群書治要 / 『群書治要』崔寔政論・俸給が薄ければ不正が生まれる
昔明王之統黎元、蓋濟其欲而為之節度者也。凡人情之所通好、則恕己而足之、因民有樂生之性、故分禄以頤其士、製廬井以養其萌、然後上下交足、厥心乃静、人非食不活、衣食足然後可教以禮義、威以刑罰、苟其不足、慈親不能畜其子、况君能撿其臣乎。故古記曰:倉禀實而知禮節、衣食足而知榮辱、今所使分威權、御民人、理獄訟、幹府庫者、皆羣臣之所為、而其奉禄甚薄、仰不足以養父母、俯不足以活妻子、父母者、性所愛也。妻子者、性所親也。所愛所親、方將凍餒、雖冒刃求利、尚猶不避、况可令臨財御衆乎。是所謂渴馬守水、餓犬護肉、欲其不侵、亦不幾矣。夫事有不疑、勢有不然、蓋此之類、雖時有素富骨清者、未能百一、不可為天下通率、聖王知其如此、故重其禄以防其貪、欲使之取足於奉、不與百姓争利、故其為士者習推讓之風、耻言十五之計、而拔葵去織之義形矣。故三代之賦也。足以代其耕、故晏平仲、諸侯之大夫耳、禄足贍五百、斯非優衍之故耶、昔在暴秦、反道違聖、厚自封寵、而虜遇臣下、漢興因循、未改其制、夫百里長吏、荷諸侯之任、而食監門之禄。
新字:昔明王之統黎元、蓋済其欲而為之節度者也。凡人情之所通好、則恕己而足之、因民有楽生之性、故分禄以頤其士、製廬井以養其萌、然後上下交足、厥心乃静、人非食不活、衣食足然後可教以礼義、威以刑罰、苟其不足、慈親不能畜其子、況君能撿其臣乎。故古記曰:倉禀実而知礼節、衣食足而知栄辱、今所使分威権、御民人、理獄訟、幹府庫者、皆羣臣之所為、而其奉禄甚薄、仰不足以養父母、俯不足以活妻子、父母者、性所愛也。妻子者、性所親也。所愛所親、方将凍餒、雖冒刃求利、尚猶不避、況可令臨財御衆乎。是所謂渇馬守水、餓犬護肉、欲其不侵、亦不幾矣。夫事有不疑、勢有不然、蓋此之類、雖時有素富骨清者、未能百一、不可為天下通率、聖王知其如此、故重其禄以防其貪、欲使之取足於奉、不与百姓争利、故其為士者習推譲之風、耻言十五之計、而抜葵去織之義形矣。故三代之賦也。足以代其耕、故晏平仲、諸侯之大夫耳、禄足贍五百、斯非優衍之故耶、昔在暴秦、反道違聖、厚自封寵、而虜遇臣下、漢興因循、未改其制、夫百里長吏、荷諸侯之任、而食監門之禄。
書き下し
昔、明王の黎元を統ぶるや、蓋し其の欲を済して之が節度を為す者なり。凡そ人情の通じて好む所は、則ち己を恕して之を足らしむ。民に生を楽しむの性有るに因りて、禄を分かちて以て其の士を頤い、廬井を製して以て其の萌を養う。然る後に上下交ごも足り、厥の心乃ち静かなり。人は食に非ざれば活きず、衣食足りて然る後に教うるに礼義を以てし、威すに刑罰を以てすべし。苟も其れ足らざれば、慈親も其の子を畜う能わず、況んや君の能く其の臣を撿めんや。故に古記に曰く、倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る、と。今、威権を分かち、民人を御し、獄訟を理め、府庫を幹むる所の者は、皆な群臣の為す所なり。而るに其の奉禄甚だ薄く、仰ぎては以て父母を養うに足らず、俯しては以て妻子を活かすに足らず。父母は、性の愛する所なり。妻子は、性の親しむ所なり。愛する所親しむ所、方に将に凍餒せんとすれば、刃を冒して利を求むるも、尚お猶お避けず、況んや財に臨み衆を御せしむべけんや。是れ所謂渇馬の水を守り、餓犬の肉を護るなり。其の侵さざらんことを欲するも、亦た幾からず。夫れ事に疑わざる有り、勢に然らざる有り、蓋し此の類なり。時に素より富み骨清き者有りと雖も、未だ百に一なる能わず、天下の通率と為すべからず。聖王其の此くの如きを知る、故に其の禄を重くして以て其の貪を防ぎ、之をして奉に取りて足り、百姓と利を争わざらしめんと欲す。故に其の士為る者は推譲の風を習い、十五の計を言うを恥じ、而して葵を抜き織を去るの義形われたり。故に三代の賦は、以て其の耕に代うるに足る。故に晏平仲は、諸侯の大夫のみなるに、禄は五百を贍すに足る。斯れ優衍の故に非ずや。昔、暴秦に在りては、道に反き聖に違い、厚く自ら封寵して、臣下を虜遇す。漢興りて因循し、未だ其の制を改めず。夫れ百里の長吏は、諸侯の任を荷えども、監門の禄を食む。
現代語訳
昔の明王が民を治めるとき、人の欲を満たしつつ、それに節度を設けました。人情として誰もが好むものは、自分の気持ちに置き換えて十分に与えました。民には生を楽しむ性質があるので、俸禄を分けて士を養い、廬と井田を整えて民を養いました。そのうえで上も下も満ち足りて、心はおのずから静かになります。人は食べなければ生きられず、衣食が足りて初めて礼義を教え、刑罰で威圧できます。もし満ち足りなければ、慈愛深い親でさえ子を養えず、まして君主が臣下を取り締まれるでしょうか。古い記録に、倉が満ちて礼節を知り、衣食が足りて栄辱を知る、とあるのはこのためです。今、威権を分けられ、民を治め、訴訟を裁き、倉庫を管理する者は、すべて家臣です。ところがその俸禄はきわめて薄く、見上げては父母を養うに足りず、見下ろしては妻子を生かすに足りません。父母は本性として愛する者、妻子は本性として親しむ者です。愛し親しむ者が今にも凍え飢えようとすれば、刃を冒してでも利を求めるでしょう。まして財を扱い、人々を治めさせるなら言うまでもありません。これはいわゆる、渇いた馬に水を守らせ、飢えた犬に肉を守らせるようなものです。侵さないでほしいと願っても、ほとんど望みがありません。ものごとには疑う余地のないこと、勢いとしてそうならないことがあり、これはその類です。もともと富み、清廉な人もときにはいますが、百に一人もおらず、天下の標準にはできません。聖王はそれを知っていたので、俸禄を重くして貪りを防ぎ、俸禄だけで足り、民と利を争わないようにしました。そのため士は譲り合う風習を身につけ、わずかな利を数えることを恥じ、葵を抜き織機を捨てるという義が形になりました。三代の賦税は、耕作に代わるのに十分でした。だから晏平仲は諸侯の大夫にすぎませんでしたが、俸禄は多くの人を養えるほどでした。これは豊かだったからではないでしょうか。昔、暴虐な秦は道に背き聖人に逆らい、自分を厚く封じ寵遇して、臣下を捕虜のように扱いました。漢は興ってもそのまま受け継ぎ、まだ制度を改めていません。百里ほどの長吏は諸侯の任務を担いながら、門番の俸禄を受けています。
解説

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