兵法家伝書 / 活人劔心をかへす
一 心をかゑす事 右の心持は、一太刀打てうつたとおもへば、打たよと思ふ心が、そのまゝそこにとゞまる也、うつた所を心がかゑらぬによりて、うつかと成て、二の太刀を敵にうたれて、先を入たる事も無に成りて、二の太刀をうたれて負る也、心をかへすと云は、一太刀打たらば、うつた所に心をおかず、打てから心をひつかへして、敵の色を見よ、うたれて敵氣を違る也、うたれてやれ口惜や、うたれたよと、おもひていかりも出る物也、いかれば敵きびしく成物也、爰を油斷して敵にうたるゝ者也、うたれた敵は、いかり猪とおもふべし、我は打たと思ふて心をとゞめて油斷する、敵はうたれて氣が出ると覺悟すべし、又うたれたる所を、敵ははや用心するを、我は前の心にてうつて打はづす者也、打はづせば、こして敵が我をうつべし、心をかへすとは、我がうつた所に心をとめず、心を我が身へひつとれと云儀也、心をかへして、敵の氣色を見よと云儀也、又は一むきに、うつた所をかへさずして、程をぬかさず、二重三重たゝみかけて、うつて顏をも敵にふらせぬはたらきも至極の心持也、間不容髮とは是を云也、一ノ太刀と二ノ太刀との間へは髮一筋入べき間もなく、はし〱〱とつゞけてうつ心持也、法戰場とて禪之問答に一句問にこたゆる間へは、髮一筋入程も間なく答ふる也、延びたれば人にのまるゝ也、勝負分明也、間不容髮とは此事也、二重三重にたゝみ打にうつ、太刀の急なる事を云也
新字:一 心をかゑす事 右の心持は、一太刀打てうつたとおもへば、打たよと思ふ心が、そのまゝそこにとゞまる也、うつた所を心がかゑらぬによりて、うつかと成て、二の太刀を敵にうたれて、先を入たる事も無に成りて、二の太刀をうたれて負る也、心をかへすと云は、一太刀打たらば、うつた所に心をおかず、打てから心をひつかへして、敵の色を見よ、うたれて敵気を違る也、うたれてやれ口惜や、うたれたよと、おもひていかりも出る物也、いかれば敵きびしく成物也、爰を油断して敵にうたるゝ者也、うたれた敵は、いかり猪とおもふべし、我は打たと思ふて心をとゞめて油断する、敵はうたれて気が出ると覚悟すべし、又うたれたる所を、敵ははや用心するを、我は前の心にてうつて打はづす者也、打はづせば、こして敵が我をうつべし、心をかへすとは、我がうつた所に心をとめず、心を我が身へひつとれと云儀也、心をかへして、敵の気色を見よと云儀也、又は一むきに、うつた所をかへさずして、程をぬかさず、二重三重たゝみかけて、うつて顔をも敵にふらせぬはたらきも至極の心持也、間不容髪とは是を云也、一ノ太刀と二ノ太刀との間へは髪一筋入べき間もなく、はし〱〱とつゞけてうつ心持也、法戦場とて禅之問答に一句問にこたゆる間へは、髪一筋入程も間なく答ふる也、延びたれば人にのまるゝ也、勝負分明也、間不容髪とは此事也、二重三重にたゝみ打にうつ、太刀の急なる事を云也
書き下し
一 心をかゑす事 右の心持は、一太刀打てうつたとおもへば、打たよと思ふ心が、そのまゝそこにとゞまる也、うつた所を心がかゑらぬによりて、うつかと成て、二の太刀を敵にうたれて、先を入たる事も無に成りて、二の太刀をうたれて負る也、心をかへすと云は、一太刀打たらば、うつた所に心をおかず、打てから心をひつかへして、敵の色を見よ、うたれて敵氣を違る也、うたれてやれ口惜や、うたれたよと、おもひていかりも出る物也、いかれば敵きびしく成物也、爰を油斷して敵にうたるゝ者也、うたれた敵は、いかり猪とおもふべし、我は打たと思ふて心をとゞめて油斷する、敵はうたれて氣が出ると覺悟すべし、又うたれたる所を、敵ははや用心するを、我は前の心にてうつて打はづす者也、打はづせば、こして敵が我をうつべし、心をかへすとは、我がうつた所に心をとめず、心を我が身へひつとれと云儀也、心をかへして、敵の氣色を見よと云儀也、又は一むきに、うつた所をかへさずして、程をぬかさず、二重三重たゝみかけて、うつて顏をも敵にふらせぬはたらきも至極の心持也、間不容髮とは是を云也、一ノ太刀と二ノ太刀との間へは髮一筋入べき間もなく、はし〱〱とつゞけてうつ心持也、法戰場とて禪之問答に一句問にこたゆる間へは、髮一筋入程も間なく答ふる也、延びたれば人にのまるゝ也、勝負分明也、間不容髮とは此事也、二重三重にたゝみ打にうつ、太刀の急なる事を云也
現代語訳
一 心を返すこと。この心持ちは、一太刀打って、打ったと思えば、打ったぞと思う心が、そのままそこに止まるということである。打ったところから心が返らないので、うっかりとなって、二の太刀を敵に打たれ、先を入れたことも無になって、二の太刀を打たれて負けるのである。心を返すというのは、一太刀打ったなら、打ったところに心を置かず、打ってから心を引き返して、敵の様子を見よ、ということである。打たれて、敵は気を違える。打たれて、口惜しや、打たれたよ、と思って怒りも出るものである。怒れば、敵は厳しくなる。ここを油断して敵に打たれる者である。打たれた敵は怒り猪と思え。自分は打ったと思って心を止めて油断し、敵は打たれて気が出ると覚悟せよ。また、打たれた所を、敵ははや用心しているのに、自分は前の心で打って打ちはずすものである。