兵法家伝書 / 活人劔神妙二字の釋
一 神妙二字之釋 神在內而妙顯於外名爲神妙、神妙の二字の心を述べたり、神內に有て妙外に顯る、是を神妙と名付る也、たとへば一本の木に內に木の神ある故に、花さき匂ひみどり立、枝葉しげるなり、是を妙と云、木の神は木をくだきても、是ぞ神とて目に見へねども、神なくは花綠も外にあらはるまじき也、人の神も身をさきても是ぞ神とて目には見へねども、內に神あるによりて樣々のわざをなす也、神妙劔の座に神をすゆる故に樣々の妙が手足にあらはれて、軍に花をさかする也、心の爲には主人也、神が內にありて心を外へ遣ふ也、此心又氣を召つかふ也、氣をめしつかひ、神の爲に外にかける此心が一所に逗留すれば、用がかくる也、しかるによりて、心を一所に留めぬ様にするが簡要の事也、たとへば、人の主人內に居て下人を餘所へ使にやるに、行さきにとゞまりてかへらねば、用がかくるがごとく也、心が物にとゞまりて、本の位にかへらねば、兵法の手前がぬくる也、此故に心を一所にとめぬ事兵法のみにあらず、万事に涉る事也
新字:一 神妙二字之釈 神在内而妙顕於外名為神妙、神妙の二字の心を述べたり、神内に有て妙外に顕る、是を神妙と名付る也、たとへば一本の木に内に木の神ある故に、花さき匂ひみどり立、枝葉しげるなり、是を妙と云、木の神は木をくだきても、是ぞ神とて目に見へねども、神なくは花緑も外にあらはるまじき也、人の神も身をさきても是ぞ神とて目には見へねども、内に神あるによりて様々のわざをなす也、神妙剣の座に神をすゆる故に様々の妙が手足にあらはれて、軍に花をさかする也、心の為には主人也、神が内にありて心を外へ遣ふ也、此心又気を召つかふ也、気をめしつかひ、神の為に外にかける此心が一所に逗留すれば、用がかくる也、しかるによりて、心を一所に留めぬ様にするが簡要の事也、たとへば、人の主人内に居て下人を余所へ使にやるに、行さきにとゞまりてかへらねば、用がかくるがごとく也、心が物にとゞまりて、本の位にかへらねば、兵法の手前がぬくる也、此故に心を一所にとめぬ事兵法のみにあらず、万事に渉る事也
書き下し
一 神妙二字之釋 神在內而妙顯於外名爲神妙、神妙の二字の心を述べたり、神內に有て妙外に顯る、是を神妙と名付る也、たとへば一本の木に內に木の神ある故に、花さき匂ひみどり立、枝葉しげるなり、是を妙と云、木の神は木をくだきても、是ぞ神とて目に見へねども、神なくは花綠も外にあらはるまじき也、人の神も身をさきても是ぞ神とて目には見へねども、內に神あるによりて樣々のわざをなす也、神妙劔の座に神をすゆる故に樣々の妙が手足にあらはれて、軍に花をさかする也、心の爲には主人也、神が內にありて心を外へ遣ふ也、此心又氣を召つかふ也、氣をめしつかひ、神の爲に外にかける此心が一所に逗留すれば、用がかくる也、しかるによりて、心を一所に留めぬ様にするが簡要の事也、たとへば、人の主人內に居て下人を餘所へ使にやるに、行さきにとゞまりてかへらねば、用がかくるがごとく也、心が物にとゞまりて、本の位にかへらねば、兵法の手前がぬくる也、此故に心を一所にとめぬ事兵法のみにあらず、万事に涉る事也
現代語訳
一、神妙二字の釈。「神、内に在りて妙、外に顕るるを名づけて神妙と為す」。神妙の二字の意味を述べたものである。神が内にあって妙が外に現れる、これを神妙と名づけるのである。たとえば一本の木に、内に木の神があるから、花が咲き、匂い、緑が立ち、枝葉が茂る。これを妙と言う。木の神は、木を砕いても「これが神だ」と目に見えないが、神がなければ花も緑も外に現れないはずである。人の神も、身を裂いても「これが神だ」と目には見えないが、内に神があるから、さまざまな業をなすのである。神妙剣の座に神を据えるから、さまざまな妙が手足に現れ、戦に花を咲かせる。神は心にとって主人である。神が内にあって、心を外へ使う。この心がまた気を召し使う。気を召し使い、神のために外へ出かける心が一か所に逗留すれば、用が欠ける。それゆえ心を一か所に留めないようにするのが肝要である。たとえば、主人が内にいて下人を使いに出すのに、行き先にとどまって帰らなければ用が欠けるようなものである。心が物にとどまり、本の位に帰らなければ、兵法の手前が抜ける。ゆえに心を一か所に留めないのは兵法に限らず、万事に及ぶことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之末主君の臣下をさしつかふはたとへば磁石のはりをすふが如し火はかはけるにつき、水はうるおへるにながるゝことわりなれば、磁石のくろがねならではすはざる如く、主君の心とおなじき人ならではつかひ給はぬものなり、心の暗き主君は、何程よきさぶらいをあつめおきてもそれをばもちひず、只君の心にひとしく暗きくせものばかりをさしつかひ給ふものなり、しかるゆへによきさぶらいその家中にありてもなきに同じ、主君の心あきらかなれば、その心によく叶ひたるよき士ならではさしつかひ給はぬゆへにくせものも欲にふけり悪をはぢて、いつとなくよくなるものなればあしきくせもの其家中にありても、なきに等し、臣下のよきもあしきも国のみだるゝもおさまるも、畢竟主君の心ひとつにあり、まことにこゝろざしあるべき事にて候。
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『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
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『弁名』心志意孟子曰く、「其の心を尽くす者は其の性を知るなり」と。是れ其の心力を尽くして以て之を思ふを謂ふのみ。正に梁恵王の所謂「寡人の国に於けるや、心を尽くすのみ」と同意なり。但だ人思はざるのみ、之を思へば則ち能く性の善を知り、性の善を知れば則ち天道の善に与するを知ると言ふ。孟子の本意、是くの若きに過ぎず。宋儒先王の教法を識らず、故に論語・孟子の字面に就きて、以て学問の方を求め、遂に心を尽くすとは心の量を尽くすと謂ふ。妄なるかな。豈に所謂心の量なる者有らんや。仁斎先生曰く、「四端の心を拡充して其の極に至るを謂ふなり」と。果たして其の言の是ならんか、則ち当に其の性を知る者は其の心を尽くすと曰ふべし。其の言の倒置、豈に強ふるに非ずや。亦た聖人為らんと欲するが故のみ。
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言志四録・言志録 第百九十八条 吾が心は即ち天なり此の心霊昭不昧、衆理具はり、万事出づ。果たして何に従りて之を得たるか。吾が生の前、此の心何処にか放在せし。吾が歿の後、此の心何処にか帰宿せん。果たして生歿有りや、無きや。着想此に到れば、凛凛として自ら惕る。吾が心は即ち天なり。
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言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
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『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。
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