兵法家伝書 / 殺人刀つなぎ猫敬の字にとどまる
儒書をよむ人敬の字にとゞまりて、是を向上とおもふて、一生を敬の字にてすます程に、心をつなぎ猫の樣にする也、佛法にも敬の字なきにあらず、經に一心不亂と説給へり、是卽敬の字にあたるべし、心を一事におきて、餘方へ亂さゞる也、勿論敬白夫佛者と唱る所あり、敬禮とて佛像にむかひ一心敬禮と云、皆敬の字の意趣たがわず、然れども是は一切に付て、心の亂るゝを治るの方便也、
新字:儒書をよむ人敬の字にとゞまりて、是を向上とおもふて、一生を敬の字にてすます程に、心をつなぎ猫の様にする也、仏法にも敬の字なきにあらず、経に一心不乱と説給へり、是即敬の字にあたるべし、心を一事におきて、余方へ乱さゞる也、勿論敬白夫仏者と唱る所あり、敬礼とて仏像にむかひ一心敬礼と云、皆敬の字の意趣たがわず、然れども是は一切に付て、心の乱るゝを治るの方便也、
書き下し
儒書をよむ人敬の字にとゞまりて、是を向上とおもふて、一生を敬の字にてすます程に、心をつなぎ猫の樣にする也、佛法にも敬の字なきにあらず、經に一心不亂と説給へり、是卽敬の字にあたるべし、心を一事におきて、餘方へ亂さゞる也、勿論敬白夫佛者と唱る所あり、敬禮とて佛像にむかひ一心敬禮と云、皆敬の字の意趣たがわず、然れども是は一切に付て、心の亂るゝを治るの方便也、
現代語訳
儒書を読む人が「敬」の字にとどまり、これを向上だと思って、一生を敬の字で済ませてしまうと、心をつなぎ猫のようにしてしまう。仏法にも敬の字がないわけではない。経に「一心不乱」と説かれているのが、すなわち敬の字にあたるだろう。心を一事に置いて、他へ乱さないことである。もちろん「敬白、夫れ仏は」と唱えるところがあり、敬礼といって仏像に向かい「一心敬礼」と言うのも、みな敬の字の趣旨に違わない。しかしこれは、すべてについて、心が乱れるのを治めるための方便である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三孔子の大人を畏るとは、其の爵位有るを尊びて、君上を敬するの意にして、其の勢を畏るるに非ず。是れ驕らざるなり。孟子の大人を藐るとは、其の富貴を畏れて屈辱せざるの意にして、其の人を藐るに非ず。是れ諂はざるなり。蓋し大人を畏ると富貴を藐るとは、道並び行はれて悖らざるなり。大凡礼の用は、和を貴しと為す。太だ促縮して、気をして屈辱せしむべからず。故に大人に説くには、則ち須らく志意をして舒展せしめ、言語をして尽くすを得しむべきなり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一敬はつつしむと訓ず。つつしむとは、心に戒めおそるるを云ふ。和語の意はつつむなり。しはやすめ字なり。内につつんで、みだりに外に出さざるなり。敬めば本心をたもちて失はず、行ひなす事理にかなひてあやまりなし。ここを以て、敬は一心のまもり、万善の根本なり。故に敬めば身修り、敬まざれば乱る。万のこと、敬まざることなかれ。万善皆つつしみによつて行はれ、万悪皆不敬よりおこる。故に五常の徳是によつて立ち、五倫の道是によつて行はる。ここを以て、聖学は敬を以て要とす。故に聖学の始終、皆敬を以て宗とす。古来聖賢の心法、皆敬の一字を要とす。学者の尤つとむべき所なり。又よくつつしめば福あり。つつしまざれば禍あり。白楽天も、禍と福とは慎むと慎まざるとに在りといへり。身のわざはひは、皆つつしまざるによれり。故につつしみは禍にかつといへり。
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『慎思録』巻之一敬とは、戒慎恐懼の謂なり。把捉強持の謂に非ざるなり。若し心を操りて強ひて把捉を為さば、是れ助長の病と為す。所謂拘捉すれば、則ち久しくし難きなり。其の弊或いは流れて色荘の人と為る者多し。敬と為すべからざるなり。今の敬を執るの人、動もすれば敬を以て束縛強持の事と為す。聖賢の敬を言ふの本旨に非ず。然れども一に和して、安排布置し、之を節するに礼を以てせざる者も、亦敬を去ること弥遠し。
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『不動智神妙録』敬の字敬の字をは主一無適と致す程も、心を一所に定めて余所へ心をやらず、後に抜いて切るとも切る方へ心をやらぬが肝要の事にて候、殊に主君抔に御意を承る事、敬の字の心眼たるべし、仏法にも敬の字の心有り、敬白鐘を鳴らすとて鐘を三つ鳴して手を合せ敬白す、先つ仏と唱へ上る此敬白の心、主一無適、一心不乱、同義にて候、
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言志四録・言志晩録 第八十条 震艮の工夫は一に帰す「其の背に艮まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」とは、敬以て誠を存するなり。「震は百里を驚かせども、匕鬯を喪はず」とは、誠以て敬を行ふなり。震と艮とは正倒なれども、工夫は一に帰す。
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『山鹿語類』士道・毋不敬師嘗て曰。格致を明にし、天地の大徳に比し、聖学の源流を正さんとならば、敬身ざるときは、何を以て其要を可得。身を敬するの術、先威儀の則を正しくするにありぬべし。許文正公曰。威儀正于外。則敬身之大体得矣といへり。爰に威儀の則何をか先にせんとならば、身にをいて視聴言動を非礼のために感動せしめざる、是威儀の要と可謂也。而威儀いかんして正しきとならば、曲礼曰、毋不敬と云、此三字を能く工夫するに可有也。凡そ礼は其本人心の不得止の処より出生して、事物の上に自然の節あつて、其文章厳然としておかすべからず、斐然としてあやあるべき、是を礼といふ。身上の動静悉く礼を用たれば、一動一静一語一黙、各礼節あり。礼節の本毋不敬の三字にきはまれり。其ゆへいかんとなれば、語黙動静の間に詳に思て、其節にあたらん事を計らば、不中と云とも不遠のことわり也。何の思ひはかる処なく、唯当座にまかせて是をいたし、情欲に従て発せしむるを以て、非礼の用多く、威儀こゝに廃しこゝに絶す。事物の間にをいて常に思を深くし詳に慮らば、各当然の則りに近かるべし。是を毋不敬と教ゆる也。
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