兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋手綱鞍前のこしらへ
手綱鞍前のこしらへ樣の事 一 手綱にはくさりを入仕懸候儀よの常の法にて候。手綱を切候へば魚の水に離候樣にて馬武者其詮なき事に候故、此くさり入候儀第一の覺悟にて候。扨又鞍を乗返し候はぬ樣に腹帶の〆樣その意得有べき事に候。鞍にはくらかためとて致樣品々有之、惡敷候へば離れかね候。又鞍がための内にも、かため所兩の膝を道具にてかため候儀有之。是は自由も各別よく候へども、少道具多候矢野流とて存候者多く候。是も紙面には難傳候也。
新字:手綱鞍前のこしらへ様の事 一 手綱にはくさりを入仕懸候儀よの常の法にて候。手綱を切候へば魚の水に離候様にて馬武者其詮なき事に候故、此くさり入候儀第一の覚悟にて候。扨又鞍を乗返し候はぬ様に腹帯の〆様その意得有べき事に候。鞍にはくらかためとて致様品々有之、悪敷候へば離れかね候。又鞍がための内にも、かため所両の膝を道具にてかため候儀有之。是は自由も各別よく候へども、少道具多候矢野流とて存候者多く候。是も紙面には難伝候也。
書き下し
手綱鞍前のこしらへ樣の事 一 手綱にはくさりを入仕懸候儀よの常の法にて候。手綱を切候へば魚の水に離候樣にて馬武者其詮なき事に候故、此くさり入候儀第一の覺悟にて候。扨又鞍を乗返し候はぬ樣に腹帶の〆樣その意得有べき事に候。鞍にはくらかためとて致樣品々有之、惡敷候へば離れかね候。又鞍がための内にも、かため所兩の膝を道具にてかため候儀有之。是は自由も各別よく候へども、少道具多候矢野流とて存候者多く候。是も紙面には難傳候也。
現代語訳
手綱・鞍前のこしらえようのことです。一、手綱には鎖を入れて仕掛けることが世の常の法です。手綱が切れれば、魚が水を離れたようで、馬武者はなす術がありませんので、この鎖を入れることが第一の覚悟です。さらに、鞍を乗り返さないように、腹帯の締めように心得があるべきです。鞍には鞍固めといって、するようが品々あり、悪いと離れかねません。また鞍固めの内にも、両膝を道具で固めることがあります。これは自由もかくべつによいのですが、少し道具が多くなります。矢野流と心得ている者が多くいます。これも紙面では伝えがたいことです。
解説
この章句が説くこと
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『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
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