兵法家伝書 / 殺人刀具放心心
中峰和尚云具放心心 右の語に付て初重後重あり、心を放かけてやれば行さきにとゞまる程に、心をとゞめぬ樣に、あとへちやく〱とかへし、かへせと敎ゆるは初重の修行也、一太刀うつて、うつた所に心のとゞまるをわが身へもとめかへせと敎ゆる也、後重には心を放かけて、行き度所へやれと也、はなしかけてやりても、とまらぬ心になして、心をはなす也、具放心心、心を放すこゝろをもて、心を綱を付て常に引て居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云、此放心心を具すれば、自由がはたらかるゝ也、綱をとらへて居ては不自由也、犬猫もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫つなぎ犬は、かわれぬ物也、
新字:中峰和尚云具放心心 右の語に付て初重後重あり、心を放かけてやれば行さきにとゞまる程に、心をとゞめぬ様に、あとへちやく〱とかへし、かへせと教ゆるは初重の修行也、一太刀うつて、うつた所に心のとゞまるをわが身へもとめかへせと教ゆる也、後重には心を放かけて、行き度所へやれと也、はなしかけてやりても、とまらぬ心になして、心をはなす也、具放心心、心を放すこゝろをもて、心を綱を付て常に引て居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云、此放心心を具すれば、自由がはたらかるゝ也、綱をとらへて居ては不自由也、犬猫もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫つなぎ犬は、かわれぬ物也、
書き下し
中峰和尚云具放心心 右の語に付て初重後重あり、心を放かけてやれば行さきにとゞまる程に、心をとゞめぬ樣に、あとへちやく〱とかへし、かへせと敎ゆるは初重の修行也、一太刀うつて、うつた所に心のとゞまるをわが身へもとめかへせと敎ゆる也、後重には心を放かけて、行き度所へやれと也、はなしかけてやりても、とまらぬ心になして、心をはなす也、具放心心、心を放すこゝろをもて、心を綱を付て常に引て居ては不自由なぞ、放しかけてやりても、とまらぬ心を放心心と云、此放心心を具すれば、自由がはたらかるゝ也、綱をとらへて居ては不自由也、犬猫もはなしがひこそよけれ、つなぎ猫つなぎ犬は、かわれぬ物也、
現代語訳
中峰和尚は「具放心心」と言った。この語には初重と後重がある。心を放しかけてやれば行き先にとどまるので、心をとどめぬように、すぐさま後ろへ返せ、返せと教えるのが初重の修行である。一太刀を打って、打った所に心がとどまるのを、わが身へ求め返せと教えるのである。後重では、心を放しかけて、行きたい所へやれと言う。放しかけてやっても、とどまらない心にして、心を放すのである。具放心心とは、心を放す心をもって、心に綱を付けていつも引いていては不自由だ、ということである。放しかけてやってもとどまらない心を放心心という。この放心心を具えれば、自由に働くことができる。綱を握っていては不自由である。犬や猫も放し飼いがよいので、つなぎ猫やつなぎ犬は飼えないものである。
解説
この章句が説くこと
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『兵法家伝書』殺人刀「鏡の胸の内(平常心)」道とて何にても一筋是ぞとて胸におかば道にあらず、胸に何事もなき人が道者也、胸には何事もなくして、又何事成ともなせば、やす〱と成なり、鏡の常にすんで何のかたちもなき故に、むかふ物のかたち何にてもうつりて明らかなるがごとし、道者の胸の內は、鏡のごとくにして、何もなくして明なる故に無心にして一切の事、一も闘事なし、是唯平常心也、此平常心を以一切の事をなす人を人是を名人と云也、よろづをなすに、なす心をたゞしく持てなす心を外へちらさずして、一すぢに其事をなすに、しどろもどろにして、一度はなす事よく、よきかとおもへば又一度は卽あしく、或は兩度よく、又一度あしく、よき事兩度に成て、あしき事一度に成たると悦びぬれば又あしき事、兩度に成一切不定是其よくせんとおもふ心にてする故也、いつとなく功つもり稽古かさなれば、はやよくせんと思ふ事そゝとのきて何事をなすとも、おもわずして無心無念に成て、木でつくりたる道幸の坊が曲するごとくに成たる位也、此時我もしらず、心になす事なくして、身手足がする時、十度は十度ながらはづれず、其間にもいさゝかにも、心にかゝりたれば、はづるゝ也、無心なる時皆あたる也、無心とて一切心なきにあらず、唯平常心也
