兵法家伝書 / 殺人刀身口意の三密底の月
よく治りたる心は治むる方便を不用也、口に大聖不動と唱へ身をたゞしくして、合掌して、意に不動のすがたを觀ず、此時身口意の三業平等にして、一心みだれず、是を三密平等と云、卽敬之字の意趣に同じ、敬者卽本心の德にかなふなり、しかれども行ふ間の心なり、合掌をはなち佛名をとなへやみぬれば、心の佛像ものきぬ、更にまた元の散亂の心也、始終治りたる心にはあらず、心をよく一度おさめ得たる人は、身口意の三業を淨めず塵に交りけがれず、終日うごけども動かず、千波万波にしたがひ動けども、底の月のうごく事なきがごとく也、是佛法の至極せる人の境界也、法の師の示を受けて爰に記す者也
新字:よく治りたる心は治むる方便を不用也、口に大聖不動と唱へ身をたゞしくして、合掌して、意に不動のすがたを観ず、此時身口意の三業平等にして、一心みだれず、是を三密平等と云、即敬之字の意趣に同じ、敬者即本心の徳にかなふなり、しかれども行ふ間の心なり、合掌をはなち仏名をとなへやみぬれば、心の仏像ものきぬ、更にまた元の散乱の心也、始終治りたる心にはあらず、心をよく一度おさめ得たる人は、身口意の三業を浄めず塵に交りけがれず、終日うごけども動かず、千波万波にしたがひ動けども、底の月のうごく事なきがごとく也、是仏法の至極せる人の境界也、法の師の示を受けて爰に記す者也
書き下し
よく治りたる心は治むる方便を不用也、口に大聖不動と唱へ身をたゞしくして、合掌して、意に不動のすがたを觀ず、此時身口意の三業平等にして、一心みだれず、是を三密平等と云、卽敬之字の意趣に同じ、敬者卽本心の德にかなふなり、しかれども行ふ間の心なり、合掌をはなち佛名をとなへやみぬれば、心の佛像ものきぬ、更にまた元の散亂の心也、始終治りたる心にはあらず、心をよく一度おさめ得たる人は、身口意の三業を淨めず塵に交りけがれず、終日うごけども動かず、千波万波にしたがひ動けども、底の月のうごく事なきがごとく也、是佛法の至極せる人の境界也、法の師の示を受けて爰に記す者也
現代語訳
よく治まった心は、治めるための方便を用いない。口に「大聖不動」と唱え、身を正して合掌し、意に不動の姿を観じる。このとき身・口・意の三業が平等で、一心が乱れない。これを三密平等という。すなわち敬の字の趣旨と同じで、敬は本心の徳にかなうものである。しかしそれは行っている間の心である。合掌を離れて仏の名を唱えるのをやめれば、心の中の仏像も遠のき、再びもとの散乱した心になる。始終治まった心ではない。心を一度よく治め得た人は、身・口・意の三業を浄めることもなく、塵に交わっても汚れず、終日動いていても動かない。千の波、万の波に従って動いても、水底の月が動かないようなものである。これが仏法を極めた人の境地である。法の師の示しを受けて、ここに記す者である。
解説
この章句が説くこと
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