離れ、脇に泳ぎ、右でも左でも手の利く方で水を掻き、片手では鞍の前輪のあたりの房を捕えて渡るものです。馬を泳がせることは全くないことです。どんなに逸物の馬でも、足の立たない所では、馬は頭を上げ真直ぐに立ち、人の力で泳ぐのが世の常です。馬で川を渡ると聞き伝えて、馬に一円に乗り込めば、馬も人も共に沈むものです。よくよく心得るべきことです。馬いかだの組みようもありますが、これは悪いので書き載せるに及びません。四寸淵ということは、失念いたしました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』魯問子墨子、公尚過を越に游ばしむ。公尚過、越王に説く。越王、大いに説び、公尚過に謂いて曰く、「先生、茍くも能く子墨子をして越に於いて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子墨子に封ぜん」と。公尚過、許諾す。遂に公尚過の為に車五十乗を束ね、以て子墨子を魯に迎えて曰く、「吾れ夫子の道を以て越王に説く。越王、大いに悦びて過に謂いて曰く、『茍くも能く子墨子をして越に至りて寡人を教えしめば、請う、故吳の地、方五百里を裂きて以て子を封ぜん』と」。子墨子、公尚過に謂いて曰く、「子、越王の志を觀るに何若。意うに越王、将に吾が言を聴き、吾が道を用いんとせば、則ち翟、将に往かんとす。腹を量りて食い、身を度りて衣し、自ら羣臣に比せん。奚んぞ能く封を以て為さんや。抑そも越、吾が言を聴かず、吾が道を用いずして、我れ往かば、則ち是れ我れ義を以て糶るなり。之を糶るに鈞しくんば、亦た中國に於いてするのみ。何ぞ必ずしも越に於いてせんや」と。
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『墨子』備城門凡そ圍城を守るの法、厚くして以て髙く、壕や深くして以て廣く、樓撕・揗守の備え、繕い利し。薪食は以て三月以上に交うるに足り、人衆は以て選び、吏尺は和し、大臣の上に功勞有る者は多く、主は信にして義を以てし、萬民、之を樂しむこと窮まり無し。然らずんば、父母の墳墓、焉に在り。然らずんば、山林草澤の饒、利するに足る。然らずんば、地形の攻め難くして守り易きなり。然らずんば、則ち敵に深き怨み有りて上に大功有り。然らずんば、則ち賞、眀らかにして信ず可く、罰、嚴にして畏るるに足るなり。
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『墨子』非攻下今、夫の師なる者の相い不利を為す者や、曰く、將、勇ならず、士、分たず、兵、利からず、教、習わず、師、衆からず、卒、和せず、威、圉がず、之を害すること久しからず、之を争うこと疾からず、之に孫うこと强からず、心を植うること堅からず、與國の諸侯、疑う。與國の諸侯、疑えば、則ち敵、慮を生じて意、嬴らん。
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『墨子』經說上故。小故は、之れ有るも必ずしも然らず、之れ無ければ必ず然らず。體なり、端有るが若し。大故は、之れ有れば必ず然ること無し、之を見て見を成すが若し。體は、二の一、尺の端の若きなり。知材。知なる者は、知る所以なり。而して必ず知る、眀の若し。慮。慮なる者は、其の知を以て求むる有るなり。而して必ずしも之を得ず、睨るが若し。知。知なる者は、其の知を以て物に過り、而して能く之を貌るなり。見るが若し。恕。恕なる者は、其の知を以て物を論じ、而して其の之を知るや著し。眀の若し。仁。己を愛するは、己を用うるが為に非ず、愛の焉に著しきに若かず。眀の若し。義。志、天下を以て芬と為し、而して能く之を利す。必ずしも用いられず。禮。貴き者は公とし、賤しき者は名とす。而して倶に敬僈有り、等しくして論を異にするなり。行。為す所、名を善くせざるは行なり。為す所、名を善くするは巧なり、盜を為すが若し。
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『墨子』雜守子墨子曰く、凡そ守らざる者に五有り。城大にして人少なきは、一の守らざるなり。城小にして人衆きは、二の守らざるなり。人衆くして食寡なきは、三の守らざるなり。市、城を去ること逺きは、四の守らざるなり。畜積、外に在り、富人、虚に在るは、五の守らざるなり。萬家を率いて城、方三里。
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『墨子』七患今、其の子を負いて汲む者有り、其の子を井中に隊とせば、其の母は必ず従いて之を拯わん。今、嵗凶に、民饑え、道に餓うるは、此の疚み、子を隊とすより重し。其れ察する無かる可けんや。故に時年、嵗善ければ、則ち民は仁にして且つ良し。時年、嵗凶なれば、則ち民は吝にして且つ惡し。夫れ民に何の常か之れ有らん。為す者寡く、食らう者衆ければ、則ち嵗に豐なること無し。故に曰く、「財足らざれば則ち之を時に反り、食足らざれば則ち之を用に反る」と。故に先民は時を以て財を生じ、本を固くして財を用う、則ち財足る。故に上世の聖王と雖も、豈に能く五榖をして常に收まらしめて、旱水をして至らざらしめんや。然れども凍餓の民無き者は、何ぞや。其の力むること時に急にして、自ら養うこと儉なればなり。故に夏書に曰く「禹に七年の水あり」、殷書に曰く「湯に五年の旱あり」と。此れ其の凶餓に離るること甚し。然れども民の凍餓せざる者は、何ぞや。其の財を生ずること密にして、其の之を用うること節なればなり。
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