打ちはずせば、今度は敵が自分を打つだろう。心を返すとは、自分が打ったところに心を止めず、心を自分の身へ引き取れ、ということである。心を返して、敵の気色を見よ、ということである。あるいはまた、ひたすら、打ったところを返さず、間を抜かさず、二重三重と畳みかけて、打って敵に顔も振らせぬ働きも、至極の心持ちである。間不容髪とはこれをいう。一の太刀と二の太刀との間には、髪の毛一筋入る間もなく、はしはしと続けて打つ心持ちである。法戦場とて、禅の問答では、一つの問いに答える間に、髪の毛一筋入るほどの間もなく答える。延びれば人に呑まれる。勝負は明らかである。間不容髪とはこのことである。二重三重と畳み打ちに打つ、太刀の急なることをいう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』間不容髪間不容髪と申す事の候、貴殿の兵法にたとへて可申候、間とは物を二つかさね合ふたる間へは、髪筋も入らぬと申す義にて候、たとへば手をハタと打つに其儘ハツシと声が出で候、打つ手の間へ髪筋の入る程の間もなく声が出で候、手を打つて後に声が思案して間を置いて出で申すものにては無く候、打つと其儘声が出で候、人の打ち申したる太刀に心が止り候へば、間が出来候、其間に手前の働が抜け候向ふの打つ太刀と我働との間へは、髪筋も入らず候程ならば、人の太刀は我太刀たるべく候、
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『兵法家伝書』殺人刀「心と身の懸待」一 心と身とに縣待ある事 心をば待に身をば縣にすべし、なぜになれば心縣なれば、はしり過て惡き程に、心をばひかへて、待に持て身を縣にして、敵に先をさせ勝べき也、心が縣なれば、人をまづきらんとして負をとる也、又の儀には心を縣に身を待にとも心得る也、なぜなれば、心は無油斷はたらかして、心を縣にして、太刀をば待にして、人に先をさするの心也、身と云は即太刀を持つ手と心得ればすむ也、然ば心は縣に身は待と云也、兩意なれども極る所は同じ心也、とかく敵に先をさせて勝也
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『兵法家伝書』殺人刀「打にうたれよ」一 打にうたれよ、うたれて勝ッ心持之事 人を一刀きる事はやすし、人にきられぬ事は成がたき物也、人はきるとおもふて打つけふともまゝよ、身にあたらぬつもりを、とくと合點して、おどろかず、敵にうたるゝ也、敵はあたると思ふてうてども、つもりあれば、あたらぬ也、あたらぬ太刀は死太刀也、そこをこちから越シて打て勝也、敵のする先ははづれて、我返て先の太刀を敵へ入ル也、一太刀打てからは、はや手はあけさせぬ也、打てよりまうかうよとおもふたらば、二の太刀は又敵にかならずうたるべし、爰にて、油斷して負る也、うつた所に心がとまる故、敵にうたれ、先の太刀を、無にする也、打たる所にきれうときれまいとまゝ、心をとゞむな、二重三重猶四重五重も打べき也、敵に顏を揚させぬ也、勝事は一太刀にて定る也
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『兵法家伝書』活人劔「場をとる」一 敵のかまへ、太刀先き、我が方へむかはゞ、あぐる所につけてうつべし 一 敵をうつとおもふて我身をうたすべし、敵が我をうちさへすれば、敵をばうつた物也 一 水月の場をとれ、夫より心持を專にすべし、我場をとらんとするに、敵すでに先に場を取たらば、それをわがにすべし、つもりさへちかはねば、敵がまつて五尺も、我がよつて五尺も、敵と我との間の尺は同じ事也、人が場をとりたらば、とらせて置がよき也、場をとるとかたまりたるはあしゝ、身をうきやかに持べし
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『兵法家伝書』無刀之卷「江口の遊女の哥(心とどめぬ)」兵法の佛法にかなひ、禪に通ずる事多し、中に殊更着をきらひ、毎物にとゞまる事をきらふ尤是親切の所也、とゞまらぬ處を簡要とする也、江口の遊女の西行法師の哥に答へし哥 家を出る人としきけばかりの宿に心とむなとおもふばかりぞ 兵法に此哥の下の句をふかく吟味して、しからんか、如何様の祕傳を得て手を遣ふとも、其手に心がとゞまらば兵法は負べし、敵のはたらきにも、我手前にも、きつてもついても其所々にとゞまらぬ、心の稽古專用也
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『不動智神妙録』諸仏不動智譬へば十人して一太刀つゝ我へ太刀を入るゝも、一太刀を受流して跡に心を止めず、跡を捨て跡を拾ひ候はヾ十人ながらへ働を欠かさぬにて候、十人十度心は働けども一人にも心を止めずば、次第に取合ひて働は欠け申間敷候、若し又一人の前に心が止り候はヾ、一人の打太刀をば打流すべけれども二人めの時は手前の働抜け可申候、
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