兵法家伝書 / 無刀之卷龍濟和尚の示衆是非裏鷹取
龍濟和尚示衆云、是柱不見柱、非柱不見柱、是非已去了、是非裏鷹取、此話を万の道におもひあつべしと也、さる識者の示されける兵法におもひあて、爰に記置者也、是柱非柱とは是非が柱の立たごとく、是非善惡がむねの内にきつと立てある也、是さへ胸に置事ははづたといやなるに、非な事ならば、猶々いやなり、さる程に不見柱と云也、是非の柱を見るなど云儀也、此是非善惡が心の病也、此病が心を去ラねば何事をなすともよからざる也、さるによつて是非已去了、是非裏に鷹取と云也、是非をさりきつて、かへつて是非のうちにまじはりて居よ、是非のうちより至極の位に鷹み登れと云儀也、佛法に達したりとも、是非をはなれたる眼、誠に難有事也
新字:竜済和尚示衆云、是柱不見柱、非柱不見柱、是非已去了、是非裏鷹取、此話を万の道におもひあつべしと也、さる識者の示されける兵法におもひあて、爰に記置者也、是柱非柱とは是非が柱の立たごとく、是非善悪がむねの内にきつと立てある也、是さへ胸に置事ははづたといやなるに、非な事ならば、猶々いやなり、さる程に不見柱と云也、是非の柱を見るなど云儀也、此是非善悪が心の病也、此病が心を去ラねば何事をなすともよからざる也、さるによつて是非已去了、是非裏に鷹取と云也、是非をさりきつて、かへつて是非のうちにまじはりて居よ、是非のうちより至極の位に鷹み登れと云儀也、仏法に達したりとも、是非をはなれたる眼、誠に難有事也
書き下し
龍濟和尚示衆云、是柱不見柱、非柱不見柱、是非已去了、是非裏鷹取、此話を万の道におもひあつべしと也、さる識者の示されける兵法におもひあて、爰に記置者也、是柱非柱とは是非が柱の立たごとく、是非善惡がむねの内にきつと立てある也、是さへ胸に置事ははづたといやなるに、非な事ならば、猶々いやなり、さる程に不見柱と云也、是非の柱を見るなど云儀也、此是非善惡が心の病也、此病が心を去ラねば何事をなすともよからざる也、さるによつて是非已去了、是非裏に鷹取と云也、是非をさりきつて、かへつて是非のうちにまじはりて居よ、是非のうちより至極の位に鷹み登れと云儀也、佛法に達したりとも、是非をはなれたる眼、誠に難有事也
現代語訳
龍済和尚の示衆にいう。「是の柱は柱を見ず、非の柱は柱を見ず、是非已に去り了って、是非の裏に鷹取る」。この話を万の道に思い当てよというのである。ある識者が示した兵法への思い当てをここに記しておくものである。是柱・非柱とは、是非が柱の立ったように、是非善悪が胸の内にきっと立ててある。是でさえ胸に置くのはきまりが悪くいやなのに、非なことならなおさらいやである。だから柱を見ずという。是非の柱を見るなどの意である。この是非善悪が心の病である。この病が心を去らなければ、何事をなしてもよくないのである。それゆえ、是非已に去り了って、是非の裏に鷹取るという。是非を去りきって、かえって是非のうちに交わっていよ、是非のうちから至極の位に鷹のように登れ、という意味である。仏法に達したとしても、是非を離れた眼は、まことに有り難いことである。
解説
この章句が説くこと
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『兵法家伝書』殺人刀「木人如對花鳥」木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
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