配所残筆 / 配所殘筆26
是大丈夫の意地たり。誠に心廣く躰ゆるやか成共云べきなり。此學相積時は。智惠日に新にして。德自高し。仁自厚勇自立て。終は功もなく名なく。無爲無妙之地に可至。されば功名より入て功名もなく。只人たるの道を盡すのみ也。孝經云。立身行道。揚名於後世者。孝之終也。右之品自讃の樣に聞へ候へ共。各々非可令遠慮候間。書付候所に。我等覺悟之所有之候間。能々心付候て讀可被申候。近年者配所へ參十年に成候。凡物必十年に變ずる物なり。然者今年我等於配所朽果候時節到來と令覺悟候。我等始終之事處々へ書付置候へ共。御念頃之御方々も次第に殘少に成行候間。我等以前よりの成立勤幷學問之心得能被留耳底。我等所存立候樣に被相勤候事所希候。最初に書候通。我等天道の冥加に相叶候而如此に候得共。第一者乍愚蒙日夜相勤候故と被存候。然者各自分之才學にも可罷成と被存候。其時御咄したとへ物語迄不殘記置候。若輩成者は如斯事迄能覺候事尤に候。有他見事にて無之候間。文章之前任筆頭候。能々被遂得心。藤助令成長候はゞ。利祿能仕合の願者被差置。子孫迄不義無道之言行無之令覺悟候はゞ。我等生前之大望死後之冥慮候條。如此記置。磯屋平助に預置候。依而如斯候以上。 延寳第三卯正月十一日 山鹿甚五左衞門判 山鹿三郎右衞門殿 岡 八郎左衞門殿
新字:是大丈夫の意地たり。誠に心広く体ゆるやか成共云べきなり。此学相積時は。智恵日に新にして。徳自高し。仁自厚勇自立て。終は功もなく名なく。無為無妙之地に可至。されば功名より入て功名もなく。只人たるの道を尽すのみ也。孝経云。立身行道。揚名於後世者。孝之終也。右之品自讃の様に聞へ候へ共。各々非可令遠慮候間。書付候所に。我等覚悟之所有之候間。能々心付候て読可被申候。近年者配所へ参十年に成候。凡物必十年に変ずる物なり。然者今年我等於配所朽果候時節到来と令覚悟候。我等始終之事処々へ書付置候へ共。御念頃之御方々も次第に残少に成行候間。我等以前よりの成立勤幷学問之心得能被留耳底。我等所存立候様に被相勤候事所希候。最初に書候通。我等天道の冥加に相叶候而如此に候得共。第一者乍愚蒙日夜相勤候故と被存候。然者各自分之才学にも可罷成と被存候。其時御咄したとへ物語迄不残記置候。若輩成者は如斯事迄能覚候事尤に候。有他見事にて無之候間。文章之前任筆頭候。能々被遂得心。藤助令成長候はゞ。利禄能仕合の願者被差置。子孫迄不義無道之言行無之令覚悟候はゞ。我等生前之大望死後之冥慮候条。如此記置。磯屋平助に預置候。依而如斯候以上。 延宝第三卯正月十一日 山鹿甚五左衛門判 山鹿三郎右衛門殿 岡 八郎左衛門殿
書き下し
是大丈夫の意地たり。誠に心廣く躰ゆるやか成共云べきなり。此學相積時は。智惠日に新にして。德自高し。仁自厚勇自立て。終は功もなく名なく。無爲無妙之地に可至。されば功名より入て功名もなく。只人たるの道を盡すのみ也。孝經云。立身行道。揚名於後世者。孝之終也。右之品自讃の樣に聞へ候へ共。各々非可令遠慮候間。書付候所に。我等覺悟之所有之候間。能々心付候て讀可被申候。近年者配所へ參十年に成候。凡物必十年に變ずる物なり。然者今年我等於配所朽果候時節到來と令覺悟候。我等始終之事處々へ書付置候へ共。御念頃之御方々も次第に殘少に成行候間。我等以前よりの成立勤幷學問之心得能被留耳底。我等所存立候樣に被相勤候事所希候。最初に書候通。我等天道の冥加に相叶候而如此に候得共。第一者乍愚蒙日夜相勤候故と被存候。然者各自分之才學にも可罷成と被存候。其時御咄したとへ物語迄不殘記置候。若輩成者は如斯事迄能覺候事尤に候。有他見事にて無之候間。文章之前任筆頭候。能々被遂得心。藤助令成長候はゞ。利祿能仕合の願者被差置。子孫迄不義無道之言行無之令覺悟候はゞ。我等生前之大望死後之冥慮候條。如此記置。磯屋平助に預置候。依而如斯候以上。 延寳第三卯正月十一日 山鹿甚五左衞門判 山鹿三郎右衞門殿 岡 八郎左衞門殿
現代語訳
これが大丈夫の意地です。まことに心は広く、身のこなしはゆるやかであると言ってよいでしょう。この学問を積めば、智恵は日々新しくなり、徳はおのずと高まります。仁はおのずと厚くなり、勇は自ずと立って、終わりには功もなく名もなく、無為無妙の境地に至るでしょう。つまり、功名から入っても功名はなく、ただ人としての道を尽くすのみです。『孝経』に「身を立て道を行い、名を後世に揚げるのは、孝の終わりである」とあります。右のことは自讃のように聞こえますが、皆さんに遠慮させるべきでないので書き付けたところ、私には覚悟があることですから、よくよく心に留めて読んでください。近年、配所に来て十年になります。およそ物は必ず十年で変わるものです。そうであれば、今年は私が配所で朽ち果てる時節が来たと覚悟しています。私の一生のことはあちこちに書き付けておきましたが、親切にしてくださった方々も次第に残り少なくなってきましたので、私のこれまでの経歴・勤め・学問の心得をよく耳底にとどめ、私の志が立つように勤めてくださることを願います。最初に書いたとおり、私は天道の冥加にかなってこのようにあるのですが、第一には、愚かで蒙いながら日夜勤めたためだと思います。そうであれば、皆さん自身の才学にもなると思います。その時のお話は、たとえ話に至るまで残らず書き記しておきました。若い人は、こうしたことまでよく覚えておくのがもっともです。他人に見せるものではありませんので、文章の前後は筆頭に任せました。よくよく得心を遂げてください。藤助が成長したなら、利禄や、うまくいく仕合わせを願うことは差し置き、子孫に至るまで不義無道の言行がないよう覚悟してくれれば、それが私の生前の大望であり、死後の願いです。このように書き記して、磯屋平助に預けておきます。よってこのとおりです。以上。延宝三年卯正月十一日 山鹿甚五左衛門判 山鹿三郎右衛門殿 岡八郎左衛門殿
解説
この章句が説くこと
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