兵法家伝書 / 跋兵法之本書
兵法之本書一卷者、名進履橋、大凡目錄也、亡父但馬守宗嚴自上泉武藏守藤原秀綱所直傳也、右之目錄之分、於相窮人者、書寫本書一卷而授之可爲相傳之證者也、此上下兩卷者習之外之別傳也 亡父一生以道寢食之間不忘之、故於此道得妙理、平生置予於左右談妙說玄有聊聞得則拳々而服膺、予成人握手刀柄而雖繼父業未曾自由、漸過知命之年得此道之滋味、毎得一件之理、記之、積涉多端所窮歸一心、々々涉多事、々々收一心畢竟在于茲、今書之爲兩卷並本書共三卷以遺之家云 寬永九年壬申九月吉晨 上泉武藏守藤原 信綱 亡父柳生但馬守菅原 宗嚴 的子柳生但馬守菅原 宗矩 同 十兵衞菅原 三嚴 寬永九年壬申九月吉晨 鍋嶋信濃守殿
新字:兵法之本書一巻者、名進履橋、大凡目録也、亡父但馬守宗厳自上泉武蔵守藤原秀綱所直伝也、右之目録之分、於相窮人者、書写本書一巻而授之可為相伝之証者也、此上下両巻者習之外之別伝也 亡父一生以道寝食之間不忘之、故於此道得妙理、平生置予於左右談妙説玄有聊聞得則拳々而服膺、予成人握手刀柄而雖継父業未曽自由、漸過知命之年得此道之滋味、毎得一件之理、記之、積渉多端所窮帰一心、々々渉多事、々々収一心畢竟在于茲、今書之為両巻並本書共三巻以遺之家云 寛永九年壬申九月吉晨 上泉武蔵守藤原 信綱 亡父柳生但馬守菅原 宗厳 的子柳生但馬守菅原 宗矩 同 十兵衛菅原 三厳 寛永九年壬申九月吉晨 鍋嶋信濃守殿
書き下し
兵法之本書一卷者、名進履橋、大凡目錄也、亡父但馬守宗嚴自上泉武藏守藤原秀綱所直傳也、右之目錄之分、於相窮人者、書寫本書一卷而授之可爲相傳之證者也、此上下兩卷者習之外之別傳也 亡父一生以道寢食之間不忘之、故於此道得妙理、平生置予於左右談妙說玄有聊聞得則拳々而服膺、予成人握手刀柄而雖繼父業未曾自由、漸過知命之年得此道之滋味、毎得一件之理、記之、積涉多端所窮歸一心、々々涉多事、々々收一心畢竟在于茲、今書之爲兩卷並本書共三卷以遺之家云 寬永九年壬申九月吉晨 上泉武藏守藤原 信綱 亡父柳生但馬守菅原 宗嚴 的子柳生但馬守菅原 宗矩 同 十兵衞菅原 三嚴 寬永九年壬申九月吉晨 鍋嶋信濃守殿
現代語訳
兵法の本書一巻は「進履橋」と名づけ、おおよそ目録にあたるものです。亡父但馬守宗厳が上泉武蔵守藤原秀綱から直に伝えられたものです。この目録の分を窮めた人には、本書一巻を書き写して授け、相伝の証とすべきです。この上下二巻は、習いのほかの別伝です。亡父は一生、道を寝食のあいだにも忘れず、そのためこの道で妙理を得ました。いつも私を左右に置いて妙を語り玄を説き、私はいささか聞き得たところを大切に心に留めてきました。私は成人して刀の柄を握り父の業を継ぎましたが、まだ自由の境地には至りませんでした。やがて知命の年を過ぎてこの道の滋味を得、一つの理を得るたびにこれを記しました。積もり重なって多端に及びましたが、窮めたところは一心に帰します。心は多くの事にかかわり、多くの事は一心に収まる。畢竟はここにあります。今これを書いて上下二巻とし、本書と合わせて共に三巻として家に遺すといいます。寛永九年壬申九月吉晨、上泉武蔵守藤原信綱、亡父柳生但馬守菅原宗厳、的子柳生但馬守菅原宗矩、同じく十兵衛菅原三厳。寛永九年壬申九月吉晨。宛名は鍋島信濃守殿です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『不動智神妙録』一心の明らめやう神道、歌道、儒道とて道多く候へども、皆この一心の明なる所を申し候、言葉にて心を講釈したぶんにてはこの一心人と我身にあたりて、昼夜善事悪事とも業により家を離れ国を亡し其身の程々にしたがひ、善し悪しともに心の業にて候へども、此心を如何やうなるものぞと悟り明らむる人なく候て、皆心に感され候、
