兵法家伝書 / 活人劔心似水中月、形如鏡上影
一 心似水中月、形如鏡上影 右之句を兵法に取用心持は水には月の影をやどす也、鏡には身のかげをやどす物也、人の心の、物にうつる事は、月の水にうつるがごとく也、いかにもすみやかにうつる物也、神妙劔の座を水にたとへ、我が心を月にたとへ、心を神妙劔の座にうつすべし、心がうつれば、身が神妙劔の座へうつる也、心がゆけば身がゆく也、心に身はしたがふ物也、又鏡をば神妙劔の座にたとへ、我が身を影のごとくに、神妙劔の座へうつせと云心に、此句を用る也、手足を神妙劔の座にはづすなと云義也、月の水に影をうつすは、いかにもすみやかなる物也、はる〱高き天にあれども雲がのくといなやはや水にかげがさす也、高天からそろ〱と連々にくだりてうつる物にあらず、目まぢ一ッせぬうちに、はやうつる也、人の心の物にうつる事、月の水に移がごとく、すみやかなど云たとへなり、意速如水月鏡像と云經文も月が水に移りて、さだかにあれども、水の底をさぐれば月はないと云儀理にはあらず、唯遠き天の上から、間もなくそのまゝ移ると云心也、鏡に移るかたちも、何にても物がむかふと、はや移る也、すみやかなど云譬へなり、人の心の物に移る事如此なり。目まぢする間に、大唐までも心はゆくなり、とろ〱まどろみ入よとおもへば、千里の外の古鄕へも、夢は行也、箇樣に心の移り行事を、水月鏡像にたとへて、佛は説給ふ也、經は吳音に讀む程に水月とよむと也 右の句を又兵法の水月にあてゝも同じ事也、我が心を月のごとく場へうつすべし、心が行ゝば身がゆく程に、立あふてより鏡に影の移る如く場へ身をうつすべし、下作りにかねて心をやらねば身がゆかぬ也、場にては水月、身には神妙劔也、いづれも、身足手を移す心持は同事也
新字:一 心似水中月、形如鏡上影 右之句を兵法に取用心持は水には月の影をやどす也、鏡には身のかげをやどす物也、人の心の、物にうつる事は、月の水にうつるがごとく也、いかにもすみやかにうつる物也、神妙剣の座を水にたとへ、我が心を月にたとへ、心を神妙剣の座にうつすべし、心がうつれば、身が神妙剣の座へうつる也、心がゆけば身がゆく也、心に身はしたがふ物也、又鏡をば神妙剣の座にたとへ、我が身を影のごとくに、神妙剣の座へうつせと云心に、此句を用る也、手足を神妙剣の座にはづすなと云義也、月の水に影をうつすは、いかにもすみやかなる物也、はる〱高き天にあれども雲がのくといなやはや水にかげがさす也、高天からそろ〱と連々にくだりてうつる物にあらず、目まぢ一ッせぬうちに、はやうつる也、人の心の物にうつる事、月の水に移がごとく、すみやかなど云たとへなり、意速如水月鏡像と云経文も月が水に移りて、さだかにあれども、水の底をさぐれば月はないと云儀理にはあらず、唯遠き天の上から、間もなくそのまゝ移ると云心也、鏡に移るかたちも、何にても物がむかふと、はや移る也、すみやかなど云譬へなり、人の心の物に移る事如此なり。目まぢする間に、大唐までも心はゆくなり、とろ〱まどろみ入よとおもへば、千里の外の古郷へも、夢は行也、箇様に心の移り行事を、水月鏡像にたとへて、仏は説給ふ也、経は呉音に読む程に水月とよむと也 右の句を又兵法の水月にあてゝも同じ事也、我が心を月のごとく場へうつすべし、心が行ゝば身がゆく程に、立あふてより鏡に影の移る如く場へ身をうつすべし、下作りにかねて心をやらねば身がゆかぬ也、場にては水月、身には神妙剣也、いづれも、身足手を移す心持は同事也
書き下し
