兵法家伝書 / 新陰流外物進履橋夜の火持樣
新陰流外物 一名 進履橋 夜の火持樣の事 一 夜の火とは先胴の火の事也。こしらへのくゝり樣、先大概を記す。上々の苧を成程やはらかにもみ、わたの樣に成ほどにして、一尺ばかりづゝに切、四五寸まはりにつくね、十をにても十五にても土穴の中にて火を付、殘なき樣によく燒、其後穴の口に鉢にても土器やうの物にてもかぶせ、よのつねの黑燒などの樣にいきを込、息の不出樣に蓋の廻を能く土にて塗り、其後取出し、四寸斗宛に切、三寸廻り程につくね候て、竹の皮にて五所程くゝり、同竹の皮にて二重程卷きくゝり、其後小口より火を付、鼻紙の中へ入置候へば、一日程はこたへ申候。此胴の火にてほぐち付、竹などに付用候。品は色々可有之、鼻紙筒抔のやうにも尤可然なり。其時はほぐちを火ばさみに合候て作り置、時に至て用ひ可然也。是も先大圖ばかりなり。不口傳者難成なり。
新字:新陰流外物 一名 進履橋 夜の火持様の事 一 夜の火とは先胴の火の事也。こしらへのくゝり様、先大概を記す。上々の苧を成程やはらかにもみ、わたの様に成ほどにして、一尺ばかりづゝに切、四五寸まはりにつくね、十をにても十五にても土穴の中にて火を付、残なき様によく焼、其後穴の口に鉢にても土器やうの物にてもかぶせ、よのつねの黒焼などの様にいきを込、息の不出様に蓋の廻を能く土にて塗り、其後取出し、四寸斗宛に切、三寸廻り程につくね候て、竹の皮にて五所程くゝり、同竹の皮にて二重程巻きくゝり、其後小口より火を付、鼻紙の中へ入置候へば、一日程はこたへ申候。此胴の火にてほぐち付、竹などに付用候。品は色々可有之、鼻紙筒抔のやうにも尤可然なり。其時はほぐちを火ばさみに合候て作り置、時に至て用ひ可然也。是も先大図ばかりなり。不口伝者難成なり。
書き下し
新陰流外物 一名 進履橋 夜の火持樣の事 一 夜の火とは先胴の火の事也。こしらへのくゝり樣、先大概を記す。上々の苧を成程やはらかにもみ、わたの樣に成ほどにして、一尺ばかりづゝに切、四五寸まはりにつくね、十をにても十五にても土穴の中にて火を付、殘なき樣によく燒、其後穴の口に鉢にても土器やうの物にてもかぶせ、よのつねの黑燒などの樣にいきを込、息の不出樣に蓋の廻を能く土にて塗り、其後取出し、四寸斗宛に切、三寸廻り程につくね候て、竹の皮にて五所程くゝり、同竹の皮にて二重程卷きくゝり、其後小口より火を付、鼻紙の中へ入置候へば、一日程はこたへ申候。此胴の火にてほぐち付、竹などに付用候。品は色々可有之、鼻紙筒抔のやうにも尤可然なり。其時はほぐちを火ばさみに合候て作り置、時に至て用ひ可然也。是も先大圖ばかりなり。不口傳者難成なり。
現代語訳
新陰流外物、またの名を進履橋。夜の火持ちようのことです。一、夜の火とは、まず胴の火のことです。こしらえの括りようを、まず大概記します。上々の苧をできるだけ柔らかく揉み、綿のようになるほどにして、一尺ほどずつに切り、四、五寸まわりにつくねます。十本でも十五本でも土の穴の中で火を付け、残りなくよく焼きます。その後、穴の口に鉢でも土器のようなものでも被せ、ふつうの黒焼きなどのように息を込め、息が出ないように蓋のまわりをよく土で塗ります。その後取り出し、四寸ばかりずつに切って三寸まわりほどにつくねて、竹の皮で五か所ほど括り、同じ竹の皮で二重ほど巻き括ります。その後、小口から火を付けて鼻紙の中に入れておけば、一日ほどは持ちます。この胴の火で火口を付け、竹などに付けて用います。品は色々あるでしょう。鼻紙筒などのようにするのももっともよろしいことです。その時は火口を火挟みに合わせて作り置き、時に至って用いるのがよいです。これもまず大図ばかりです。口伝がなければ成りがたいことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公八年 陽虎、宝玉大弓を取る之に違へば死を徵す。死すとも主に益無し」と。