-
『晏子春秋』問下・梁丘據問子事三君不同心晏子對以一心可以事百君梁丘据、晏子に問いて曰く、「子は三君に事え、君の心同じからざるに、子は俱に順う。仁人は固より多心なるか」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、順愛して懈らざれば、以て百姓を使う可し。強暴にして不忠なれば、以て一人を使う可からず。一心なれば以て百君に事う可く、三心なれば以て一君に事う可からず」と。仲尼之を聞きて曰く、「小子之を識せ、晏子は一心を以て百君に事うる者なり」と。
-
尚書・泰誓上亶(まこと)に聡明なるもの、元后と作り、元后は民の父母と作る。今商王受、上天を敬せず、災を下民に降し、沈湎して色を冒し、敢て暴虐を行ふ。人を罪するに族を以てし、人を官するに世を以てす。惟れ宮室・台榭・陂池・侈服、以て爾万姓を残害す。忠良を焚炙し、孕婦を刳剔(こてき)す。皇天震怒し、我が文考に命じ、粛みて天威を将(おこな)はしむるも、大勛未だ集(な)らず。肆(ゆゑ)に予小子発、爾友邦の冢君を以て、政を商に観るに、惟れ受悛(あらた)むる心有る罔く、乃ち夷居して、上帝神祗に事へず、厥の先の宗廟を遺てて祀らず。犧牲粢盛(しせい)、既に兇盗に于(ゆ)く。乃ち曰く、『吾民有り命有り』と、其の侮を懲らす罔し。天下民を佑け、之が君を作り、之が師を作る。惟れ其れ克く上帝を相け、四方を寵綏せしむ。罪有ると罪無きと、予曷ぞ敢て厥の志を越ゆること有らん。力を同じくすれば徳を度り、徳を同じくすれば義を度る。受臣億万有れども、惟れ億万心なり。予臣三千有り、惟れ一心なり。商の罪貫盈し、天命じて之を誅す、予天に順はずんば、厥の罪惟れ鈞(ひと)し。予小子夙夜祗み懼れ、命を文考に受け、上帝に類し、冢土に宜し、爾有衆を以て、天の罰を厎(いた)さん。天民を矜(あはれ)み、民の欲する所、天必ず之に従ふ。爾尚はくは予一人を弼(たす)け、永く四海を清めよ。時なるかな、失ふべからず。」
-
『晏子春秋』外篇下・仲尼見景公,景公曰:先生奚不見寡人宰乎仲尼斉に游び、景公に見ゆ。景公曰く、「先生奚ぞ寡人の宰に見えざる」と。仲尼対えて曰く、「臣聞く、晏子は、三君に事えて順を得たり、是れ三心有り。見えざる所以なり」と。仲尼出づ。景公其の言を以て晏子に告ぐ。晏子対えて曰く、「然らず。嬰の三心を為すに非ず、三君一心を為すが故なり。三君皆其の国家の安きを欲す、是を以て嬰順を得たり。嬰之を聞く、是にして之を非とし、非にして之を是とするは、猶お非なりと。孔丘は必ず此の一心に据り処らん」と。
-
孫子・作戦篇故に敵を殺すは怒なり、敵の利を取るは貨なり。故に車戦、車十乗以上を得ば、其の先ず得たる者を賞し、其の旌旗を更め、車は雑えて之に乗り、卒は善くして之を養う。是を敵に勝ちて益々強しと謂う。
-
呂氏春秋・論威③凡そ軍は其の衆きを欲し、心は其の一なるを欲す。三軍心を一にすれば、則ち令、敵無からしむ可し。令能く敵無き者は、其の兵の天下に於けるや、亦た敵無し。古の至兵、民の令を重んずること、天下より重く、天子より貴し。其の民心に藏せられ、肌膚に捷するや、深痛執固にして、搖蕩す可からず、物の之を能く動かすもの莫し。此の若ければ則ち敵胡ぞ勝つに足らん。故に曰く、其の令彊き者は其の敵弱く、其の令信なる者は其の敵詘す、と。先づ之に此に勝てば、則ち必ず之に彼に勝つ。
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る