一 心似水中月、形如鏡上影 右之句を兵法に取用心持は水には月の影をやどす也、鏡には身のかげをやどす物也、人の心の、物にうつる事は、月の水にうつるがごとく也、いかにもすみやかにうつる物也、神妙劔の座を水にたとへ、我が心を月にたとへ、心を神妙劔の座にうつすべし、心がうつれば、身が神妙劔の座へうつる也、心がゆけば身がゆく也、心に身はしたがふ物也、又鏡をば神妙劔の座にたとへ、我が身を影のごとくに、神妙劔の座へうつせと云心に、此句を用る也、手足を神妙劔の座にはづすなと云義也、月の水に影をうつすは、いかにもすみやかなる物也、はる〱高き天にあれども雲がのくといなやはや水にかげがさす也、高天からそろ〱と連々にくだりてうつる物にあらず、目まぢ一ッせぬうちに、はやうつる也、人の心の物にうつる事、月の水に移がごとく、すみやかなど云たとへなり、意速如水月鏡像と云經文も月が水に移りて、さだかにあれども、水の底をさぐれば月はないと云儀理にはあらず、唯遠き天の上から、間もなくそのまゝ移ると云心也、鏡に移るかたちも、何にても物がむかふと、はや移る也、すみやかなど云譬へなり、人の心の物に移る事如此なり。目まぢする間に、大唐までも心はゆくなり、とろ〱まどろみ入よとおもへば、千里の外の古鄕へも、夢は行也、箇樣に心の移り行事を、水月鏡像にたとへて、佛は説給ふ也、經は吳音に讀む程に水月とよむと也 右の句を又兵法の水月にあてゝも同じ事也、我が心を月のごとく場へうつすべし、心が行ゝば身がゆく程に、立あふてより鏡に影の移る如く場へ身をうつすべし、下作りにかねて心をやらねば身がゆかぬ也、場にては水月、身には神妙劔也、いづれも、身足手を移す心持は同事也
現代語訳
一 心は水中の月に似て、形は鏡の上の影のごとし。この句を兵法に用いる心持ちは、水には月の影を宿し、鏡には身の影を宿すものだ、ということである。人の心が物に移るのは、月が水に映るようなもので、まことにすみやかに映るものである。神妙劔の座を水にたとえ、自分の心を月にたとえて、心を神妙劔の座に映すべきである。心が映れば身が神妙劔の座へ移る。心がゆけば身がゆく。心に身は従うものである。また鏡を神妙劔の座にたとえ、自分の身を影のように、神妙劔の座へ映せ、という心でこの句を用いる。手足を神妙劔の座から外すなという意味である。月が水に影を映すのは、まことにすみやかなものである。はるかに高い天にあっても、雲がのいたとたんに、もう水に影がさす。高い天からそろそろと次第に降りて映るものではない。まばたき一つしないうちに、もう映るのである。人の心が物に映るのも、月が水に映るのと同じくすみやかだ、というたとえである。「意速如水月鏡像」という経文も、月が水に映ってはっきりあっても、水の底を探れば月はない、という理屈ではない。ただ遠い天の上から、間もなくそのまま映るという心である。鏡に映る形も、何であれ物が向かうと、すぐに映る。すみやかさのたとえである。人の心が物に映るのはこのようである。まばたきする間に、唐土までも心はゆく。とろとろとまどろめば、千里の外の古里へも、夢は行く。このように心が移りゆくことを、水月鏡像にたとえて、仏はお説きになる。経は呉音で読むので水月と読む、とのことである。この句を兵法の水月にあてても同じことである。自分の心を月のように場へ映せ。心がゆけば身がゆくので、立ち合ってから、鏡に影が映るように場へ身を映せ。前もって下作りに心をやっておかなければ、身はゆかない。場にあっては水月、身にあっては神妙劔である。いずれも、身・足・手を移す心持ちは同じである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『兵法家伝書』活人劔「水月」一 水月 附 其影之事 右敵と我との間に凡何尺あれば、敵の太刀我身にあたらぬと云つもりありて、其尺をへだてゝ、兵法を遣ふ此尺のうちへ蹈入りぬすみこみ、敵に近付くを月の水に影をさすにたとへて、水月と云也、心に水月の場を、立あはぬ以前におもひまふけて立あふべし、尺の事は口傳すべし
-
『兵法家伝書』活人劔「水月・神妙劔・病氣・身手足の分別」一 水月神妙劔病氣身手足此四の分別 一 水月は立合ノ場の座取也 一 神妙劔は身の內の座取也 一 身手足は 一 敵のはたらきを見る 我身のはたらき 一 去病は手利劔を見む爲也 右しかれば極る所と、手利劔の有無を見る事專一なり、四は大體也、病をさる手利劔見む爲也、病ひさざれば、かならず病にとられて見そこなふなり、見そこなへば負なり、病とは、心の病也、心の病とは心のそこ〱にとまるを云也、心を一太刀うつた所にとゞめぬ様にすべし、心をすてゝすてぬ也