桓子曰く、「何の後るることか之有らん。而、能く我を以て孟氏に適かんか」と。對へて曰く、「敢へて死を愛まず。主を免れしめざらんことを懼る」と。桓子曰く、「往け」と。孟氏、圉人の壯なる者三百人を選び、以て公期の為に室を門外に築かしむ。林楚、馬を怒らせ、衢に及びて騁す。陽越、之を射て中らず。築く者、門を闔づ。門の間より陽越を射る有りて、之を殺す。陽虎、公と武叔とを劫かして以て孟氏を伐つ。公斂處父、成人を帥ゐ、上東門より入りて陽氏と南門の內に戰ふ。勝たず。又棘下に戰ふ。陽氏敗る。陽氏、甲を說きて公宮に如き、寶玉・大弓を取りて以て出で、五父の衢に舍る。寢ねて食を為る。其の徒曰く、「追ふもの其れ將に至らんとす」と。虎曰く、「魯人、余の出づるを聞かば、死を徵すを喜ばん。何の暇ありてか余を追はん」と。從者曰く、「嘻、速かに駕せよ。公斂陽在り」と。公斂陽、之を追はんことを請ふ。孟孫許さず。陽、桓子を殺さんと欲す。孟孫懼れて之を歸す。子言、辨く爵を季氏の廟に舍きて出づ。陽虎、讙・陽關に入りて以て叛く。鄭の駟歂、子大叔を嗣ぎて政を為す。
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『春秋左氏伝』成公九年 備へ無きかな冬十一月、楚の子重陳より莒を伐ち、渠丘を圍む。渠丘城惡し。眾潰えて、莒に奔る。戊申、楚渠丘に入る。莒人楚の公子平を囚ふ。楚人曰く、「殺す勿かれ。吾而の俘を歸さん」と。莒人之を殺す。楚の師莒を圍む。莒の城も亦た惡し。庚申、莒潰ゆ。楚遂に鄆に入る。莒備へ無きが故なり。君子曰く、「陋を恃みて備へざるは、罪の大なる者なり。不虞に備豫するは、善の大なる者なり。莒其の陋を恃みて、城郭を脩めず。浹辰の間にして、楚其の三都に克つ。備へ無きかな。詩に曰く、『絲麻有りと雖も、菅蒯を棄つる無かれ。姬姜有りと雖も、蕉萃を棄つる無かれ。凡百の君子、匱しきに代はらざる莫し』と。備への以て已むべからざるを言ふなり」と。秦人・白狄晉を伐つ。諸侯貳するが故なり。鄭人許を圍む。晉に君を急がざるを示すなり。是れ則ち公孫申之を謀りて曰く、「我師を出だして以て許を圍み、將に君を改め立てんとする者の為にして、而して晉の使を紓べば、晉必ず君を歸さん」と。中城に城く。時を書するなり。十二月、楚子公子辰をして晉に如かしむ。鍾儀の使に報い、好を修め成を結ばんことを請ふ。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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『家道訓』巻之一・総論上一凡、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。第一に、来年の秋までの糧米をそなへ、次に塩醬をたくはへ、脯醢をつくり、薪炭油をかねてよりあつむべし。右の貯なければ、家の計たたず。奴婢をあはれみ、其衣食居処を察して飢寒せしめず、其所を得せしむべし。男女内外の別を正しくし、武士は、鎗長刀弓矢鉄炮杖棒等を、常に便よき所におくべし。常に用ふる器をととのへ備へ、器のそこなへるをば修補し、屋宅蔵庫牆壁の破損せるをはやく修理し、材木竹茅土石を求め貯へ、馬をよく飼ひ、其外、家に飼ふべき畜類をやしなひ、菜蔬草木、時に順つてうゑやしなふべし。蔵のあけたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、つねにきびしくしておこたるべからず。火をふせぐ器なども平日備ふべし。凡家内のこと、つねに心を用ひておこたるべからず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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