兵法家伝書 / 無刀之卷法尚應捨常の心
法尚應捨何況非法 此文の心は、法とは眞實の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚應捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病氣也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ聲ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を讀む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
新字:法尚応捨何況非法 此文の心は、法とは真実の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚応捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病気也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ声ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を読む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
書き下し
法尚應捨何況非法 此文の心は、法とは眞實の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚應捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病氣也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ聲ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を讀む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
現代語訳
「法すら尚捨てるべし、いわんや非法をや」。この文の心は、法とは真実の正法である。正法であっても、一度悟り終えてからは、心に留めてはならない。法すら尚捨てるべし、というのである。正法でさえ、悟った後はこれを胸に留めず、胸の塵である。いわんや非法ならば、というのである。非法ならば、これを胸に置いてはならない、と言っている。一切の道理を見終えて、すべて胸に留めず、はらりはらりと捨てて胸を空虚にし、平生の何ともない心で所作をする。この位に至らなければ、兵法の名人とは言いがたい。兵法は我が家のことなので、とりわけて兵法と申すのである。兵法ひとつに限るべきではない。万の道がこのようである。兵法を遣うのに、兵法の心が退かなければ病気である。弓を射るのに、弓を射る心が退かなければ、弓の病である。ただ常の心になって、太刀を遣い弓を射れば、弓に難なく、太刀は自由であろう。何事にも驚かない、常の心は万事によい。平生の心を失って、何であれその事を言おうと思えば声が震える。常の心を失って人の前で物を書くなら、手が震える。常の心とは、胸に何事も残さず置かず、跡をはらりはらりと捨てて、胸が空虚になれば、常の心である。儒書を読む人は、この虚心の道理を心得ず、ひとえに敬の字の意に落ちる。敬の字の心は至極向上ではなく、階の一二段にある修行であるという。
解説
この章句が説くこと
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