酔古堂剣掃 / 集峭・生死の關先づ破る
窮通之境未遭,主持之局已定;老病之勢未催,生死之關先破。求之今世,誰堪語此?
新字:窮通之境未遭,主持之局已定;老病之勢未催,生死之関先破。求之今世,誰堪語此?
書き下し
窮通の境未だ遭はざるに、主持の局已に定まり;老病の勢未だ催さざるに、生死の關先づ破る。之を今の世に求むるに、誰か此れを語るに堪へん。
現代語訳
困窮や栄達の境遇にまだ出会わないうちから、自分をどう保つかという構えがすでに定まっており、老いや病の勢いがまだ迫らないうちから、生と死の関門をまず突き破っています。今の世にこのような人を求めても、いったい誰とこれを語り合えるでしょうか。
解説
事が起こる前に心の構えを定めておくことの尊さと、それを備えた人の少なさを嘆いた一則です。窮通は行き詰まりと栄達、主持の局は自分の身をどう保つかという心の構えです。生死の關は、生と死への執着という越えがたい関門で、禅ではこれを透過することを重んじました。困ったときや老いたときになって慌てて覚悟を決めるのではなく、まだ平穏なうちから、どんな境遇でも揺るがない構えと、生死を超えた覚悟を持っておくべきだと言います。結びの問いには、そうした人に出会えない寂しさがにじみます。順調なときにこそ、もしものときの心構えを整えておきたいものです。
この章句が説くこと
覚悟生死修養処世備え
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