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『兵法家伝書』殺人刀「常の心(弓射る時弓射る心)」世法の上に引合せていはゞ、弓射る時に弓射とおもふ心あらば、弓前みだれて不可定、太刀つかふ時、太刀前定るべからず、物を云時、物かく心あらば筆定るべからず、琴を引とも、琴をひく心あらば曲亂るべし、弓射る人は、弓射る心をわすれて、何事もせざる時の常の心にて、弓を射はるべし、太刀遣ふも馬に乘も太刀つかはず馬のらず物かゝず琴ひかず、一切やめて何もなす事なき、常の心にてよろづをする時、よろづの事難なく、する〱とゆく也、
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『兵法家伝書』殺人刀「木人如對花鳥」木人如對花鳥 是麗居士がこと葉なり、木で作たりたる人の、花鳥にむかひ居たるが如くと也、目は花鳥にあれども心花鳥にうごかざる尤道理あり、心ある人として、木人のごとくならん事いかにとしてなるべきぞや、木人とはたとへなり、心ある人として木とひとしくはあるべからず、人として竹木のごとくにはあるべからず、花を見るとて、花見る心を生して見ざる也、たゞ常の心にて無心に見るを云へり、弓射る時弓射る心をあらたに生して射ざる也、常の心にて射るを云へり、常の心を無心とは云也、常の心をかへて新たに生ずれば、形もあらたまる程に內外ともにうごく也、動轉する心にて、万ッをなさば何事も不可然也、一言を云へども、動轉せぬ云樣かなとこそ、人をば褒美する物なれ、諸佛の不動心といへる事、實に殊勝に覺ゆ 右之兩條は兵法の病氣をさると云心持にあて用る事也
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『不動智神妙録』求放心と心要放稽古の時は孟子が謂ふ不見放心と申す心持能く候、至極の時は邵康節が心要放と申すにて候、中峯和尚の語に見放心とあり、此意は即ち邵康節が心をば放さんことを要せよと云ひたると一つにて、放心を求めよ引きとヾめて一所に置くなと申す義にて候、又具不退転と云ふ、是れも中峯和尚の言葉なり、退転せずに替はらぬ心を持てと云ふ義なり、人たヾ一度二度は能く行けども、又つなかれて常に無い裡に退転せぬやうなる心を心持てと申す事にて候。
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『兵法家伝書』殺人刀「心と身の懸待」一 心と身とに縣待ある事 心をば待に身をば縣にすべし、なぜになれば心縣なれば、はしり過て惡き程に、心をばひかへて、待に持て身を縣にして、敵に先をさせ勝べき也、心が縣なれば、人をまづきらんとして負をとる也、又の儀には心を縣に身を待にとも心得る也、なぜなれば、心は無油斷はたらかして、心を縣にして、太刀をば待にして、人に先をさするの心也、身と云は即太刀を持つ手と心得ればすむ也、然ば心は縣に身は待と云也、兩意なれども極る所は同じ心也、とかく敵に先をさせて勝也
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『兵法家伝書』殺人刀「病をさる後重」後重 後重には一向に病をさらんと思ふ心の無が病をさる也、さらんとおもふが病氣なり、病氣にまかせて、病氣のうちに交て居が病氣をさつたる也、病氣をさらんとおもふは病のさらずして、心にある故なり、しからば一圓病氣がさらずして、する程の事おもふ程の事が、着してする事勝利あるべからず、いかんが可心得ぞや、
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