-
『兵法家伝書』無刀之卷「心は色も形もなければ」心は色も形もなければ、目に元より見へぬ物なれども、着してとゞまれば、心が其まゝ見ゆる者也、たとへば、しらぎぬのごとく也、紅をうつしとむれば紅になり、紫を移せば、むらさきの色に成者也、人の心も、物にうつせば、あらはれ見ゆる也、兒若衆に心をうつせば、やがて人が見しる也、おもひ内にあれば、色外にあらはるゝ也、敵のはたらきをば、能く見て底心を留ば、兵法にまくべき也、心をとむなと云事に此偈を引用る也、下の二句は略して不記之、參學して全篇はしるべし、兵法には上の二句にてすむ事也
-
『兵法家伝書』活人劔「神妙二字の釋」一 神妙二字之釋 神在內而妙顯於外名爲神妙、神妙の二字の心を述べたり、神內に有て妙外に顯る、是を神妙と名付る也、たとへば一本の木に內に木の神ある故に、花さき匂ひみどり立、枝葉しげるなり、是を妙と云、木の神は木をくだきても、是ぞ神とて目に見へねども、神なくは花綠も外にあらはるまじき也、人の神も身をさきても是ぞ神とて目には見へねども、內に神あるによりて樣々のわざをなす也、神妙劔の座に神をすゆる故に樣々の妙が手足にあらはれて、軍に花をさかする也、心の爲には主人也、神が內にありて心を外へ遣ふ也、此心又氣を召つかふ也、氣をめしつかひ、神の爲に外にかける此心が一所に逗留すれば、用がかくる也、しかるによりて、心を一所に留めぬ様にするが簡要の事也、たとへば、人の主人內に居て下人を餘所へ使にやるに、行さきにとゞまりてかへらねば、用がかくるがごとく也、心が物にとゞまりて、本の位にかへらねば、兵法の手前がぬくる也、此故に心を一所にとめぬ事兵法のみにあらず、万事に涉る事也
-
五輪書・水の巻兵法の道に於て、心の持様は常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも少しも替らずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬ様に、心をまん中におきて、心を静にゆるがせて、其のゆるぎのせつなもゆるぎやまぬ様に、能々(よくよく)吟味すべし。静なる時も心は静ならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心に用心して身は用心せず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあやまらさず、うへの心はよわくとも、そこの心をつよく、心を人に見分けられざる様にして、小身なるものは心に大きなる事を残らず知り、大身なるものは心に小さき事を能(よ)く知りて、大身も小身も心を直にして、我身のひいきをせざる様に心を持つ事肝要なり。心の内にごらず、広くして、広き所へ智恵を置くべきなり。智恵も心もひたとみがく事専なり。智恵をとぎ、天下の理非を弁へ、物毎の善悪を知り、万の芸能其の道其の道をわたり、世間の人に少しもだまされざる様にして後、兵法の智恵となる心なり。兵法の智恵に於て、とりわきちがふ事有るものなり。戦の場、万事せはしき時なれども、兵法の道理をきはめ、うごきなき心、能々吟味すべし。
-
『兵法家伝書』活人劔「手に心をさゝげて」手に心をさゝげて、いまだ動かぬ所を、はやうてとなり、此心空は目にも見へずして何もなき者也、いはんとすれば、此心空動きぬれば様々の事をなし、手に取足にふみ、色々の妙を盡すも此空此心のうごき出てなす所也、此心をさとり明むる事は、書を見ても、難成事也、説を聞ても難到道也、書出す人も説く人も、いにしへより書出す法様、説く法様を以て書くばかり説くばかりにて、心に心を得道したる人はまれなると也、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る