兵法家伝書 / 殺人刀木人如對花鳥
木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
新字:木人如対花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に内外ともにうごく也、動転する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動転せぬ云様かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸仏の不動心といへる事、実に殊勝に覚ゆ 右之両条は兵法の病気をさると云心持にあて用る事也
書き下し
木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
現代語訳
「木人、花鳥に対するが如し」。これは麗居士の言葉である。木で作った人が花や鳥に向かっているようだ、という意味である。目は花や鳥に向いているが、心は花鳥に動かされない。もっともな道理がある。ただ、心ある人間がどうして木人のようになれようか。木人とは譬えである。心ある人間が木と同じであってはならない。人として竹や木のようにあってはならない。花を見るのに、花を見る心を新たに起こして見るのではない。ただ常の心で、無心に見ることを言っている。弓を射るときも、弓を射る心を新たに起こして射るのではない。常の心で射ることを言っている。常の心を無心と呼ぶのである。常の心を変えて新たに心を起こすと、姿も改まるので、内も外も動く。動いて揺れる心で万事をなせば、何事もうまくいかない。一言を言っても、動揺しない言い方をする人だと、人は褒めるものである。諸仏の不動心というのも、まことに殊勝に思われる。右の二条は、兵法の病気を去るという心持ちにあてて用いることである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『兵法家伝書』殺人刀「鏡の胸の内(平常心)」道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
-
『兵法家伝書』殺人刀「常の心(弓射る時弓射る心)」世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲亂るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乘も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
-
『兵法家伝書』殺人刀「着をはなれる(平等心是道)」右の話諸道に通じたる道理也、道とは何たる事を云ぞととへば、常の心を道と云也と答へられたり、實に至極の事也、心の病皆去て常の心に成て、病と交りて、病なき位なり、
-
『兵法家伝書』無刀之卷「法尚應捨(常の心)」法尚應捨何況非法 此文の心は、法とは眞實の正法也、正法也とも、一度さとり終りては、心にとむべからず、法尚應捨と也、正法さへ悟て後是を胸にとゞめず、胸の塵也、何況非法をやと也、正法さへ捨べし、いわむや非法ならば、是を胸に置べからずといへる也、一切の道理を見おはりて、皆胸にとゞめず、はらり〱とすてゝ胸を空虚になして、平生の何となき心にて、所作をなす此位にいたらずば、兵法の名人とは難言也、兵法は我が家の事なれば、さして兵法と申也、兵法一ッに限るべからず、よろづの道如此也、兵法遣ふに兵法の心、 のかずば病氣也、弓射るに弓射る心がのかずば、弓の病也、唯常の心に成て、太刀を遣ひ弓を射ば、弓に難なく、太刀自由なるべし、何事にもおどろかず、常の心よろづによし、平生の心を失ひて、何にても、其事をいはんとおもはゞ聲ふるふべし、常の心を失ひて人の前にて物を書ならば、手ふるふべし、常の心とは、胸に何事も不残不置跡をはらり〱とすて、胸が空虚になれば、常の心なり、儒書を讀む人此虚心の道理を不心得してひとへに敬の字の儀に落る也、敬の字心は至極向上にはあらず、階の一二段にある修行也とぞ
-
『兵法家伝書』殺人刀「具放心心」中峰和尚云具放心心 右の語に付て初重後重あり、心を放かけてやれば行さきにとゞまる程に、心をとゞめぬ樣に、あとへちやく〱とかへし、かへせと敎ゆるは初重の修行也、一太刀うつて、うつた所に心のとゞまるをわが身へもとめかへせと敎ゆる也、後重には心を放かけて、行き度所へやれと也、はなしかけてやりても、とまらぬ心になして、心をはなす也、具放心心、心を放すこゝろをもて、心を綱を付て常に引て居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云、此放心心を具すれば、自由がはたらかるゝ也、綱をとらへて居ては不自由也、犬猫もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫つなぎ犬は、かわれぬ物也、
-
『兵法家伝書』活人劔「手に心をさゝげて」手に心をさゝげて、いまだ動かぬ所を、はやうてとなり、此心空は目にも見へずして何もなき者也、いはんとすれば、此心空動きぬれば様々の事をなし、手に取足にふみ、色々の妙を盡すも此空此心のうごき出てなす所也、此心をさとり明むる事は、書を見ても、難成事也、説を聞ても難到道也、書出す人も説く人も、いにしへより書出す法様、説く法様を以て書くばかり説くばかりにて、心に心を得道したる人はまれなると也、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る